【一調二氣三声】
先日の能のお稽古で
能楽師の先生が教えてくれた言葉。
謡は、瞬時に三つの事をしている。
謡の調。
周り(お囃子や鼓、拍子)との氣。
そして声。
だから考えるな。そんな暇はない。
調を合わせ、氣を合わせ、声を合わせる。
参った。
日本の芸能はこんなに深いものだったのか。
今更ながら自分は
芸の道をまだまだ×♾️踏み出してもいなかった。
悔しくて悔しくて泣いてしまった。
(いい年して泣いてんじゃねーよ
このブサイクババアが!
という皆様の心の声はthroughします)
先生に
「涙見せてしまってすみません」
と言ったら
「それでもついてくるんやから
たいしたもんや。
皆、一度は泣く。
実はこの三つを瞬時にやるのは、
とても難しいことや。
だから何度も何度も何度もやる。
出来ないのが当たり前。
そう簡単に習得出来ないから。」
と、お世辞でも励ましてくださった。
その優しさにまた涙。
そして…何故か清々しい気持ちにもなった。
嗚呼、私はまだまだ向上したいんだな、
という気付きがあった。
私の中にまだまだ、
子どもの頃の習い事でよくあった
「出来なくて悔しい」という、
無邪気な気持ちがあったんだと
気づいたから。
そして先生が教えてくれたのが、
タイトルの言葉。
【一調二氣三声】
これ、完全に✨神事✨やなぁと思った。
能楽は舞台の背景に松の木が描かれています。
この松を目印に、
神様を降ろすという意味も込めているので
この松の木を「鏡板」と呼ぶ。
神様=鏡、というのもあるんだろうね。
神様を謡で降ろすんだから、
そりゃ“神業”しないとよね🤔ふむふむ。
一調二氣三声。
神様と通じる為の心意気。
そう解釈しました。
能だけじゃない。
紙芝居も“一調二氣三声”だね。
調べ。氣。声。
この三つを使っていきたい。
芸の道は、まだまだ×♾️道半ば。
世阿弥のように、
死ぬまでその時分の“花🌺”を
咲かせて芸に励もう。
改めて誓ったのでした。
それにしても、悔しかったー🤣🤣🤣
あるよねー



