佐藤初女さんの言葉は、平易な言葉だから、簡単にわかった気になってしまいます。『言葉を越えてね』は単純に行動だと思ったし、

『動の祈り』は、自分の行動を

「動の祈り」だと思い込んだり

してました。

初女さんと交流を続けていく

うちに、初女さんの言葉は

初女さんの体験から生まれて

きたもので、一つひとつの言

葉がどんなに深いかを

実感しました。

初女さんは「祈りには、

静の祈りと動の祈りがあり

私は生活すべてが祈りです。」と

言われていました。

初女さんの行動には

まごころ(真心)がこもった

祈りがあり、どこを

切り取っても初女さんの

生き方が見えてくるようでした。

初女さんが生きていた時は

会えることが嬉しくて、

初女さんの言葉も行動も

表面でしか受け取って

いませんでした。

初女さんが亡くなられて10年!今、初女さんに頂いている

深い気づきが、私の行く道

を照らしてくれています。


『私にとって、祈りとは 

 生活です。 生活の動作、 

 ひとつひとつが祈りです。 

 心を込めて食事を つくったり

 ともに食卓を囲んだり 

 ごく平凡な日々の営みの 

 中にこそ深い祈りが 

 あるのです。』


『ことばだけで考えている 

 うちは本物ではないですね。 

 とにかくことばを主にすると

 行いはあとまわしになって

 しまいがちです。 

 気づきがあったら動きます。 

 あなたのそばの大事な人に 

 伝えてください。 

 心の奥にはことばを越えた 

 いのちの筋があります。 

 ことばを、越えなければね』       

     佐藤 初女


落合恵子さんが、

『人生は長編小説と思って

ましたが、短編小説だった。』

というようなことを書いて

ましたが、今その言葉を

実感しています。

そして、時の経つ早さに気持ち

が追いついていかない、

そんな状態にいます。

数年前まで毎日のように書いて

いたブログが、トンと書けなく

なったりして…

佐藤初女さんは、90歳を越えて

も『私はなんにも心配して

いないの。

今を生きているから。

心配する人は必ずといって

いいほど先のことばかり考えて

ますが、先の見えない未来の

ことにあれこれ心を惑わして

も不安が募るばかりです。


今ほど確実なものはありません。

今に感謝していると、とても

自由な気持ちになります。

一歩一歩確実に進んでいける

ように思います。』

と書いています。

初女さんに初めてお会いした時、

突然息子を亡くし2年後だった

私は『生きてるって、1分先も

1分後もない、今しかないんだ

ということを、息子が私に

教えてくれました。』と言うと

初女さんは深く頷いてくれ

ました。

初女さんは、色々な場で

『今を生きて!』といい続けて

いました。

先日、佐治晴夫先生の

『空海とアインシュタインに

学ぶ』と言うお話を聴きに

行って来ました。

空海とアインシュタインの

接点はなんだろう?と思って

いましたが、宇宙の真理は

どんな時代であっても変わり

ようがないのだ!

ということに、改めて納得

しました。

佐治先生は、私たちは過去も

未来もなく、永遠の今を

生きているんだ。

そして、全ては繋がって

いると言われてました。

『永遠の今』

この言葉が実感出来るところ

まで私はまだ行きませんが、

でもそうなんだろうなと

思っています。

人は生まれて来るときに、

魂の計画書を携えて生まれて

来るといいます。

私は多分、『いのちの世界を

知る!』という課題を持って

この地球に生まれて来た

気がします。

この答えを知るための鍵は、

『本当の自分とは何かを知る

ことだと分かりました。』

唯このことは、頭で分かった

だけだと、単なる知識で

終わってしまうので、腑に

落ちるとこまで行かないと

自分のものになりません。

人生が短編小説だと分かった今

何としても魂の計画書に書いて

きたことを達成して還り

たいです。

『今を生きる』ということ!

そして、その今が『永遠の今』

だということ!

宇宙も人体も、水素・酸素・

炭素・窒素で出来ているって

ことは、私たちもまた宇宙の

カケラなんだということ。

私たちは全部知って生まれて

来ているのだから、思い出せば

いいのです。

答えは全て自分の中にあるの

だから…






15年目を迎えた3月11日

思いを言葉にしなくてはと

思いつつも出来ませんでした。

昨日ふと開いたノートに

10年前の新聞の切り抜きが

挟んであるのを見つけました。

新聞記者さんのコラムです。

『東日本大震災後、あなたの

言葉は変わりましたか?

