我が長崎市の市木はナンキンハゼ。
街路樹によく見られます(^^)

↑長崎市平野町には、自分も市民の1人だと思いこんで、いつまでも横断待ちしているナンキンハゼもあります(!?)
(渡り口の真ん中に生えていて渡りづらいよ~
)

↑その近く、長崎市坂本に
稚桜(わかざくら)神社があります。
鳥居はなく、11:02のモニュメントがあります。
この裏は長崎大学医学部です。
戦時中は長崎医科大学でした。
原爆で建物が全焼全壊。
(爆心地から北に約600m)
学生や大学関係者892名が亡くなりました。
教壇、座席についたままの姿勢で…。
こちらは、このような悲劇が2度と繰り返されない事を願っての銘板だそうです。
稚桜神社は被爆神社です。

↑稚桜神社へ上がります。
長崎奉行の荒尾成允(なりまさ)命名です。
正面には原爆死没者の慰霊の碑もあります。
石が並べられているのでよく観察(^.^)

↑すごく小さい神社です
元のほこらは1844年に奉られたそう。
今のほこらは原爆後再建された物。

↑まち興し的な伝説の1つ、神功皇后の鎮懐石伝説の地でもあります。
江戸時代の西川如見(じょけん)の
「長崎夜話艸(やわそう)」によると、
神功皇后は夢のお告げでこの辺りの石を採り、帯に挟んでお腹の子を守ったとか、お産を遅らせたとか…
さらに「長崎名勝図絵」(江戸期)には、
そんな神功皇后の鎮懐石の伝説を受けた長崎聖堂(学問所、俗に中島聖堂)の人が
ニニギノ山(今の金比羅山)よりヒウチ(燧)石を採り、こちらの神社へ奉納したと書かれているそうです。
そのヒウチ石はもちろん原爆により所在はわかりません。
この辺りの石は、地質学的に角閃石安山岩(赤みがかっている)だそうですが、長崎ではその種類の石を鎮懐石と呼んだそうです。
知らなかった
(「わかる!和華蘭」より)
つまり写真の赤っぽい石碑自体が鎮懐石(角閃石安山岩)製?
でもヒウチ石と角閃石安山岩とは別物?
さらにヒウチ石は雲南石に似ていたとか?
ネットでさらっと見たけれど良くわからなかったです(^-^;
↑山上憶良の
鎮懐石を詠める歌一首並びに短歌の石碑。
これに出てくる地名などから、
この近辺(石神町)で神功皇后は鎮懐石を拾ったのだろうという事にしたそうです。
作り話も古くなるとそれなりになってきます。
話の真偽云々より、人々がそうしてきたというのがわたしの着眼点ですけど(^ー^)
真実ならなお良し
ですが
石の事は知りたい
(
色々とご教授くださった
「長崎学研究所」様、ありがとうございました。)
