体調悪化して、少し落ち着いた頃の2月、両親に連れられて私は大きな病院へ来ていた。

バスに乗って、遠くにある大病院。

印象に残っているのは、バス停を降りてからあった公園。

そこから歩いた道のり。

 

 

 

 

当時の私の意識レベルは、

もちろん普通ではなかった。

ただ、かろうじて、紹介状を書いてもらった病院で

処方された薬を飲んで、

次の病院へ行く日を目指して、

日々過ごすという意思のみだったと思う。

 

年末のセッションや、その他でもひと悶着あり、

色々なトラブルも重なっていたため、

警察関係にも相談にのってもらっていた。

 

 

母曰く、病院で私は、初診の問診票に

内容を必死に書き出していたという。

枠いっぱいに。

持ち歩き+書き綴っているノートを見ながら。

書き綴ってるノートの証拠能力の高さは、

元の時にした離婚調停で、

ガッツリ活躍し、高力を発揮したことだった。

 

 

結論からすると、デイケアを利用して、

日中活動・生活リズム・人とのコミュニケーションを立て直す

というような内容を提案された。

 

代替医療として、私ができたことは、

できる範囲のデジタルデトックスをすることだった。

 

 

病院の帰りに、紹介された内容を見ながら、

父と母と食べた蕎麦が、今も記憶に強く残っている。

あの蕎麦屋は、今もまだ残っている。

それを知るのは、また少し先のこと。

 

まさか、あんな形で、あの病院へ

来ることになるとは、

夢にも思わなかったから。