ぉま●ケ のブログ書いた!
一つ 前のブログの
おま●け の ブログ
「なうロージンホーム」の 横の 八百屋さんで買った
名も知らない 200円の 大根で喜ぶ 10年前のアタシ。
てか
BBA 今も 「おさげ」してんですが・・・・・
ま
楽ちんですよ おさげは。
息子は 中年おやじになってゆく・・・
しかもー-- 今はやりの 「子なし」夫婦だろう・・・・。
アタシゃ どーっぷり なうの日本に 漬かっているじゃんね~~
ま 年齢的に 「団塊」では 無いんだけどね
ほとんど 気分は RO-jingよ
(あ、ローハイドの 頭に浮かんだから 貼っときます)
♪ ローjing ローjing ローjing ♪!!
って 歌いながら 探しました)
お父さんと見ていた・・・・・
一緒に見た カッコいいなぁと思った。
戦争で・・・ お父さんたちの生活は
子供時代は悲惨
戦後も悲惨・・・・・。
アメ公の こういう物を どんな気持ちで見ていたのかなぁ
と
今 思う・・・・・。
敗北をかみしめたあと 憧れになったのかなぁ
戦後 横浜から宮城の田舎に引っ越して
高校を途中でやめて 丁稚にいったと
亡くなる1年くらい前に 知った。
住み込みで働いたみたい。
途中でやめたのは 「お金が無いから」 だと思う
それを お父さんは言わなかったけどね・・・・・
お父さんの 父親(私の祖父)は 「特高」だったようだから
田舎に戻ったのかも・・・・・
あのさぁ
特高とか 憲兵 してた人って 「退職金」とか出たのかな・・・・
どうなんだろう?知っている人いたら教えて。
(おじいちゃんとか 親戚のおじさんとか わかる人いないですか)
だって 日本負けちゃったんだもんね。
家族そろって 路頭に放り出されたって感じなのかなぁ・・・
私は お父さんには聞けなかった。
聞くのは かわいそうすぎると思った。
「特高」と言っても 祖父は 戦争になる前は
お巡りさん を していたという・・・
戦争前まで 小机の駅前にある 駐在所のお巡りさんしていたって。
その
駐在所 は 小机駅のローターリーに 今もある。
そして 小机にすんでいた。
戸籍を見ると 出生がちゃんと小机町だった。
もし
戦争が無かったら
お巡りさんをずっとして 警察勤めしたんだろうな
と
時々 その小机交番の そばを通るとき アタシは考える。
父も母も
アメリカを恨んだり
日本政府、 戦争への恨み 一度も言わなかった。
「食べるものが無くて 雑草んでたべた」 とか 「お金が無くて○○が買えなかった
履いてゆく靴が無いから 学校を休んだ・・・」
そういう 苦労話言っていたけど
そのあとに
「国 行政、アメリカ 戦争」 などについて
恨みや 不満を言ったのを 一度も聞いたことがない。
貧乏や 差別があっても 社会にたいする 不満やもんくを言わないのは
辛抱強いのか 昔の教育がそんなもんだったのか・・・・・。
良いのか 悪いのかわからないけど
美しい生き方だと思う。
「あなたにも 権利がある! 要求するべきだ!!」
今は こんな感じが主流かなぁ
伊是名なんちゃら・・・
スゴイよなぁ 80キロの車いすを 運べと
アタシなんか 息子ののったベビーカーを 人に運んでもらったことないし
運んでください
と 頼むなんて思いもつかなかった。
「今は ベビーカーだから その場所は行けないな、 ベビーカーでもOKな場所にお出かけしよう」
となるけどね。
伊是名なんちゃら 強い 強い。
すごい。
アタシゃ 大嫌いだけどね。
元気はつらつ (オロナミンC)
権利を主張するの エネルギーがいるもんよ・・・・・
免許を離さない高齢者とか 気に入らないと怒ってる老人とか
「エネルギー」持っていそうじゃん。
なー-んか
200円の大根から スンゲ― 話が脱線したな。
まあ
ローハイド
この歌の訳を調べてみよう~
いい曲だよなぁ。
さよオナラ。


