目がヒリヒリと痛いから

本当は目をつぶっていたい。



瞼が重いから

本当は目をつぶっていたい。



猫は目をつぶってても

抱っこをせがむ猫は抱きしめられる



抱っこすれば

リラックスして抱っこされているのか

少々の緊張があるのか

逃げたい!と身体が拒絶しているのかが分かる。




目が見えなくても

「知りたい、分かりたい」と思えば

情報を得ることは可能



知ろうとしなければ

私たち日本人のことが理解し難い




なぜ仏教発祥の地で仏教が消えたのか?









なぜクルド人は各国で問題視されるのか?





クルド人という括りで見ると

「人種差別」と言われてしまいますが



性質、気質

自己中心的な行動をとる人は

人種に関係なく

「共存出来ない」と周囲から思われてしまいます。





「生きたいように生きさせろ」

父は私たちに2度暴言を吐きました。



私は母がまだ健康だった時に

主人のお弁当と同じおかずを、主人の出勤時に届けてもらっていました。



昼食の準備をしないで良い分、家を片付けて欲しいという理由からです。




しかし両親は

「出来無いものは出来ない!」と


私の差し入れのおかずも残したりと

「相手を思いやる」が欠落していました。




今、父がおかずを届けて欲しい〜と口走りますが、昔、私に何をしたのか忘れたのか?


「自分の好きなものを食べて好きなように暮らせば良い」



それが望みだと、私は知っているのだから。





クルド人だから共生出来ないんじゃなくて




住み着いた場所の人々に対して

配慮もなければ感謝もない




自己主張が強すぎる人種を危険視しなければ

我が身が危ない。



その防衛本能を差別というのは

あまりにも酷だと思う。



なぜ、インドから仏教が消えたのか?



仏教が寛容さを兼ね備えていたから




寛容な人は淘汰され


自己中な人は生き残り


自己中と自己中

最悪な組み合わせでは争いが終わらない。




洗脳して人を自分の思い通りにコントロールする事で利を得られる人(自分の望みを叶えたい人)たちにとって

ブッタの悟りは危険なのでしょう



他は見なくても

こちらは必ず見て欲しい動画です。



人は視覚で情報を得る事が多い


目だけで文字情報を得て

その奥を覗き込む事なく

反応する人が増えている。



それが誹謗中傷が無くならない理由だろう


雨の日の外

猫は何を見ているのかしら



外から小鳥の囀りが聞こえてきます。



芽吹いていない木々が雨に濡れる音


常緑の木々が雨に打たれる音



雫の大きさに違いが生まれる




こんなものは無駄な情報収集かしら?