先月行った長崎市の春徳寺のかたから勧められたので…

↑大村市の、本経寺(ほんきょうじ)へ行って来ました

↑ご本堂。
この辺りの藩主であった、大村家の菩提寺です。
ちなみに大村家は大村の市長さんも輩出されています。
わたしの住む町もこの大村藩でした

↑境内の様子。
さて今回のメインはお墓です。
お墓といえば、既に7月にお盆を済ませた地域もあると思いますが、
長崎やその近辺では、8月のお盆になると花火や爆竹を買い込みお墓でしますお盆の夕方は花火の音でとても賑やか♪
夏の風物詩
です(^^)
中国の影響です
ではこれから本経寺の、県指定有形文化財の大村家墓碑群の一部をご紹介したいと思います。

↑21代、純信公の墓所。
今でもよく見る笠塔婆(かさとうば)タイプ。
元々跡目を継げないお立場の方でした。
それでも忠臣のお陰で継げるようになり、大村家は断絶を免れます。
それで重臣たちは万歳を叫び、その声が山にこだましたそうです。
故に本経寺は萬歳山と称するそう。

↑小佐々前親(こざさ あきちか)と愛犬華丸の墓所。
境内に可愛いわんちゃんの石像がありましたね
その子が華丸です
(デフォルメされていると思いますが
)
小佐々前親は先程の21代純信公を守り育てた方。
純信公、急逝の折り、追腹(亡くなった人物の後を追って切腹)して殉死しました。
小佐々前親を荼毘に伏していると、その愛犬の華丸がその火中へ飛び込み命果てます。
この主人にしてこの忠犬あり…。
華丸の墓所は日本最古の犬の墓所と言われます。
世界の動物愛護史上類を見ない、貴重な碑だそうです。
隠れキリシタン発覚事件「郡崩れ」時の藩主。
6メートルを超す高さ!
す、すごいの一言

大村藩は小さな藩でしたが、それにしてはこの大きさの墓石は珍しく
キリシタンからしっかり仏教に改宗したとのアピールと言われているそうです。

↑どなたのものだったかな
(純長公の継室、圓了院?)
六角形です。
笠の蕨手(くるんとなっている所)がミルククラウンのようではありませんか

五輪塔は中世に多く見られました。
卒塔婆の元になった形です。








