ご近所の散歩の続きです
ここも木が密接というか密着してます 笑
この下の方にある窓なんだろう?
そして公園からあのお屋敷が見えるよ!って。あの黄色い家らしいんですが、あんな感じだったっけ!?
近くに来てみるとこっち側は緑の窓。さっきいた表側からは全く見えませんでした。
だから違う感じがしたんだ。
そしてびっくり、こっち側は雇人が住んでいたんだそう
雇人て 笑
こんな風に表側ピンクの窓が家族が住んでいた方、緑が雇人が住んでいた方。
どんだけ広い家だったんだ。。。
ここにもあった低い窓
なんで親戚に聞かなかったんだろう。今になって小さな後悔 笑
当時のランドリー
家族の歴史さながらこの辺りの歴史も垣間みれて勉強になりました。
もし今でもこの家族がこのお屋敷を持っていたら。。。?とか考えちゃいますけど、歴史は変えられませんもんね
ただ、この一家が全てを失った元々の原因は戦争です。
戦争はその時だけでなく、その後何年も影響を及ぼすんですもんね。
暴力的なものだけでなく経済までも。
今もあちこちで戦争や紛争が起ってますが、難しいんでしょうがお互いを認めあって和解してくれればと願うばかりです。
まぁ私のような一般人が願っても解決するような事ではないのはわかってますが。。
さてさて最初の教会へ戻ってきました。
レマン湖がだんだん濃い青へ変わっていきます。
レマン湖沿いの道を走ってる車のライトが連なって、まるでキラキラしたネックレスのよう

6時になり教会の鐘が鳴り響きます
レマン湖にも響き渡ってるようです
この教会の鐘を聞きながら、今日改めて家族の絆を強めて、思い思いにふける大人達
ここの家族、本当に仲良しなんです
このあとフラットに戻り、同時の写真なんかを見せてもらいました。
もちろん白黒の写真ですが、ママのおじいちゃんはもちろん、ママのママが子供の頃の写真や、お屋敷の前の水飲み場まで広がるぶどう畑、当時の生活が見えてきて貴重なものを見せてもらいました。おじいちゃん、見るからに立派な紳士という感じでした。
他にもこの一家が当時生産していたワインのラベルやママのママが子供の頃書いたエッセイなんかも大事に保管されてました。
ここ一帯の税金を集めたりもしていて、その役職がのちにこの一家の名字になったようです。
最後に家系図に私の名前を入れたから確認してくれと言われ、見てみると。。。。
『ちょっと!私産まれたの1980年じゃなくて1981年ですけど?一歳若くなってんなら言わなかったけど、一歳年取ってるから言いますが(笑)』
義母の従兄が『今日のツアー上手く英語で説明出来なくてごめんね』と言ってきました。
いやいや、こちらこそフランス語話せなくてごめんなさい!!次来る時は少しは話せる様にしてきます!!ていうか私の英語より従兄さんの英語の方がお上手ですけど!?
この方ほんとに素敵なおじいさんで大好きな親戚になりました
明日でスイス丸1日ゆっくりできるのは最後。
明日はまた別の親戚のシャレーに行ってきます☆










