釛山(こがねやま)恵美須神社ときゃあまぐる坂 | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【到達率 永遠の99.9%】
※ブログにしていない物も含む。

【ブログ更新お休み中】
ひとまず終わりを迎えました。
また個人の趣味ゆえ誤記などあると思います。ご容赦ください。

ランニングもしています♪

お山 ドンとこ~い爆笑!

どうせ登るんでしょ?覚悟は出来てるもんねプンプン

…って思ったら違いました(笑)

よかった…

お次は
釛山恵美須神社です!

人名っぽい!?

釛山 恵美さんニコニコみたいな。

〈長崎市飽(あく)の浦町〉
↑社名の由来は

①対岸の恵美須町から移転したから。

②むかし近く(ジャイアントカンチレバークレーンの辺り)に「金島(こがねじま)」と言う島があったから…と書かれています。
(今は埋め立てられています。)

そしてさらに別の資料では金島には蛭子(えびす)祠があったと言われ…。

何か関係あるのか無いのか!?



さておき境内を見ていきましょう照れ

まずは車の進入口を見送りつつ…
↑1の鳥居(花崗岩)から(^^)

長崎界隈でわたしが見てきた中では、
花崗岩の鳥居は比較的新しい物(明治~)が多いです。

合格長崎は花崗岩の埋蔵量は少々ありますが産地ではありません。
(『新・長崎市史』の付録地図より。)

↑そして神社が五箇所商人※から寄進を受け、その商人たちがこの地を御用地とした証の灯篭。
(実際は2基有ります。)

※江戸時代初期の生糸(繭から採ったままの糸)貿易を独占していた
長崎、堺、大阪、京都、江戸の商人。

↑『恵比須波止跡』石碑

『恵比須』って彫られているのがわかります。


むかし
この神社の前まで海だったそうです。
その頃波止場がこの辺りにあった目印だそうです。
(移転されたもの。)

↑由緒書きより。
赤○が鳥居です神社



↑続きましてこま犬さん&手水舎パー

↑大筒も砲弾も有りました!

扁額は明治期に一時的に「稲佐神社」になった時の物かな(^^)
(由緒書きより。)

大筒には
「太子少保 湖廣 總督…(中国の官職+地域+官職…)」

(このキーワードで検索すると李鴻章が出ては来ますが、ハッキリ言って解りませんもやもや)

↑大筒は同治6年(1867年)造みたいです。


砲弾は当然こちらの大筒の物では無いでしょうね。


↑2の鳥居ヒヨコ

↑拝殿と
↑ご本殿と近代的ビル 学校

↑金刀比羅神社&柿本神社

登らない金刀比羅神社だひらめき電球

ブランコもあるよ流れ星
↑こちらは五社稲荷神社と横にすべり台音符

こうなると鳥居まで遊具(うんてい)に見えますルンルン
↑またまた砲弾。



境内を出て少し行くと…
↑きゃあまぐる坂雷(変電所の坂)です!

有名な事ですが、
きゃあまぐる坂とは福山雅治さんが名付けました。
「『気絶するほどすごくキツイ』坂」と言う意味だそうです。

写真より急ですあしあと
わたしは初めて来ましたニコニコ
↑登った変電所前からのながめキラキラ

「きゃあまぐる」
ってわたしは使ったこと無かったし、数年前に知りましたダッシュ

…で、
せっかく(!?)神社で登らなくても、

ほかで登って結局ながさき🇳🇱(笑)