Google Mapの縮尺次第で、出たり消えたりする。
そんな場所ってありますよね。
①船津(熊野)権現神社
そんなこんなで、⛩️マークがあったのに解らなくなってしまっていた船津権現神社です!
〈長崎市 網場町(あばまち)〉

↑まずは弁天さま。

↑権現神社は集落の建物に隠れていました。

↑そこは恵比寿神社と、(こちら海が近い地域です。)

↑向かい合って船津(熊野)権現神社でした。
船津は字名です。
以下、【日見地域センター(日見の史跡)No.50~No.54】より。
『祠の創立は文化(ぶんか)3年(1806)7月吉日。明治41年(1908)に再建。ここには巨大な榕(あこう)の木があり、船津の漁師の帰り際の目印として利用されていたと伝えられていた。また、祠には、菊の紋章が刻んである。』
②山川河内(さんせんごうち)の稲荷
こちらの集落、行ったことない…前から気になっていました。
昔からの集落には神社が必ずあるはず!
行ってみるか☆
※真実か否かは知りませんが、そう思って、あれば良し、無くても良し。
〈長崎市 太田尾町〉

↑これ以上車で行けない所にわたしの気を引く四角柱が
↑ふと目線を奥にやると…!

↑あったー\(^o^)/向之神様(向かいの神様)です。※ミツカン水の文化センター参照
(⇐2026.3.2追記)
まさか四角柱を気にしただけで神社にたどり着けるとは!
わたしったらすごい強運

(Google Mapマップに記載無し)
四角柱は古い橋の親柱のようです。(風化している刻字より)
こちらずっと昔の水害で大きな被害が出たところ。
もしかしたらその時流された古い橋の物でしょうか?(不明)
写真右の川もビシッと洪水対策されていますね。

↑趣があってキレイな参道です。
わたしはこのくらいだとキレイ(歩きやすい)だと思っています。
登山する方もそう思われるのではないでしょうか。

↑途中お稲荷さん🌾

↑ほこらアップ。
そしてさらに進みます。


↑到着☆またこちらもお稲荷さんのようです🌾
でも地元の方は向之神様と呼んでいるそうです。(前述の「ミツカン水の文化センター」による。)

↑文政12年8月。

↑天?保3年の水盤のような物には、太いつるが乗っかっていました。
山川河内は入りくんだ地形的に閉鎖的な集落です。しかし目立つ看板はあります。
こちらの神社をマップに登録しようと思ったけど、やめました。
ローカル神社って、あんまり部外者に来てほしくない事もあるかなと思って。
(こちらで嫌な思いをしたわけではありませんが。)
③水神・山神・土神
〈長崎市 太田尾町〉
長崎大水害でもその位置を変えなかったほこらとか。

なのでダムを建設する時も場所を変えずにこの場に残したそうです。
④奥の院さま(大日如来・空海)
向こうが見えないくらいの傾斜の坂道を、車で下ったりして登り口に到着![]()
そして先に書きますが、この先には空海さんが祀られています。
空海さんの御廟って有名なんですよね。そちらは高野山の奥の院という事ですから、こちらもそれに因んで奥の院さまと呼ばれているのは(近くにお寺が確認出来なくても)納得です。
〈長崎市 太田尾町〉

↑登り口からはすぐ!
コンクリートの標柱の文字は判読不能(わたしには
)

↑少し登ると…(例えばスカートで行けるくらいの難易度。でもスカートで行かないでくださいね
)

↑石仏2体が見えました!
そして向かって右にカエルの後ろ姿にそっっくりな岩
見事なカエル岩(ドンク岩)!

↑結構な岩の景観でしたよ

↑石仏は向かって左が大日如来さま。
奉納は昭和8年旧5月21日(空海さんの月命日)
施主は埼玉県の黒須□□さん
向かって右はおそらく空海さん
奉納日は大日如来さまと同じと思われる。
施主は黒須わかさん。ご夫婦か親子かな?
横置きの香炉は奉納が昭和4年旧12月。
他、御由緒は不明です。
ところでこの背後のお山(不動山)に不動明王などが祀られているのですが、
その不動明王、こちらの大日如来&空海さんで、真言宗の一般的な祀り方になるなと思いました。
参照
水と生きる集落 —長崎市太田尾町山川河内地区― - 関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室 https://share.google/wmiwv3vbdbR5qPSDH

