天安門事件で息子を亡くした母
南京大虐殺 30万人が虐殺されたと。
東京 豊島区民 301,599 人
原子爆弾(原爆)
1945年8月6日に広島
9日に長崎に投下
年末までに広島でおよそ14万人、
長崎でおよそ7万人が亡くなりました。戦争が終わってからも、放射線によって多くの人々が苦しめられました。
広島と長崎の原爆投下による死者を足しても21万人。
30万人…
東京ドーム最大収容人数 55,000人
ドーム5、5個分 殺戮
到底可能とは思えない。
天安門事件
池上彰も情報操作を担っている。
http://www.goyuren.jp/kokumin-no-rekisi/column-57.pdf
↓冒頭コピペ↓
コラム 57- 「南京大虐殺」30 万人の嘘
「南京大虐殺」30万人が嘘であるという根拠は次の 8項目です。
1 陥落時の南京の人口は約 20万人である。南京の警察長官王氏が陥落直前の人口を
20万人と述べ、国際委員会(外国人 15名で編成された自治組織)もその数字を踏襲
している。
2 南京の人口は陥落後、増加した。陥落 1 ヵ月後、南京市外に避難していた南京市
民は続々と市内に戻り、南京の人口は 24 万 3 千人余りから 26 万 5 千人余りに増え
ている。(虐殺があれば人は集まらない)
3 紅卍会などの遺体埋葬数は、作業代ほしさに水増し報告している。亜細亜大学の
東中野教授は実際の埋葬数を 1 万 4 千人と推定、そのほとんどが戦死した中国兵や
処刑された便衣兵だとしている。
4 当時、陥落とほぼ同時に約 300 名の日本の報道関係者がいたが、誰も虐殺現場や
大量の遺体を見ておらず、報告もなされていない。
5 南京陥落時、便衣兵となった中国兵を掃討したあと、南京の治安は急速に回復し、
国際委員会から日本軍に感謝の書状が贈られている。
6 南京陥落後、蒋介石は記者団に対して 300 回以上の記者会見をやっているが、一
度も虐殺について言及していない。
7 南京陥落後、昭和 13年 1月に国際連盟理事会に対して、中国代表が日本軍が 2万
人の民間人を虐殺したと提訴したが、認められなかった。
8「南京大虐殺」は東京裁判で、初めて問題にされ、しかも伝聞により捏造された。
逆に嘘を振りまいた元凶となった本があります。この南京大虐殺の証拠とされてき
た本の著者は、オーストラリア国籍で英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派
員ティンパリーという人物であり、国民党政府に金で雇われたエージェントでありま
した。
彼は、南京に行っていないにもかかわらず、南京での残虐行為を「戦争とは何か―
中国における日本軍の暴虐」という本にまとめ、南京陥落翌年の 1938 年 7 月に、ニ
ューヨークとロンドンで出版したのです。
亜細亜大学の東中野教授はその中味が、中国国民党の宣伝工作を記録した「対敵宣
伝科工作活動概況」という項目に書かれたものであることを、台湾で突き止めました。
さらに、東中野教授は、南京大虐殺の証拠写真として世上に流布されている 143枚の
写真が「証拠として通用するものが 1枚もなかった」という画期的な検証成果を得て
います。
南京戦に参加した兵士喜多留治(2009 年現在 89 歳・南京攻略戦当時、第 9 師団歩
兵第 7連隊(金沢)所属)が、南京陥落後の難民区「安全地帯」の状況を次のように述
べています。「難民区の掃討は 12月 14,15,16日の 3日間です。掃討にあたり、厳重な 7項目の

