天然のフルーツ・ナッツ
母は、木の実だけでなく山菜もぶつぶつ言いながらも調理してくれた。
しかし、獲ってきた魚類に包丁を入れる時の「お念仏」だけはどうにかして欲しかった。
「可哀そうに・・気持ちよく泳いでいたのに・・このバカ息子にブスリとやられて痛かっただろうねえ、ごめんね・・」と必ず言うのだ。
これでは幼い心が罪の意識に苛まれるではないか。まあ、あの呪文にもめげずに食ったが。
大人よりも子供のほうがはるかに本能は優れている。それを体で感じたからチョコレートよりもアケビや他の木の実を好んだのだろう。
それらは小学生の野人にとっては宝物で、自分で採った人としての誇り高きエサだったのだ。
動物だって生まれてから必死でエサを獲ることを覚える。失敗して痛い目に遭いながらも知恵を駆使する。
野人だって何度も木や崖から落ち、色んなヤツに刺され噛みつかれた。
それが出来なかったら滅ぶしかないことを本能で感じていた。
文明の中でしか生きられないと言うことは自力では生きることが出来ないと言うことになる。誇り高き野人としては子供心にも耐えられないことだった。
知性のみならず本能の塊だったのだろう。
やはり生き物は「完全なる」自然の恵みを食べなければ生きては行けないようだ。
食品が溢れ、医学が最も進歩した現代に健康維持に頭を悩ませ、寿命をまっとう出来ないのが現実だろう。
アケビやグミの種が原因で糞詰まりになるはずがない。なるとしたら、悪いのは種ではなく君の大腸だ。
人が関与しない木の実や果物、野菜を扱う店はほとんどない。
今はアケビも栽培する時代だが、他の栽培植物や魚類同様その中味は自然界のものとは別物だ。柔らかく食べやすく立派なのは良いのだが、人にとって本来必要な食べ物とは食べやすさや味や見た目ではない。食材と必要な食べ物をはっきりと仕分けした方が良いと思うのだが。
やはり毎年こうして自分で採って来るしかない。




