憎むは人の業(ごう)にあらず、裁きは神の領域
それを教えてくれたのは、アラブの友人たち

後藤健二さんの言葉です。
すごくいい言葉だなぁ・・・・・。
I AM KENJI
私が健二ならば、私がジャーナリストなら、
内戦地帯の人の思いを
彼らがどんなことに喜び、
どんなことに悲しんでいるのか?
それを伝えることが私の仕事だとしたら、
私の死は不幸でも恐怖でもない。
I AM KENJI
私の死によって世界の多くの人が
遠い異国の戦争を、この残虐を知り、人々の慟哭を知ったのなら、
そして、私の死を悼み、平和のために
「何か自分にできることはないのだろうか?」と
「私にも何かできないだろうか?」と
考え、遠い異国の平和のために「小さな何か」を
始めるきっかけになったのなら
I AM KE NJI
私の死は不幸でも、恐怖でもない。
私はそれを世界に伝えたかったのだから。
どうか、死の数日の私を
私の人生そのもの、と思わないで欲しい。
私はいつも子供たちと笑っていた。
私はいつも希望を探していた。
私はいつも平和を祈っていたのだから。
私は健二。
後藤健二さんに
合掌
こうして考えてみると、私たちには異国での内戦を止める
ことはできませんが、こうして真実を伝える人を
応援することはできます。
今回の出来事が「恐ろしいこと」でなく
世界の人々が異国の戦争を止めることについて、
「何か自分にできる支援を考え、実行する機会」
になればいいな。私はそう思います。
それが後藤さんが「この人生でやりたい!」とご自分で
決めてきたことなのかもしれません。
先日の施設移転に尽力してくれているAちゃん
が「私に施設の実働はできないけれど、
愛さんやさっちゃん(私の本名)のように、
救済の実働をしている人を応援することはできる。
支援することはできる。
そんな輪が広がって欲しいね

」と、言ってくれていました。
そうですね

私もその考えから愛さんの施設のボラを始めました。
私自身は犬猫を抱えるような保護はできないけれど、
救済や保護をしている人を応援することはできる
と、考えフードを抱えて愛さんの施設に行ったのが
はじまりのはじまりでした。
まぁ・・・いつの間にか、支援から
実働部隊になってしまいましたが・・・・(笑)
それでも、私の立場は変わらず、みなさんと同じ
いちボランティアです。
どうぞ、みなさんの手が誰かを救済する手になりますように。
どうぞ、平和と救済に奔走する人を支える手になりますように。
2月5日・午前9時半より、1月に施設の子にご支援いただいた方の愛しい子たち




のご供養・祈願を謹修させていただきます。どうぞ、ご一緒にお祈りください。
小夏

