今回も長崎の佐賀、旧伊万里県の深堀です
目的地は
三浦能仲(よしなか)が13世紀に建立、
金谷山(きんこくざん) 菩提寺
金谷山の山号は
三浦氏(深堀氏の祖先)の出身地である三浦半島の現横須賀市の金谷(かねや)から来ています。
※前回間違えて、三浦氏の出身は三浦の荘の深堀と書いたんですが金谷の誤りです
( ̄▽ ̄;)
ごめんなさい!
深堀は現千葉県のいすみ市です。
三浦氏がそこを所領したので深堀と改姓。

↑石門に「遥源」?
遥源って何かなと思ったら
遥远的源头と出てきて(読めない
)
「距離的·時間的に遠い源」みたいな解釈をわたしはしましたが
物事の興り?とか昔の初心…みたいなものを忘れないように彫ったのかなぁ?

↑よくお寺の前に
「不許葷酒入山門」
(くんしゅ山門に入るを許さず)
と石碑があるのを見かけますが
こちらは
「不許葷酒山門入」
ん?間違い?どちらでもいいの?
意味は
「匂いの強い食べ物やお酒を口にしたらお寺に入っちゃダメ」
って解るけど…。

↑小川か堀にこんな石の渡し☆


↑ご本堂で作業されていた方に、
ご挨拶と質問をしました!
わたしは常日頃、
宝塚歌劇団みたいに堂々と質問しようと心掛けています

でもハードルが高いのか、よく噛んでしまいます


↑境内にはインド菩提樹
シャカがその根元で悟り(菩提)を開いた木です。
その木の子孫の菩提樹との事

↑境内脇には深堀騒動(長崎喧嘩)で
亡くなった佐賀藩士達のお墓。
…それは江戸時代、
深堀(佐賀藩)の武士が歩いていたら泥がはねた事がきっかけ。
それが長崎の、
大名クラスの経済力を持つ有力町人
高木家
…の仲間(ちゅうげん、召使みたいな役)にかかりました。
そして
長崎町人(名字帯刀、大名クラス
)VS佐賀藩士の争いになりました

武士方、謝ったそうなのですが…
その後
仲間(ちゅうげん)達は、
争った佐賀藩士達のいる深堀屋敷(深堀とは違う場所)に押し掛けます
そして暴れます
なのでさらに深堀の武士達は
その仲間(ちゅうげん)の仕える高木家屋敷へ討ち入って
仲間の主人の高木彦右衛門を打ち取ったのです
その後
武士達には切腹や流罪などの御沙汰が下ります。
町人達の方は、斬首や追放など。
カンタンに書きましたが、この事件は
赤穂浪士達が討ち入りの参考にしたのではないか
などと言われています。
真相は「
」

少し離れた深堀陣屋跡のアコウ★
長崎市の天然記念物
(先ほどの深堀屋敷とは違いますよ♪)
後ろの石垣もいい
この木の下で
食べてみたい…
そうやって居る内に、自分が根っこに飲み込まれそうです

