全くの 無口な人なのですが そんな 父が 話してくれたある 戦争の話がありました。
多分 横浜大空襲の時だと思います。
一機の B29が 飛行不可能の状態となっていました。(父は 機体がだめになり 墜落するとこだったと言ってました)
自分の基地に戻ろうとしたのでしょうか ・・・ 一度は 銃撃したところから 離れて行ったそうです。(海の方に行った といっていました)
しかし 基地に戻れるほど 機体が持たないと わかったのか
そのB29が また 引き返ました。
捜真女学校(明治19年バプテスト教会の設立した 女学校)の塔の 十字架を目指してきた と 父は言っていました。
自分の運命を 悟った そのパイロットは どんな気持ちだったのでしょう。
まだ 自分の神の元に 不時着すれば 救われると考えたのか
それとも 死を覚悟して 自分の神の象徴である 十字架の元で死にたいと思ったのか・・・・
やがて 女学校の十字架に 墜落しました。
そんな 話を 記憶していた私が あるとき 本屋(有燐堂 )で 見つけた この本
を 開いて 立ち読みしていると・・・・

本当に その 記述がありました!!!

この パイロットにも お母さんがいたでしょう・・・
もしかしたら 奥さんや 子供もいたかもしれない・・・
きっと 普通にお爺さんになるまで 生きたかったに違いありません。
異国の地で 死ぬ間際 どんなことを思うのだろうと 考えると・・・
戦争の 残酷さ、 戦うという事が 敗戦国のみならず
兵士となる人々に大きな犠牲と悲しみを 強要する 愚かなものだと 痛感します。

立派な 編み上げの「靴」を履いていたと記述されており
いかに 日本が物資に乏しくなっていたか伺われる。
そして その 「立派な編み上げ靴」は 死体から 早々に 奪われてしまったようだ。↓

戦争で亡くなった どこの国の どんな人にも 心から 祈りをささげたい・・。 大事な命を・・どうもありがとうございました・・・。
横浜大空襲も相当 酷かったようです・・・。
生きぬいた 私の両親がいてこそ 今の私があるのだ・・と思うと
生きているという事が とても 大切、幸運な事だと ありがたく思います。
株式会社 有燐堂発行 「昭和二十年の青空」 著者 赤塚行雄
横浜の 方は 興味深いと思います。