詩人、谷川俊太郎に質問した

のは2年前のことだ。

谷川さんは「黙っていること

にも言葉があるならば」と

前置きした上で「私の沈黙は

深まりました」とFAXで返事を

下さった…

 震災5年の11日、久しぶりに

谷川さんにお目にかかった。

「新聞記者にとって『沈黙を

深める』とは言葉を『待つ』と 言うことではないかと思うんです。」と伝えたら谷川さんは

「そうだね」と微笑むと、最近

書いた「黙って」という詩を

教えて下さった。』

この記事を書いた記者さんは、

『谷川さんの「黙って」を

読んだら胸にすとんと落ちる

ものがあった。

黙ることは聞くこと…

言葉を慎み、沈黙を深める

ことは、自分だけではなく

相手の言葉が熟すのを待ち、

言葉に出来ない思いにそっと

耳を傾けることにつながるの

かも。

 谷川さんからまた新しい

宿題を頂いた。

それは、沈黙に耳をすます

こと。』と書いていました。

この文章を読んでいたら、

佐藤初女さんの姿が浮かんで

きました。

初女さんは、言葉の少ない方

でした。

いなくなって思うことは、

大切なことは、姿で教えて

下さったということ。

「話したい人は沢山いるけど

聴く人がいないの」と言われて

いました。

私たちは、沈黙を嫌がり

言語化することに力を注ぎ

『聴く』ということの

大切さをどこかに置き忘れて

来てしまったのでは…

初女さんが、隣に座って

黙って聴いて下さる。

アドバイスなどはほぼなく…

でも、話していると心の霧が

晴れていくように感じられ

ました。

初女さんは、その人の中に

こたえがあると、話してる

本人以上に信じてくれて

いました。

『黙って聴く』

このことの深さに、初女さんの

姿が重なります。



  『黙って』

        谷川俊太郎 


  黙っていたい

  木のように

  黙っていたい

  蟻のように

  黙っていたい

  空のように


  ただ聞くだけ

  風を

  川音を

  人の沈黙を

  幼子の

  笑い声を


  黙っている

  花々とともに

  一枚の白紙とともに

  動きやまない

  雲を追って

  今

葉山の葉月さんでのおむすび

講習会は、朝から大雨でした。

普通ならがっかりするところ

ですが、初女さんの場合は違う

のです。

初女さん降臨のお知らせ!と

私は思っています。

昔から初女さんの大切なことを

する時は、どしゃ降りの雨が

降るのです。

生前、初女さんは『お清めの雨 なのよ』と言われていました。

ですから、久々の大雨に初女さん降臨!とわくわくドキドキ

しました。

本当に不思議なご縁で始まった

葉月さんでの講習会なんです。

去年の暮れの葉月さんの最後の

営業日に来たお客さんが、

『こちらで初女さんのおむすび

講習会をしませんか』と言われ

たそうです。

店主の由美子さんは、数日前に

図書館から初女さんの本を

借りてきていたというのです。

この流れは、やるしかないと

日にちを決めアップしたら

直ぐに満席に、追加の日にちも

あっと言う間に一杯になり

2月3月で3回の講習会が決まり

ました。

由美子さんは、私の講習会を

体験してないのに直感に

従って行動してくれたのです。

この流れに応えてくれたのか

まさに初女さん降臨!の

おむすび講習会になりました。

外の雨とは打ってかわっての

葉月さんの家の中は、穏やかな

温かさに包まれていました。

おむすびの時も、私のお話の

時も皆さんの一心の眼差しに

胸が一杯になりました。

言葉にするには難しい話を

心から受け取ろうとして

下さっているのが、伝わって

来ました。

初女さんのおむすび講習会の後は、皆さんが手をグー✊にして、

どれくらいの力で結んでいるか

教えて下さいと、

初女さんに手を握って

もらうために行列が

出来たのよと話したら、

『直さんもやって』

と私の前にグーの手を出して

いるのです。

私は、初女さんじゃあない

から…と戸惑いながら握ったら

『こんなに優しいの』と驚かれ

私は一人ひとりの手の温もりに

感動してました。

おむすび講習会の時に

流れるイスキア時間は

初女さんのまとう空気に

包まれているようです。

初女さん、有り難うございます。

これからも一緒におむすびの旅

をして下さいね。

初女さんの

『感謝なしには、前に進めない』

という言葉が降りてきました。


(葉月さんで4回目5月29日が

決まりました。)


今日、Eテレの『こころの時代』

は、ヴィクトール・フランクル

でした。

フランクルは、ユダヤ人で強制

収容所から生還した精神科医

で、『夜と霧』の著者です。

私は、どれほどフランクルに

救われたか…

突然子どもを亡くし、最愛の

子どもを亡くす意味は…

何度も何度も問い続け、何とか

こたえを見いだし、一瞬

立ち直れたように思っても、

次なる悲しみが来ると、更に

気持ちが沈み立ち直れなく

なるのです。

その繰り返しに疲れきって

いた時に、フランクルの言葉に

出会ったのです。

『われわれが人生の意味を

問うのではなく、われわれ自信

が問われた者として体験

されるのである。』

つまり、私たちが『なぜ』と

人生を問うのではなく、

私たちは人生からの問いに

こたえていく存在なのだと、

フランクルは言っているのだと

思いました。

「あなたは最愛の子どもを

亡くしました。

さあ、どうやって生きて

いきますか?」

この人生からの問いにこたえて

行くのが、私の人生なのだと

気がついたのです。

『なぜ』は、いくら問うても

こたえのでない『なぜ』だった

のです。

フランクルの言葉と、初女さん

との出会いによって私は

立ち上がれたのです。

今日の番組で響いた言葉が

『眼差しの練習』です。

眼差しは心の有り様に重なり

ます。

初女さんの慈愛に満ちた眼差し

が忘れられません。

眼差しの練習をするには、

人生の後半に来ている私には

時間がないので、これからは

眼差しを心に留めて生きて

行きたいと思いました。


『あなたがどれほど人生に

絶望しても、人生のほうが

あなたに絶望することはない

 ヴィクトール・フランクル』