こんにちは、なおです。






KYと言う言葉が聞かれるようになって早数年。


今も使うんでしょうか?


私が子供の頃は空気が読めないとか


使われてたのかなぁ。







娘はとってもおしゃべりです。


大好きなアニメの話なんかし始めると


声も大きくなるし


興奮して早口になるし


想いが強すぎてわたしに話すすきを与えず


はなし続けます。







これって空気読めないのかな?








質問をされた時


答えが浮かぶんだけど


言わないと忘れちゃいそうだから


質問者がはなしおわるか否かのところで


答えを言っちゃう。








これって空気読めないのかな?








いやね、娘もADHDと診断されていて


診断じたいを否定したいわけではないんです。


わたしは娘の特徴だと思ってるし


ADHDだから不登校だから


とかではなく


ありのままの娘でオッケー!と


思えるようになってきたからこその疑問なんです。







大人の世界では


“察しろよ”


ってことですよね。







わたしは随分と長い間


相手を察して


今、わたしはどうするのが良いのか


相手はどんな気持ちでどうしてほしいんだろうか?


そこばかりを考えて行動してきました。








でも、察して行動することが良いとは限らないんですよね。







察して先回りして動いたところで


ホントに相手がそうして欲しいかどうかは


わからないんですよね。








受け取る側によっては


“あの人いつもわたしがやろうとしていたことを先にやっちゃう”


とか


“わたしの仕事奪われた”


とかね。









大人だって相手がどう受け取るかわからないなら


子供の時から空気読めるとか読めないとか


別にいいんじゃない?って思います。








娘のおしゃべりは


わたしからみたら完璧KYです。


でも、お友達とは楽しそうにおしゃべりしてるし


お友達も不登校とか関係なく


遊びにきてくれるし誘ってくれる。







だからね、そんな娘も


いいんだよ〜!グリーンだよ〜!!

(古い?知ってる?)






それでいいのかな?って思っています。


無理に察しても


相手がどう思うかなんてわからない。


空気が読めてもいいし


読めなくてもいい。







将来社会に出る時困るから


今からなんとかしないと!って私も思ってたけど…







今からそれやったら


子供の個性や自己肯定感を


めっちゃ否定することになると思います。


これ、わたしの反省です、はいショボーン








わたしは療育や医療の助けも


必要な場合は受けて欲しいと思っています。


それを受けることで


個性を伸ばしたり


自己肯定感が高まったりするなら


いいですよね。








ただね


子供の個性や自己肯定感を否定してまで


必要以上に空気が読めるとか


察するができなくていいんじゃない?


と思っています。








これからの時代は


当たり前だけど私たちの時代とは


全然変わると思います。








わたし達の時代の価値観だけを押し付けても


いいことないですよね。









どんな時代になっても


自分らしく生きていける力を


子供には持っていて欲しいなと今は思います照れ