愛されなおちゃんです
いつも読んでいただき、ありがとうございます
自分の理想とする「家族」と
実際の家族の現状や望みがかけ離れていて
苦しんだことはないだろうか?
私はそうだった
わが家のまとめ役は、父だった
夏や冬は旅行へ
祝い事には焼そばや焼肉
父が鍋奉行になって進行されていく
私達は「美味しい
」と言って
ただ食べていればよかった
実際、そのごちそうも借金て賄われてたので
最後の最後は首が回らなくなってしまったが
間違いなく、その時は幸せだった
私は父と性格が似ていて
なんでも豪快で、
「家族が1つになる」ことが幸せだと
思っていた
しかし、まとめようとすればまとめようと
するほど
家族にとって大きなお世話になることが
多く
長年悩んできた。
ただ、最近思ったことがある。
それは、私の思う幸せと
家族の考える幸せが違うのではないか?
ということ。
家族みんな、決められること、
まとめられるのは好きじゃなくて
たまたま集まったほうがラクで好きなんだ
そして、私が父の代わりをする必要はない
ってこと
実家に行きたいと思えば
また帰ればいい
それを考えていたら、こんなことが浮かんだ
「これをしてもらったから愛されたはない」
ってこと
例えば、遊園地や旅行に連れて行ってもらったから、愛された?
授業参観に来てくれたから、愛された?
習い事をさせてもらったから、愛された?
そんな条件付きの愛情はこの世にないんじゃないか?って
仕事が忙しくて、親と一緒にいる時間が短かったとしても
家族を食べさせようとしてくれていたら
それは、まさしくその人にとっての
「愛情」
たとえ、受けとる側がそうは思えなかったとしても
私は小さいころから一人でいろいろ出来てしまったようで
あんまり手はかからなかったようだ
今思えば、「あのとき抱きしめて欲しかった」
ってことはたくさんある
だけど、両親はシャイであまりスキンシップを
とるほうではなかったので
抱きしめられた記憶はあまりない
だから、私は寂しさを感じやすいのかも
しれない
しかし、親の世代の育ち方・育て方
わたしの理想の「育てられかた」は違う
なので、「○○してもらった=愛された」には
必ずしもならない
そして、「A=Bの公式を手放す」ことが
親や家族を理解するには必要なんじゃないか
と思った
ぎゃくに、
あんなにしてもらったのだから
親の言うことを聞かなければ!
ってことも存在しない
一緒にいたければそばにいる
自分のやり方でやりたければ離れる
その中で与えられるものがあれば
有難く受けとる
逐一自分のことを説明する必要もなく
ただ元気だと伝えればいい
人の数だけ家族の関係は存在する
昔からテレビで描かれていた
「絵に描いたような家族」のほうが少ない
それを実感したときは少し寂しいかもしれないけど
そこをまず見つめて
その家族なりの距離を見つけて行けばいい
そう思います
以上、愛されなおちゃんでした