史跡巡りは宝探しの後で①26聖人乗船場跡 | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【到達率 永遠の99.9%】
※ブログにしていない物も含む。

【ブログ更新お休み中】
ひとまず終わりを迎えました。
また個人の趣味ゆえ誤記などあると思います。ご容赦ください。

ランニングもしています♪

緑色の宝物をゲットした後はもちろん

東彼杵を散策するに決まっているぱんだランです☆
↑万部塔(キリシタンではない証明)やマンホール蓋

仲間(元島鉄バスガイド日本国旗)の嫌いな神社にもコッソリ行きたいので、
仲間には車で待っていてもらいます車

行き先を告げずに「ちょっと行ってくるけん!」と…
でもこれは良くないですねf(^_^;

青すぎる…空も、海も、植物も⋆。˚✩

この辺り、
彼杵浦(そのぎうら)から日本26聖人※たちは
対岸の時津(とぎつ)へ向けて出航したそうです。
↑参考:対岸の時津町の上陸の地の碑。

合格埋め立てのため、
実際の場所はもっと内陸みたいです。

※日本26聖人…16世紀末、秀吉の命により長崎で殉教した外国人キリスト教宣教師や日本人信者。
12~13才の少年もいました。
↑駆け足で進むと海辺の八坂神社キラキラ

みなものきらめきは悲しみすら跳ね返します。
↑八坂神社の様子。
↑その横は彼杵(そのぎ)港です。
フィリップ(左下)付きの絵師川原慶賀による彼杵港カラーパレット

先程の八坂神社も描かれています☆

絵にもある大村湾を、琵琶湖に対して
琴湖(きんこ。昔は湖は海と同義)」と呼んだと言われる
頼 山陽(らいさんよう)先生をはじめ、

あの吉田松陰先生などもこの彼杵宿を通過したようです。
↑彼杵港は26聖人たちの
「乗船場の碑」から駆け足ですぐ。

26聖人たちの処刑の後、
元禄年間に彼杵港は開港したそうですが…

乗船場と彼杵港の場所は違ったのかなー?


そんな時…
スマホがわたしをえぐるように震え出しましたビックリマーク

ブーッブーッスマホ))

手馴れた様子で、
手袋のジャガイモでスマホを確認下差し
↑うわ~あせる
車で待っている仲間から!!メール

仲間の場合、
絵文字も顔文字も使っていない事から、
ご立腹の様子!

仲間は激怒した
走れぱんだラン!
仲間のために(笑)

走れメロス風(^^)