「母猫の想い」

母猫は、3匹の仔猫の子育て中だった。
沢山食べて、沢山お乳を出さないと、過酷な野良猫生活は乗り切れない。

今までも、沢山の仔猫の死を目の当たりにしてきた母猫は、生きるために、仔猫の為に必死だった

食べられる物を食べ、飲める水を飲んだ

それが…

この世の中には、猫が好きな人間も居れば、猫が嫌いな人間もいる。

猫が好きな人間は、必死に生きている猫達に、せめてもの御飯を与え…

猫が嫌いな人間は、出来る限り遠ざけようとする…

母猫は、愛らしい仔猫を舐めて綺麗にしてやりながら、毎日、御飯をくれる春子さんの家の駐車場で生活をしていた。
春子さんは、毎日母猫に御飯を出してくれた。
母猫をキーちゃんと呼び、優しく猫の親子を見守ってくれていた。
暖かい日は、日向で仔猫が遊び、雨の日は車の下や、軒下で雨宿りをした。
仔猫は、日に日に大きくなり、一人であちこち歩き回った。

母猫は、仔猫に生きていく術を教える時期だと感じた。

縄張りの作り方、道路の渡り方、そして…御飯を食べる場所等
仔猫は乾いたスポンジのように、母猫の教える事を吸収して行った。

母猫は、そんな子猫達が頼もしくも有り、心配でも有った。
人間は、優しい人と怖い人が居る
優しい人も、怖い人も、御飯をくれる お水をくれる

出された物が、危険なのか、安心なのかは、分からないのだ。
危険な毒物は、時として味も匂いも無い。

母猫は、仔猫に決まった人の家で御飯を食べるように教えた。
仔猫は母猫の言いつけを良く守っていた。

暑い日差しが和らいで来たある日、仔猫と母猫は連れ立って散歩をしていた。
草むらで追いかけっこをして、虫を捕まえた
道路をすばやく渡りきった。
水溜りに顔を映した
日向で、お昼寝をした。
平和で幸せな時間だった。

日が傾いてくると、母猫は子猫たちに言った。

「さあ、帰りましょう」

母猫に付いて、仔猫もはしゃぎながら歩き始めた。

角を曲がると、猫が嫌いな人間の家の前に出た。
「坊や達、ここは静かに急いで通り過ぎなくてはならなの。静かにね」

「ええ~どうして?こんなに楽しいのに~」

「いいから早く!」

その時!家の窓から、突然水が飛んできた
「野良猫!あっち行け!」

危ない!
母猫はとっさに、仔猫に覆い被さった。
水は、母猫の背中ではじけ、背中はびっしょりと濡れた。

「急ぎなさい!早く!」

母猫にせかされて、仔猫は走った
「お母さん!怖いよ!」

「走りなさい!いつものお庭に急ぎなさい!」

仔猫は先に着くと、車の下に逃げ込んだ
「怖いよ。お母さん、怖いよ!」

暫くして、母猫はフラフラになりながら戻って来た

「お母さん!どうしたの?お母さん!」

母猫は口から白い泡を吹いている
「私の大切な坊や達。みんな無事ね?」

「お母さん!僕達は3匹とも大丈夫だよ。お母さん!どうして苦しそうなの?ねえ、どうして?」

母猫は、何かを言おうとしていたが、声が出なくなっていた。

春子さんが、家の中から庭に出てきた
「あらっ?キーちゃん、どうしたの?どうして泡が…」

すると、母猫は小さく「ニャー」と鳴いた。

「キーちゃん!?キーちゃん!!どうしたの!!」

既に立てなくなっていた母猫のお腹の辺りには、3匹の仔猫がおっぱいを飲んでいた。

「キーちゃん!キーちゃん!」

すると母猫は、少しだけ頭を起こして、「ニャー」と返事をした。
既に声が出なくなっていたので、実際には、口が開いただけだったが…

春子さんには聞こえた
母猫の声…
「少しだけ、優しさを下さい。
私達も生きているのですから。
私たちは、人間と仲良く暮らしたいのです。
生きていれば、ウンチもおしっこもします。
声も出れば、走りもします。
だからって、嫌わないで下さい。

私の子供達を、迫害しないで下さい。
人間の子供も、私達の子供も、生きています。
愛らしい目をしています。
愛らしい口で、お話をします。

お願いです。
少しだけ、優しさを下さい。
見守って下さい。
昔から、私たちは、あなた達とこの地球で生きているのですから。

どうか…子供達をお願いします」

春子さんには、そう聞こえたのだった。

そして、母猫は小さく震えて…そのまま動かなくなった。
仔猫は、母猫のお腹の辺りで、3匹で蹲り、母猫から離れようとしなかった。

苦しい息の下で、体を引きずりながらも仔猫の元へ戻ってきた母猫

母猫のぬくもりは戻って来ない。既に冷たくなり、動かない
口から泡を吹き、痙攣して、そして動かなくなった母猫
霞んでいくその目に、仔猫達が映る。
薄れていく意識の中に、仔猫の声が響く

母猫の最後の想い
声にならなかった最後の願い
どうか、子供達をよろしく…


春子さんは仔猫達を、1匹づつ両手で抱き上げ、ダンボールに移すと、家の中へいれた。
そして、母猫の亡骸を、庭の花と一緒に丁寧に庭に埋葬した。


「お乳をあげに、必死で戻って来たのね…辛かっただろうに…。仔猫の事が心配でならなかっただろうに…。分かったよ。子供の事は心配しないで。ちゃんと安全に暮らせるようにするからね」

「ニャー」
声にならない母猫の返事が、また聞こえた気がした。

終わり

このお話はフィクションです。
しかし、モデルになったお母さん猫は実在しました。
過去形なのは、そのお母さん猫は、もうすでに虹の橋の袂へ旅立っているからです。
何故、母猫が死んでしまったのかは、分かりません。
ただ、口から泡を吹き、小刻みに震え、亡くなった。それだけが、分かっている事です。
悪意のある人間が、猫に有害な物を摂取させたのか?
偶然、何かが体内に入ったのか?
それは今でも分かりません。
子猫を残して旅立った母猫の心情を思うと、苦しくなります。
子猫は、餌やりさんの家の庭で御飯を貰って可愛がられています。