静かなる自立・・
それは野人の願望であり、その為に毎日記事を書き、毎月のように講習会を続けている。
自立とは思考回路の自立であり、参考資料無しで自ら考え、思考を組み立てること。
人は日々考え、くたびれるほど頭を使い続けている人も多い。
思うように結果が出なければ悩み、煩悩も生まれる。
近年、考える能力が失われつつあると言うが、文明の進化と共に思考能力は磨かれて行く。
能力が衰えたのではなく、結果が見えなくなり目的を見失いつつあるように思う。
機械文明と生命文明は対極的であり、前者は問題なく、思考結果が見えなくなるのは後者だ。
何故これほどの差が出るのか、あらためて考えてもらいたい。
生命の「故障」においても同様だ。
同じ病院の窓口に向かう人々でも、事故による怪我・感染症の治療は飛躍的に進歩、病においては些細な不調さえまったく歯が立たず、100%と0%ほどの差がある。
これが学問通りに対処した「結果」と考えればよい。
機械の修復においては症状でこれほどの差が出ないが、生命の修復においては明確に〇と×の差が出る。
あらためて自分の頭で考えてもらいたいと言うのは、この×のほうだ。
症状を問わずすぐに完治出来る病不調などないのだから間違いなくおかしい。
「おかしい」「何かが間違っている」と感じなければ、「これでいい」「仕方ない」と思うのなら、野人の言うこの思考は始まらない。
この条件があってはじめて「次の思考」へ進める。
学問を基盤に考え行動してこのような結果になるのだから、学問そのものに問題がある。
すべての病不調を完全に治せないのなら、症状による分野別ではなく共通する学問の基盤に問題がある。
次に、「全員に共通する要素は何か」、ここまで思考が絞られる。
現状ではここまで到達する人はほとんどいない。
いれば答えは幾つもなく簡単なのだが・・
静かなる自立とは「結果の出ない学問を除外 一から自ら理を追って思考を進めること」だ。
ほぼ全員がそれまで習った知識・学問を参考基盤に思考を進める。
これは自立とは言えず他力であり、他力本願とも言える。
自らを救えるのは学問・医学でも医師でもない。
思考の起点が間違っていれば、それに続くすべてを間違い答えは出ない。
船も出発点を間違えば目的地に着かない。
出発点・起点が正しくとも、航法や思考の順路を間違えればやはり目的は果たせない。
思考の起点は始まりに過ぎず、思考順路次第で結果が決まる。
病不調を解決したいのなら、結果を出せない現学問から自立して自ら考えるしかなく、それらは参考文献にもならない。
諸刃の剣とも言い、便利だが使い方次第で我が身を傷つけるものだ。
自らの力で生き抜く、これが地球上の生物の基本ではないかな。
救われるかどうかは自分次第、思考次第だな。
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