圧巻必見!本経寺の巨大墓碑群! | 小さな幸せと長崎♡

小さな幸せと長崎♡

長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【到達率 永遠の99.9%】
※ブログにしていない物も含む。

【ブログ更新お休み中】
ひとまず終わりを迎えました。
また個人の趣味ゆえ誤記などあると思います。ご容赦ください。

ランニングもしています♪

先月行った長崎市の春徳寺のかたから勧められたので…ニコニコ
↑大村市の、本経寺(ほんきょうじ)へ行って来ましたイルカ
↑ご本堂。
この辺りの藩主であった、大村家の菩提寺です。
ちなみに大村家は大村の市長さんも輩出されています。

わたしの住む町もこの大村藩でしたニコニコ

↑境内の様子。

さて今回のメインはお墓です。

お墓といえば、既に7月にお盆を済ませた地域もあると思いますが、
長崎やその近辺では、8月のお盆になると花火や爆竹を買い込みお墓でします花火
お盆の夕方は花火の音でとても賑やか♪
夏の風物詩風鈴です(^^)

中国の影響ですニコニコ

ではこれから本経寺の、県指定有形文化財の大村家墓碑群の一部をご紹介したいと思います。
↑21代、純信公の墓所。
今でもよく見る笠塔婆(かさとうば)タイプ

元々跡目を継げないお立場の方でした。
それでも忠臣のお陰で継げるようになり、大村家は断絶を免れます。
それで重臣たちは万歳を叫び、その声が山にこだましたそうです。
故に本経寺は萬歳山と称するそう。
↑小佐々前親(こざさ あきちか)と愛犬華丸の墓所。
境内に可愛いわんちゃんの石像がありましたね犬その子が華丸ですニコニコ(デフォルメされていると思いますが爆笑)

小佐々前親は先程の21代純信公を守り育てた方。
純信公、急逝の折り、追腹(亡くなった人物の後を追って切腹)して殉死しました。

小佐々前親を荼毘に伏していると、その愛犬の華丸がその火中へ飛び込み命果てます。

この主人にしてこの忠犬あり…。

華丸の墓所は日本最古の犬の墓所と言われます。
世界の動物愛護史上類を見ない、貴重な碑だそうです。
↑22代純長公の墓所。
隠れキリシタン発覚事件「郡崩れ」時の藩主。

6メートルを超す高さ!
す、すごいの一言びっくりドンッ

大村藩は小さな藩でしたが、それにしてはこの大きさの墓石は珍しく
キリシタンからしっかり仏教に改宗したとのアピールと言われているそうです。
↑どなたのものだったかなはてなマーク
(純長公の継室、圓了院?)
六角形です。
笠の蕨手(くるんとなっている所)がミルククラウンのようではありませんかほっこり
↑23代純尹(すみまさ)公の墓所。
↑20代純賴(すみより)公の五輪塔(ごりんのとう)タイプの墓石。

五輪塔は中世に多く見られました。
卒塔婆の元になった形です。
クルス燈籠
密かに十字架を模した物…とは後世の憶測か。
(燈籠製作年が、禁教令後と伝わります。)
↑28代純昌(すみよし)公の石霊屋(いしたまや)タイプの墓所です。
在位時、フェートン号事件が起こりました。

フェートン号事件は長崎の出来事でとても興味深い出来事です。

合格詳しくお知りになりたい方はコメントくださいウインクみ~っちりお教えしますからグラサン
あるいはウィキペディアへ(^^)

↑①先程の純賴公の父であり、日本初のキリシタン大名大村純忠(ドン·バルトロメオ)の息子の19代善前(よしあき)公の墓所。

善前公も(純の字がついていませんね)キリシタン(洗礼名、ドン·サンチョ)でしたが、豊臣秀吉や徳川家康の禁教令下、加藤清正公の影響により日蓮宗へ改宗しています。

そしてこちら本経寺を建立しました。
(それ以前の神社や寺院は打ち壊されていました。)

②善前公のお隣には16代純伊(すみこれ)公が眠っています。
↑22代純長公の息女まし様の墓所。
墓石のメイン棹石の右上に継ぎ目があることから継ぎ墓と呼ばれているそうです。
↑まさに墓石の巨大迷路のようでした!!

写真では迫力が伝わらないのがとてもとても残念です(>_<)
なので、行ける方はぜひ足を運んで見学なさって欲しい所ですビックリマーク

圧巻ですキラキラ

(拝観料や予約&受付は不要です☆)

少し前にご紹介した春徳寺の東海さんの墓所の上を行きます。
↑長崎市の東海家墓所の一部。
もちろん東海さんの墓所もすごいんですけどね(あちらもお墓と言うより境内みたいですから)ビックリマーク