息苦しさの正体が長らくわからなかった
自分が評価されたり他人を評価したりが
こんなにも息苦しかったんだと知った
評価の基準は正しいか間違いか

自分がどう生きたいかを話したとき
それは間違っていると言われて
その息苦しさに気付いた

そして私も他人の生き方や行動を
正しいか間違いかで評価せざるを得ないとき
ずっと正体不明の息苦しさを感じている

人間に対して正しい間違いと評価するとき
正しいか間違いかは絶対的に主観なのに
なぜか客観のふりをして冷たく判決する

正しいと認められても
正しくあらねばならないと縛られるし
間違いだと糾弾されても
間違いであらねばならないと縛られる

正しい間違いに中間とか曖昧はなくて
評価された時点で反論もできずに
こうじゃないといけないって決められるから
息苦しくてたまらなくなるんだきっと

正しい間違いじゃなくて
もっと曖昧で温かい言葉をかけられたら
それが我が子であっても教え子であっても
もっと簡単に反論できるようにしてあげたら

もしかすると難しいかもしれないねとか
きっと上手くいくと思うよとか
もっとこういう風になってほしいとか

曖昧さとか温かさとかを増やしたら
もっと生きやすい世の中になるかもしれない