年が明けて2019年、第1回目の鳥居巡りは…。↓

そうお寺!
長崎市琴海戸根町です。
説明板には、大村純忠の娘、伊奈(自證院・ドンナ・マリイナ)のために建てられたお寺(日蓮宗)とあります。
大村純忠(ドン・バルトロメオ)は亡くなるまでキリシタンでいられましたが死後、キリスト教弾圧が厳しくなっていきました。
多くのキリシタン(キリシタン大名や混血児たちなど)が、改宗したり、国外追放されたり、殉教したりしました。
純忠の息子の喜前(よしあき、ドン・サンチョ)はキリシタンでしたが日蓮宗に改宗しています。
娘の伊奈は信仰を棄てなかったんですねえ…。
仏教徒を装わされたそうで、伊奈はつまり潜伏キリシタンですね。
※潜伏キリシタン=江戸時代に密かにキリスト教の信仰をもった人々。
※隠れキリシタン=明治以降もカトリックに属さず、それまでの潜伏キリシタンとしての、密かな信仰を続けた人々。
↑潜伏キリシタンとは、30~40年前から使われ始めた用語だそうです。
それより鳥居鳥居言っといて、いきなりお寺って、ぱんだランとうとう神社に飽きた?
いいえ。ただ神社もお寺も教会も、長崎のものなら平等に見学し、勉強したいのが本音です。

↑お寺のつり鐘。
あら今回はお寺巡りなの?やっぱり

↑色々なものを奉納するのは神社もお寺も同じなんですね。
この琴海地区の神社は、歌手さだまさしさんの島にある「詩島天満宮」以外全て踏破したと思っていました
詩島は私有地です。それに新しい天満宮なので絶対肥前鳥居ではないし。
でも…行きたいですけどね!!
それで今回はお寺巡りなの…?
まだ
あくまでも鳥居巡りです!
何故ならば
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↑自證寺の中に鳥居!!!
国道から見つけた時はビックリしました!
(そのときはたまたま助手席に居たので気づけました。)
しかも笠木と柱下部に継ぎ目があってうれしい(^^)
でも、肥前鳥居ではありませんね。
肥前鳥居は慶長年間(1596年から1615年。江戸時代の始まった前後。)に多く作られたものが多いそうです。
でも年代で分類ではなく、形(継ぎ目やフォルム)で分類されれば、長崎市内にも肥前鳥居に似てるの有るんですけどねぇ。
うちの子供たち、「紙粘土で肥前鳥居を作ってー」とよくねだります(^o^;)
佐賀に、肥前鳥居ブロックとか、肥前鳥居積み木ってないかなー。
↑(とっても良く晴れていました!)擁護殿とあります。擁護殿とはなんでしょう?
社殿の中は仏教の様式で、木魚や鈴(りん)や金の蓮の常花がありました。
加藤清正公や妙見菩薩(だったかな!?)をお祀りしていました。もう一柱お祀りされてたような…曖昧な記憶スミマセン。

↑錨マークと旧琴海町の町章、☆マークが有ります。
☆マークは長崎市の市章??
錨の上部に花のあるマークは海軍大臣旗に似ていますが…。
石碑の周りの砲弾ぽいものは石造りでした。
金属の砲弾は、寺社や教育機関に過去の戦勝記念で配布されたようですが、結局第二次大戦中に没収されることが多かったようです。
※こちらのお寺に金属の砲弾があったかはわかりません。(ガイドさんがいればなあ)
この慰霊碑の後ろには、中国のどこそこで、どのような戦いをしたか…などが彫られた石碑がたくさん有りました。
(私事ですが私の祖父は海軍で、ソロモン諸島へ出征していました。でも出身がこの辺りではないので、ここの石碑には書かれていないはず。)
まあしかしお寺の境内に神社が有るのは珍しい事ではなかったそうで、驚いた私はまだまだ勉強が足りませんね
頑張らなくては

