こんにちは、閉め子です。
今日は一日雨で大変弱りました。
雨風凌げないのがバイク乗りの宿命。けれど、風を楽しめるのはバイク乗りの醍醐味。
乗らない人にはわかんないよね。
本当は自転車で移動するのが色々な意味でいいんだけどな。
依頼されたお仕事を断れない性格のワタシは、アホみたいに移動距離があるのです。
いいんだか悪いんだか。
さて、Sさん。
実は、初回のブログに登場したおじいちゃんです。
新人の頃、二か月ほどお伺いさせてもらってましたが、担当交代でワタシは外れて暫くになります。
以前書いた内容は、トラブルに重きを置いていたので、Sさんを取り巻く環境、というか、もう少し踏み込んで、生活の有り様について一切触れなかったのですが、今日は、少し考えることもあり、その辺も踏まえてご紹介したいと思います。
Sさんちは、ビニール製のなまこ板が屋根の、長屋だ。
ずいぶん昔からある府営住宅と聞いているが、ワタシはよく知らない。
お父さんは寝たきりだし、お母さんも「なぜ介護認定が受けられないのか分からない」方だし、生活状況はかなり悲惨だ。
ワタシがお伺いさせてもらっているお宅には、資金が潤沢で、実に様々なサービスを提供しているお宅もあるが、Sさんちに関しては必要最小限のサービスしかしていない。
もっとやって欲しい事があるだろうし、もっとやってあげたい事も多い。
何が桎梏になっているのか。
「お金」だ。
確かに、「お金」がないと出来ることに制限が出てくるし、それによって不自由な事も生じる。
でも、ワタシ達が携わっているお仕事は、そんなに資本主義の奴隷でいいのか? と、思う。
と言って、「じゃあ閉め子だけボランティアでやりゃいいじゃん」と言われると、それも困る訳で、このお仕事を選んだ因果か、二律背反に身を捩じらせたりするのだ。
例えば、Sさんの奥さんは、もう何年もお風呂に入っていない。
「ひとりだけでお風呂を沸かすのはもったいないから」
と言っている。
お買い物も、本当に必要最低限の物しか頼まない。
まさに、爪に火をともす生活ぶりだ。
「そんなに吝嗇になってなにがしたいんだ?」
奥さんは、月に二回、タクシーを自宅に呼んで、お父さんのお薬を病院にもらいに行く。
そこそこ大きな病院だから、待ち時間は長い。
その間、乗って来たタクシーに待ってもらっている。
ものすごい交通費だ。
ちょっとでも倹約して、その費用に充てているわけだ。
病院にお薬をもらいに行くくらい、お買い物のついでにバイクを飛ばせば訳ないことなのに、ワタシはそれをする事を許されていない。
そんなに「お金」で境界線をはっきりくっきりと引いてしまってもいいのだろうか?
じっとりと湿ったお布団のシーツの洗濯をできなかった、否、させてもらえなかった今日、こんなことを思ったのです。
隣人に愛を。