このところ

わかったことが一つ


人間の想像と体験は違うということ。



自殺したことのない人が

死ぬ気になれば何でもできるのに・・・


っていうのは本来少し違う・・・と思った。


というのは自殺した人の心境になったことがない

ということに他ならない。



私は数年前

自ら死を選んだ友人が三人おりまして


そこそこ仲が良く


一人は直前にメールが

一人は遺書が

一人は奥さんがいろいろと私のことを話していた・・・と


まあパフォーマンスで死ぬ気もないのに

自作自演の人もいましたが・・・


小さな子供がいて

会社では将来有望しされて

満を持して独立


その後、荒波にもまれ・・・・



その、すべての人が


「ごめんね。ありがとう。。。」

という言葉を残し・・・





はっきし言って

私はそのようなことが脳裏をよぎったとしても

そんな勇気はありません。



また、それはプライドなのか?根性が足りないのか?

精神的なものなのか?成り行きなのか?


私にはわかりません。

その心境になったことがないからです。




先日、食事をとりながら打ち合わせをしていた際

ふと思った疑問が



「越えられない壁はない。必ず以前より少しだけ高い

 壁が用意されているだけ・・・」



との話をしている際に



「その壁を越えられない時って

 どんな時なんだろう・・・」



と漠然と思ったのです。



たとえ、その壁を越えられなく、

今、残念な結果になったとしても


時がたち、そのことを懐かしく思えるようになった時には



「その壁って越えたことになるんとちゃう?」



壁を越えられなかったって

死ぬっていうこと?



たとえ達成ができなくても

将来的にそれが良かったことかもしれないし

その達成ができなかった事って

なにか問題なのか・・・な?



仲の良い友人から

今年に入って二回ほど説教されました。

一度目は年明け早々の大惨事に・・・

二度目はテンションが落ちていた私に


要は、すべての考えは

自分の脳が指令を出しているのです。



受け入れ、対応策を考え

それが幸せな状況と

脳が指令を出せば


たとえ、大きな問題でも

与えられた最高の楽しみだと思え・・・と


うむ


今まで確かにそう思っていた。

そのとおりにやってきた。



のに・・・




最悪のことを考え

不安になるのも自分の脳が指令を出した上での話


ぢゃあ

最悪ってどんな状況?




私が自分の中で考えうる

最悪を考えた場合


それを超える最悪って

あんましないな

だってそれ以上の最悪は想像できないわけでしょ



単純な脳を持っていて

良かった


「ありがとう、感謝してます。。。」