どうせ登るんでしょ?覚悟は出来てるもんね

お次は
釛山恵美須神社です

人名っぽい

釛山 恵美さん

みたいな。
〈長崎市飽(あく)の浦町〉

↑社名の由来は
①対岸の恵美須町から移転したから。
②むかし近く(ジャイアントカンチレバークレーンの辺り)に「金島(こがねじま)」と言う島があったから…と書かれています。
(今は埋め立てられています。)
そしてさらに別の資料では金島には蛭子(えびす)祠があったと言われ…。
何か関係あるのか無いのか

さておき境内を見ていきましょう

まずは車の進入口を見送りつつ…

↑1の鳥居(花崗岩)から(^^)
長崎界隈でわたしが見てきた中では、
花崗岩の鳥居は比較的新しい物(明治~)が多いです。

長崎は花崗岩の埋蔵量は少々ありますが産地ではありません。
(『新・長崎市史』の付録地図より。)

↑そして神社が五箇所商人※から寄進を受け、その商人たちがこの地を御用地とした証の灯篭。
(実際は2基有ります。)
※江戸時代初期の生糸(繭から採ったままの糸)貿易を独占していた
長崎、堺、大阪、京都、江戸の商人。

↑『恵比須波止跡』石碑
『恵比須』って彫られているのがわかります。
むかし
この神社の前まで海だったそうです。
その頃波止場がこの辺りにあった目印だそうです。
(移転されたもの。)

↑由緒書きより。
赤○が鳥居です


↑続きましてこま犬さん&手水舎


↑大筒も砲弾も有りました!
扁額は明治期に一時的に「稲佐神社」になった時の物かな(^^)
(由緒書きより。)
大筒には
「太子少保 湖廣 總督…(中国の官職+地域+官職…)」
(このキーワードで検索すると
李鴻章が出ては来ますが、ハッキリ言って解りません

)

↑大筒は同治6年(1867年)造みたいです。
砲弾は当然こちらの大筒の物では無いでしょうね。

↑2の鳥居



↑金刀比羅神社&柿本神社
登らない金刀比羅神社だ

ブランコもあるよ


↑こちらは五社稲荷神社と横にすべり台

こうなると鳥居まで
遊具(うんてい)に見えます


↑またまた砲弾。
境内を出て少し行くと…

↑きゃあまぐる坂

(変電所の坂)です!
有名な事ですが、
きゃあまぐる坂とは福山雅治さんが名付けました。
「『気絶するほどすごくキツイ』坂」と言う意味だそうです。
写真より急です

わたしは初めて来ました


↑登った変電所前からのながめ

「きゃあまぐる」
ってわたしは使ったこと無かったし、数年前に知りました

…で、
せっかく(!?)神社で登らなくても、
ほかで登って結局ながさき🇳🇱(笑)