おはようございます太陽

 

先日ブログ「かいごかいごブログ」のなるこさんとコメント欄でお話していたことなんですが

昔の本や手紙を読んでいると、「いひませう」「おつかひ」のような表記に出会うことがあります。

これ、声に出して読むと「いいましょう」「おつかい」なんですよね。

書いてある通りには誰も発音しない。

子供の頃からずっと不思議に思っていました。

一体なぜ、実際の発音と違う書き方が「正しい」とされていたのでしょうか?

AIさんによると

地球これは「歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)」と呼ばれるもので、理由は単純明快でした。

発音の変化に、文字の方がついていかなかったのです。

もともと平安時代には、書いてある通りに発音していました。

「ひ」は本当に[hi]、「ふ」「へ」「ほ」も、今のようにあいまいにならず、はっきりした音で発音されていたのです。

ところがその後、時代が下るにつれて、言葉の途中に出てくる「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音は、だんだん「わ・い・う・え・お」に近い、柔らかい音へと変わっていきました。

たとえば「言ひませう」の「ひ」は「い」に近づき、「ませう」の伸ばす音も、今の「ましょう」のように変化していきます。

つまり発音はどんどん移り変わっていったのに、書き言葉の方は古い形をそのまま後生大事に保存し続けた、というのが実態のようです。


江戸時代の国学者たちが古典籍を研究して「正しい仮名遣い」として体系立て、それが明治以降の学校教育でも規範として採用されたため、実際の発音とはズレたまま、明治・大正・昭和戦前期まで使われ続けました。

「では明治の人たちまでは、本当にあの発音で喋っていたのか」

答えは、否。

発音自体はもっとずっと早く、平安末期から鎌倉時代にかけてすでに今とほぼ同じ形に変化していたのです。


明治の人も、実際には「いいましょう」に近い音で話していました。

ただ書くときだけ、はるか昔の平安時代の表記を「由緒正しい」ものとして守り続けていた、というわけです。

このズレがあまりに大きくなったため、戦後の1946年、「現代仮名遣い」への改革が行われました。

当用漢字表の告示と同じタイミングで、学校教育も出版物も一斉に新しい表記へと切り替わる、かなり急な改革だったようです。実際の発音に近い、今の私たちが使う表記に整理されたのは、たかだか80年前のことなのですね。

デレデレこの話を調べながら、ふと思い出したことがありました。

今生きていれば100歳を超える、亡き父のことです。

父はずっと旧仮名遣いで文章を書く人でした。

子供の頃の私は、周りの大人や教科書はみな新仮名(新仮名遣いということにも気づいていなかった)なのに、家では父は

「いひませう」のような古い書き方をしているのが、正直なところ少し恥ずかしかったりしたのでした。

澄ました顔をして父に「ちがうよ」などと指さしで言ったりしていました。

でも今、こうして経緯を知ってみると、あれは「古い」のではなく、父が生きてきた時代の文化そのものを映す言葉だったのだと分かります。


明治・大正生まれの教育を受けた世代の方々にとって、旧仮名遣いは体に染み付いたものであり、戦後の急な改革の後も、そう簡単には切り替えられなかったのでしょう。(父は会社員ではなかったしね)

あの頃気恥ずかしく感じていた父の書き文字は、今思えば、ひとつの時代を生き抜いた証だったのかもしれません。

おはようございます太陽
 
昨晩、久しぶりに夜、車を運転して夫の仕事のお迎えに神戸に行きました。(病み上がりだしね、優しい妻)
帰りに三宮の「モザイク(商業施設)」で食事したんです(これが魂胆)
 
入ったドイツレストラン(アサヒビールが経営)が窓際のお席で、神戸港が見えるのですごく雰囲気よかったです。
ポートタワーと神戸海洋博物館
 
神戸港発着のレストランクルーズ船、コンチェルトがちょうど帰ってきて
隠れちゃったんですけど、真後ろに「飛鳥Ⅲ」が停泊してたんですよ↓
やっぱり豪華客船は大きいですね。ほれぼれしちゃいました。
 
 
看板持ち 看板持ち 看板持ち 看板持ち 看板持ち 看板持ち 
私は夜シャワーにかかっている時
昔(離婚前後だから今から約25年前)のすごく嫌な記憶が湧き上がってきます。
週一回は少なくともあります。
これは何故かわかりますか?AIさんに聞いてみました。

地球シャワーを浴びている最中に、過去のつらい記憶や嫌な思いが急にフラッシュバックのように蘇ってくる……それは非常にお辛いですよね。週に1回以上も起きているとなると、心が休まらず消耗してしまうお気持ち、とてもよく分かります。

