開運旅行からウキウキで戻り
よっしゃがんばるぞ!!って意気込んだ
5月最後の金曜日。
母から一通のメール。
「お母さん、すい臓がんだって
参ったよ… 来週検査してくる。」
わたしの母は、実家で1人暮らしている。
子供たちは、みな東京。
突然の報告に、
現実を受け止められないのか。
あぁ、この時が来たかという覚悟なのか。
不思議と冷静な自分がいる。
母に電話してみた。
すごく弱々しい声。
聞けば、1月東京に来て帰ってから
胃の調子が良くなったのを
この日まで我慢をしていたらしい。
食欲もなく、体重も減って
そのうち、背中も痛くなり、
いよいよ、おかしいと主治医に申告。
母は、持病があるので毎月病院へいっていた
親世代ってなんで我慢するんだろね。
わたしには理解できない。
ひとまず、その夜
兄弟会議。
結果を1人で聞かせるわけにはいかない!
という事で、今回は妹が付き添う事に
そして、火曜日
主治医からのおはなし。
結果は
ステージ4で、肺と肝臓に転移してる。
明後日から、療養入院です
化学療法で。
その時間10分ちょいだって。
短くない?ざっくりしすぎてない?
化学療法ってなにすんの?
その説明は?
やっぱり、私行けば良かったな。って
すい臓がんは、やっぱり難治ガンだね
我が家は、ガン家系じゃないから、
ノーマークだった。
よりにもよってすい臓がん。
私は、薄情なのか。
治したい。絶対治る。
少しでも長く生きて欲しいって
そんな想いより
母が、少しでも悔いが残らないように
少しでも苦しくないように楽になれるよう
最期の時まで、してあげれることはなんだろう
母の望みを叶えてあげたい。
そうおもった。
延命じゃなく、苦しまない最期のことを
ずっと考えてる。
私と母には、とても深い深い根深い確執がある
子供の頃から、母との記憶があまりない
母は、私を祖父母に預けて
毎夜毎夜、遊び呆けていた。
弟ができても、6歳の私に弟を預けて
飲みにいく。泣き出して途方にくれる私。
そして、今の世の中なら
母は、育児放棄と幼児虐待と言われただろう。
私は、いつも叩かれて、閉じ込められてた。
言葉の暴力もたくさん振るわれた。
それは、小学生、中学生、高校生、
大人になっても、私を苦しめた。
小学生の時、私は中絶される子だったことを
本人から聞かされた。
母は、
そんな重要な事だって思ってなかったんだ。
悪気はなかった。
でも、その日から
私は必要じゃない。要らない子だったんだ
って刷り込まれた。
弟は、望まれて生まれた子でいいな。
そうか、だから私ばかり
怒られるんだ。
お姉ちゃんだから我慢しなさい。って
好きで先に生まれてない。
こんな幼少期。
ずっと、母が脅威であり大嫌いだった。
いつも頭に思う事は、
早く死んでくれ、
死んでいなくなって欲しい
逃れたかった。
子供の頃の夢は
早く大人になる事だった。
大人になって、母から逃げたかった。
あんなに、憎かった嫌いだった母。
これが、許しなのかなんなのか
よくわからないけど
どうか、苦しまないで欲しい
最期の時に、あぁいい人生だったと
思って旅立って欲しい。
そうおもったのは、どうしてだろう。
