人間が甘いものを求める理由 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

老若男女を問わず何故人は甘いものを求め続けるのだろうか。

同様に、塩分を求め続けるのだろうか。

 

常識ではどちらも理由は曖昧であり、それを裏付ける結果も出ていない。

だから、「塩分摂り過ぎ、糖分摂り過ぎに注意」・・のような矛盾した言葉も出て来た。

必要なのか不要なのかはっきりさせれば良いのだが、わからないからこのようになる。

 

そもそも地球上の動物は、必要なものを種類と量を考えながら摂るなど不可能であり、こんなばかげた話もない。

人間が必要なら、霊長類など同じ哺乳類はどうなのか。

塩がなければどうするのか、理論に確信を持つならはっきりさせればよい。

 

必要量通りにやって見せ、全員に結果が出ないのなら理論は成り立たず、あっさり捨て去ればよいのだが、半世紀以上続いても誰も異を唱えない。

 

人間は何故糖分を求めるのか。

「別腹」とも言われるように、主食とは関係なく子供から大人まで求める理由は何なのか。

 

本能だから大半の人間が求めるのであり、人類誕生以来甘いものを摂り続けたから本能に組み込まれ、求め続けるのだ。

本能に組み込まれた重要な食べ物に「摂り過ぎ」などあるはずがない。

 

食べられる時に「食い溜め」するのが自然界における食餌の基本であり、すべての動物はそうして生き延びて来た。

食い溜めして支障があるならそれは人間が必要としてきた本来のものではない。

そのように思考を進めるのが当然ではなかろうか。

 

同じ甘いものでも本来の食べ物かそうでないかの判断は歴史を遡れば簡単にわかる。

本来とは「最も食べ続けた」ものであり、数万年、数百万年と続いた食べ物。

数千年にも満たない現状の食べ物から考えるからややこしくなるのだ。

 

有史以来食べ続けた甘い食べ物など幾つもなく簡単。

野生では「木の実」しかなく、甘い肉も魚も昆虫もなく、植物も実ほど甘い部分はない。

 

つまり、人間が本能で求め続ける甘いものは木の実の果肉以外に存在しない。

 

人間の消化機能は、胃液は動物性たんぱく質を溶かす為のもので植物は溶かせない。

果肉だけが消化出来、葉や幹や根や種の消化吸収は困難。

 

野菜や根菜や穀物は消化吸収出来ず、人間の機能に合わないから本来は必要ない酵素を出して対応しているが、それでも困難で大半は吸収出来ずそのまま廃棄している。

 

「労多くして功少なし」、だから食後は眠くなり、大半は未処理だから腐敗した排泄物となる。

食性を戻せば完全消化、自然界の動物同様にガスや悪臭は消え去る。

 

一例を挙げれば・・イモとカボチャは似たような食感でも

イモ類は消化困難、腐敗ガスが溜まりすべて排泄。穀物も同じ。

カボチャは草の実だから完全消化吸収、ガスも出ない。

 

人間は食性だけでなく、甘い食べ物も明らかに間違えている。

砂糖製品は最初から的外れであり、苦しくなるほど食べても本能は満たされるはずがなく甘いもの依存症になってしまう。

 

本来は必要なものは果物だが、何故流通する甘い果物では甘いもの依存症が満たされないのか。

半生記前に比べてミカンもスイカもブドウもリンゴも格段に甘さを増しているが、人が甘さを求め続けたから品種改良されて来た。

 

続く・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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