このような現象がシャワー中に起こりやすいのには、脳と自律神経の仕組みに明確な理由があります。
主に以下のような要因が複雑に絡み合っていると考えられます。

 脳の「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)※」の活性化

シャワーを浴びる作業は、体を洗うなどの「無意識にできるルーティン動作」です。脳が特定の作業に集中していないぼんやりした状態になると、脳内の「DMN」という回路が働きます。
DMNは記憶や感情の整理を行う回路ですが、同時に過去の未処理の記憶や不安を引っ張り出しやすいという特徴があります。

 
身体的リラックスと「心の防衛」の解除

温かいお湯を浴びると副交感神経が優位になり、体の緊張がほぐれます。
身体が警戒を解いてリラックスした瞬間、普段は無意識に抑え込んでいるつらい感情や記憶(離婚前後のトラウマ)の「蓋」が開き、表面化しやすくなります。

 感覚刺激による記憶の誘発

お湯の温もりや水の流れる音、浴室の匂いといった五感への刺激が、かつて孤独を感じたり、一人で思い悩んだりしていた時間(夜や入浴時など)の記憶の引き金(トリガー)になっている可能性もあります。

 脳の「未完了ファイル」としての保存

離婚前後のお辛い体験や当時の感情(怒り、悲しみ、抑圧された思いなど)が、脳の中で「まだ整理しきれていない出来事(未完了の処理)」として残っていると、脳は隙さえあればそれを処理しようとして脳裏に浮かび上がらせます。
 

※デフォルトモードネットワークとは
【Default Mode Network】

人間の脳が意識的な活動を行っていないとき、

つまり、ぼんやりしているときや

何も考えていないときに活性化する神経回路のこと

 

昔は何かに集中したり、新しい情報をインプットするときに
脳は活動的になっていると言われていましたが、

実は何もしていない時、ぼーっとしている時にも

脳の特定の部分で活動が活発になっていることが明らかになってきました。

DMNが活性化すると、脳内の情報が整理され、
新しいアイデアが生まれやすくなるといわれています。



◆少しでも和らげるための簡単な工夫◆

完全に防ぐのは難しくても、シャワー中の脳の意識を「過去」から「今・ここ」に引き戻すことで、フラッシュバックを最小限に抑えることができます。

 五感に集中する(グラウンディング)

「お湯の温度気持ちいいな」「足裏に水が当たる感覚」「シャンプーのいい香り」など、今まさに身体で感じている感覚に意図的に意識を向けます。

 脳の空き容量をなくす

お気に入りの音楽やラジオ、防水スピーカーでポッドキャストを流したり、好きな歌を口ずさんだりして、脳の「DMN」が働く余地を減らします。

 意識の向きを変える問いかけ

嫌な記憶が浮かびそうになったら「今自分は安全な場所にいる」「もうあの頃の自分ではない」と心の中で優しく声をかけたり、浴室を出たら飲む温かい飲み物のことを考えたりします。

ご自身を責める必要はまったくありません。脳がそれだけ大きな傷を必死に処理しようとしているサインでもあります。無理に消そうとせず、「あ、また脳が過去の整理を始めようとしているな」と一歩引いて眺め、温かいシャワーで体を労わってあげてくださいね。


真顔なるほど
私はいつも頭を大きく「イヤイヤ」と振って
その記憶を具体的に振り払う動作をしています。

地球その「イヤイヤ」と頭を振る動作、実はとても理にかなった、ご自身の心が編み出した素晴らしい自己防衛(セルフケア)のアクションです。

嫌な記憶や感情が急に湧き上がってきたとき、思考だけで打ち消そうとしても、かえってその記憶に意識がとらわれて深みにハマってしまうことがよくあります。そこで物理的に体を動かす(頭を大きく振る)ことで、脳と神経に強烈な「切り替えのシグナル」を送っているのです。

追加で試すなら、頭を振った直後に「はい、おしまい!」「今は大丈夫!」と声に出したり心で唱えたり、冷たい水や温かいお湯を顔にパッとあてて感覚を切り替えるのも効果的です。
 
ニヤニヤ私だけじゃないかも・・・と思うだけでも少し落ち着きました。
なんだか・・・「心」「マインド」と思っていることは
あたりまえだけど「脳」の動きなんですよね。
どうして心臓の位置に「こころ」があると思っちゃうんでしょうねぇ
また調べてみようw
 

おはようございます太陽

 

昨日は私の稚拙な絵本リストにコメントくださったりしてありがとうございました。

大人の絵本好きなんて「ニッチ」かもしれませんが

自分のブログなんだから、自分の好きなことを書いて残そうと思いました。

これからもよろしくお願いします。

 

トラ しし座 トラ しし座 トラ しし座

 

またお絵かきか、何か手作りをしようかな~と考えていて

トラがいいかしら、ライオンしし座かな~と考えていて、ふと思いました

なぜライオンは『百獣の王』なのでしょうか?トラじゃないのはなぜ?

