すっかりご無沙汰でした。
年明けから全く更新せずでしたが元気にしております。
書けなくなったのは、父が旅立ってしまったから。
四年前に舌ガンになり手術抗がん剤治療と闘病し打ち勝ったのだけど場所が場所のためリンパ転移もありそれがステージⅣと診断されそれでも割と元気にしていましたが、去年前立腺がんになり(転移ではなく新規(?)なのでそれ程予後は悪くないと診断)肺機能が悪いので手術はせず薬で…のところ、陽子線と言う治療法があり母の地元の病院へ入院し治療しました。
約3ヶ月の入院生活でコロナのため面会できず、個室入院、動くことも無しで治療そのものより父の体力がかなり削られたのか入院中誤嚥性肺炎にでもなったのか度々熱を出していたみたいで退院時は一人でまともに歩けない状態になっていました。
退院時はまさに年末。
私たち家族は年末年始ずっと実家にいてじいちゃんと過ごしました。
一月三日に私たちは自宅に戻り四日の朝、母から父が呼吸してない、駄目かもしれないとかなりパニックの状態で電話が来て嘘でしょ?と。
朝食の時来客があって母が応対の為10分程離席していた時に父が心肺停止になったと。
私たちはその日急いでとんぼ返り状態で帰省しましたがそのまま父は意識が回復することはありませんでした。
年末年始の帰省中ずっと肺が呼吸が苦しい苦しいと言っていて、正月だし年明け呼吸器科の予約入れてるからとそのままでいました。
それが本当に悔やまれると母もずっと言っていて私もなぜ救急にと思わなかったのか酷い娘だなと思います。
救急に運び込まれた時は人工呼吸器を着けていていましたがその後自呼吸出来るからと外されICUから一般病棟へ移り個室だったので何とか面会も出来るようになりましたが二月八日に旅立ちました。
私は倒れたときからほぼ実家にいましたがその日はどうしても外せない用事があり自宅へ戻っていました。
もちろん双子も。
週末に夫に迎えに来てもらっていたので二月五日に最後のお別れでした。
一ヶ月頑張っていたので5日に自宅へ戻るのはきっと死に目に会えないのだろうと覚悟を決めてはいたのですが最後に会いに行った時に担当してくれた看護師さんがとても気遣ってくれて、というか気付いてくれていつもは母の心配しかされないのにその日は私に「どうしたの?大丈夫?」と声を掛けてくれてマスクしてるのに私が相当ヤバイ顔してたのか話を聞いてくれて正直かなり救われた。
ただ同じ市内にいる兄は仕事理由で間に合わず母が一人でその場にいさせたのは申し訳ないなと本当に後悔している。
(兄に色々と思うことは沢山あるけどもう遅い)
ガンになりがっしり体型な父が骨と皮になるほど痩せて本当にガンは身体を壊すんだなと思ったし、屈強な父が人の手を借りないと歩けなくなるようになるとは思わなかったしお別れも近いのかもしれないとも思ったけどまさかこんなに早くなるとは思わなかった。
悲しいし辛いけど倒れてからの約一ヶ月、毎日面会(リモート)に行ったし面会出来た時は手を握ったりこんなに父と触れあったのなんて無かったから何とも言えない気持ちになりました。
どうしていいのか分からない気持ちで約一ヶ月、外から見ればお別れの時間があったのだから良いんじゃない?と思われるかもしれないしもし誰かがこんな状況ならきっと私もそう思うだろう。
でもそんなことは全く思えなかった。
倒れた直後、帰るのが間に合わないかもしれない、意識が戻らないと宣告されたあと、人口呼吸器を外されたあと、ずっとずっと毎日不安な状況でいるのが本当に辛かった。
双子や甥っ子姪っ子たちは直接会えないしリモートで段々弱くなるじいちゃんをずっと見せられて楽しかったじいちゃんよりも動かない目も開けない喋らない普通の寝顔じゃないじいちゃんの記憶が強く残ってないかが心配で。
今現在は離れて暮らしているからあまり実感はないけどじいちゃんと触れあう孫のブログを読んだりすると、あぁうちの子達はもうじいちゃんと遊ぶことは出来ないんだなぁ…とそこで実感するというか。
(そう言ったブログを読みたくないとか負の気持ちは一切ありません。むしろ読んでほっこりしてます)
5歳の双子はじいちゃんとの記憶が残ってるはずなのでそこは救いがあったかな…と思います。
そんな状態だったのでブログをそれ抜きで更新する気にもなれず、四十九日を過ぎて書こうかなと思いながら百箇日すら過ぎてしまってとうとう双子が5歳終わってしまう…!と思い書いてみることにしました。
もっと淡々と書く予定が事細かになってしまったけど…今年に入ってから状況や気持ちがガラリと変化してしまいました。
8月は初盆です。
早いなぁ。
