母=毒親=私⁈ | なりたい自分になる♡ワンランク上のwell-beingな生活を手に入れる方法をお伝えする開業保健師*大畑ゆき

なりたい自分になる♡ワンランク上のwell-beingな生活を手に入れる方法をお伝えする開業保健師*大畑ゆき

石川県金沢市。小6・高2・大1の3児のママ保健師。赤ちゃん訪問や産後のメンタルヘルスケア、放課後等デイサービスの先生方のメンタルヘルスケアなどしてます。ブログでは、ワンランク上の日常生活を手に入れるコツ、毒親問題、夫婦関係、不登校娘のことなど書いてます。

中学生のころ、尊敬する女性は『母』でした。

 

何でもできる母を尊敬していて、大人になったら『母』のようなお母さんになりたいと望んでいました。

海外出張で不在がちだった父は家事にも育児にも非協力的で、子どもたち4人は大変な母を助けなきゃと思ってました。

母の口から父のグチを聞かされ、子どもたちは父に対して負の感情を抱き、父との間には何かしら隔たりができていました。

一方で母と子どもたちの結びつきは強く、それぞれが何でも母には話していたように思います。

 

進学で実家を離れてからも、母は食料やらいろいろ荷物を送ってきて、私は長期休みのたびに実家に帰っていました。

結婚して子どもができてからもそんな関係は続いていましたが、3人目が産まれたころから仕事も忙しくなり、遠方の実家に帰るのも大変で少しずつ会う間隔が開いていったのです。

でも、母と娘3人のグループLINEでは、頻回にやりとりがあり、お互いの近況もよくわかっていました。

ただ、ずっと続いていた母からの宅配便が徐々にめんどくさくもなりつつありましたショック

宅配便の内容が私の欲しいモノではなく母のあげたいモノになってきたこと、届いたらすぐにお礼メールをしなきゃいけないこと・・・いつの間にかありがたさより迷惑さが占める割合が増えていましたあせる

そんな折、ハワイ島リトリートに参加した私は、それまで感じていた日々のしんどさや日常生活から逃避したくなる衝動の原因が母にもあることを知ったのです。

 

 

母はいわゆる『毒親』でしたドクロ

そして、私自身も『毒親』になっていましたドクロ

 

 

私は母の良かった部分だけを記憶にとどめていて、美化し続けていたのです。

厳しいしつけ(今だと通報されるレベルガーン)も私自身のためにしてくれていると思い込んでいたし、私の子育てに母が口出しするのも当然だと思っていました。

本当は心の底ではそれらに対してずっと『嫌だ!』と思っていたのに、そんな感情に蓋をして、感情や出来事があったことすら忘れていましたショボーン

だから、私自身も子どものためだと思って、母のように子どもたちをコントロールするような関わりをしてきました。

 

 

母を『毒親』だと認識するのには抵抗がありました。

でも、心のどこかで気づきかけていたからか、毒親に関する本を読むと納得できる部分もありました。

そのとき、娘が中学生のころ、私と同じように「尊敬する女性は、お母さん!」と友達に話していたというのを人づてにきいて、私自身とても嬉しかったのを思い出したのです。

まったく私と同じ状態だということに気づき、『毒親』の影響をそのまま娘に引き継がせてしまったことを後悔し、私自身のためにも子どもたちのためにも毒親である『母』と向き合う決心をしました照れ

 

 

長くなりましたので、母との向き合いの具体的なお話はまたの機会に・・・