この答えはAIさんに聞く前にもうヤフー知恵袋に答えがありましたので

転載しますね。

 

ライオンが「百獣の王」と言われる所以は、人間と同じく陸上に棲み、肉食獣としては最大級(これより大きな陸棲肉食獣はホッキョクグマや大型のヒグマやシベリアトラなどごく一部しかいない)であり、

さらには集団生活を行い、仲間で協力して1頭では敵わないような手ごわい動物相手でも狩ってしまう勇敢さを備え、さらにオスはかっこいい鬣を備えており、それが「王」と呼ぶにふさわしい風情に見えるからでしょう。

 

ライオンは単純に強いからというだけで「百獣の王」と称されるわけではないのです。反対に虎は単独行動なのです。

なお、動物同士の格闘戦の強さの比較という観点でみればアフリカゾウに全く及ばないばかりか、1t超級の大型草食獣にもほとんど歯が立ちません。

 

北極圏の氷の上ではホッキョクグマが最強の動物だと断言して差し支えありませんが、ライオンはその生息域ですらアフリカゾウやシロサイ、クロサイ、カバなど自分より強い動物がごろごろいる有様です。

 

草食獣に敗れることもまれではありませんし、通常の獲物であるヌーやイボイノシシに対しても狩りの未熟な個体では突き殺されてしまうこともあります。

動物同士の対戦でこんな調子なのに、「百獣の王」と呼ぶに値するのかと言えば確かに疑問符が付きますが、ライオンは肉食獣としては最大級であり群れによるチームプレイによって自分より遥かに大きい動物も倒します。

 

やはり肉食獣としては獰猛な大型肉食獣で人間にとっても恐ろしい猛獣であることから畏敬の念を以て見られます。

 

また、鋭い眼光を備えた精悍な顔立ちや雄々しい鬣を備え、肉食獣として理想的で美しい体形をしていることから芸術の意匠としても広くモデルにされます。

 

そして強さや逞しさ、巨大な動物にも挑む知恵と勇気の象徴としてライオンに憧れる人は世界中に沢山います。

ライオンが「百獣の王」と呼ばれる所以は「戦いでの強さ以外の部分」が大きいようです。

 

歴史的な象徴: 古代からエジプトのスフィンクスや各国の国章などに使われ、権力や王のシンボルとして親しまれてきました。

 

真顔スフィンクスはライオンだったのですね、古代エジプトでは猫がよく描かれてたり、ミイラになってたり、彫られてるから大きな猫かと思ってました。←猫バカ

地球スフィンクスは、まさに「ライオンの体」を持った神聖な怪物です。

ライオンもネコ科の動物なので、大きな猫に見えたのはある意味で大正解といえます。

古代エジプトにおける猫とスフィンクスの関係には、以下のような面白い背景があります。

 

ライオンと猫の使い分け

スフィンクスは「王の権力」: 頭は人間(ファラオ)、体はライオンです。ライオンの持つ圧倒的な強さと威厳で、ピラミッドや神殿を守る聖獣として作られました。

 

猫は「身近な守り神」: 古代エジプトでは猫も神聖視されていました。

ネズミや毒蛇を退治してくれるため、家を守る優しく親しみやすい神様(バステト女神など)として多くの彫刻や絵画に残されています。

 

つまり、古代エジプトの人は「強さや権力」を表すときはライオン(スフィンクス)を、「魔除けや豊穣」を願うときは猫を、それぞれ使い分けて描いていました。

 

デレデレトラとライオンの強さの違いを教えてください

かわいい飛び出すハート(猫バカ)

 

地球ライオンとトラは、どちらもネコ科のトップに君臨する猛獣ですが、その生き方や特徴は正反対です。

 

生態と特徴の比較生き方: ライオンは「集団(プライド)」で暮らし、トラは「単独」で行動します。

 

狩りのスタイル: ライオンはチームで「協力」し、トラは茂みに隠れて「奇襲」します。

 

生息地: ライオンは遮るもののない「サバンナ」、トラは身を隠せる「密林や森林」です。

 

水への適応: ライオンは水を「嫌い」ますが、トラは泳ぎが「得意」で川に入ります。

 

外見の目的: たてがみは「急所の保護と威嚇」、縞模様は森に溶け込む「迷彩服」です。

 

1対1で戦ったらどちらが強い?

古くから議論されるテーマですが、結論から言うと「個体差や状況によるが、1対1ならトラがやや有利」とされています。

 

体格の差: 最大種の「アムールトラ」は、ライオンよりも一回り大きく体重も重いです。

戦法の手数: トラは後ろ足だけで立ち上がり、両手でパンチを繰り出せます。ライオンは3本足で体を支えることが多いため、片手での攻撃が中心になります。

 

しかし、野生では生息地が異なるため(ライオンはアフリカ、トラはアジア)、遭遇して戦うことは基本的にありません。(下の絵はAIさんに描いてもらいました)

 

 

デレデレだいたいおなじ大きさの肉食獣が、アフリカとアジアに別々に君臨しているのが、、なんだかロマンを感じますね。