草が土を作る イタドリの役割 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

今朝、「所さんの目が変」・・を見ていたら三宅島の特集をやっていた。三宅島は昔から大噴火を繰り返し、いたるところで溶岩がむき出しになっている。噴火口からはいまだにガスが噴出し、かっては緑豊かだった周囲の樹木はほとんど枯れていた。亜硫酸ガスが酸性雨となって降り注ぐのだ。溶岩だらけの岩場にポツポツと点在していた植物は「イタドリ」だった。イタドリは土中深く根を伸ばし、かっての土の部分から養分を吸い上げていたのだ。多年草のイタドリは、何年間も炭酸ガスと水から有機物を作り、葉を落とし続け、やがて枯れて土となる。溶岩を土に変える「先駆者」だった。それから次々に他の植物も進出、あっと言う間に森が再生するのだが、まるで地球の歴史、土壌の誕生の歴史を見ているようだった。創世記の地球は地衣類のコケが頑張り、気が遠くなるような時間をかけて土が作られたが、今は数十年で再生だ。地球そのものが生きて進化している。海底では、潮が早くて海藻はなかなか定着出来ないが、流れ込んだ溶岩には小さな隙間が無数にあり、テングサだけが根を張り、全面を覆い尽くしていた。自然はうまく出来ている。土壌とは何か、土壌はどうやって作られるのか、考えなくても当たり前のことなのだが、人は草に無関心と言うより、草を「雑草」として毛嫌いしているようだ。地球と同じように土壌も進化し、豊かになろうとしている。草をはじめ、虫や鳥や微生物すべてが協力しあって土は作られる。土は有機物の堆積であり、立派な生き物だ。しかも人間が計り知れないほどの生命力の仕組みがある。その土を人は草を排除して自力で作ろうとしているが愚かな事だ。人知が及ぶものではない。地域、季節、環境によって土壌条件はすべて異なるのだ。「こうすれば良い」などという答えなどあるはずがない。毎年微妙に異なるその年の状況にあった土作りは、人がやるものではなく彼らの仕事だ。それらを阻害すれば土は少しづつ元の「無機質」に近づき、余計なものを入れ続ければやがて自然界は対処出来なくなる。今の農業は余計な事ばかりやっているようだ。次から次へと問題が起こるのは当たり前のこと。土とは毎年増えて盛り上がって行くものなのだ。硬い土壌もやがてはふかふかの土に成長して行く。増えない土は生命力もない。人はもっと地上の全ての生命を育む「土」の偉大さに目を向けるべきだろう。特に大地と共に生きる農業は「足元」の視点が基本、世界中で行われている土壌改良、土壌消毒、堆肥、肥料、ビニルマルチなどは、野人の目には「土壌破壊」としか映らない。大地の土は工場ではない、生きているのだ。