幼少期の記憶の鮮明さ。


妹と親の介護のことで

話していました。


途中から、幼少期の話になりました。






妹の記憶の鮮明さと、その解釈の細かさに

驚き。


まるで、昨日前のことのように

具体的に話せるのです。


時として、この記憶の良さが

痛みの記憶に重なって、苦しくなる時

があるようです。



親から叱られたのは、

わたしや弟の方が圧倒的に多いのですが、

「なんか、親が厳しくって嫌だった」

くらいにわたしは思ったりはするのですが


過去の記憶を頻繁に反芻することは

あまり、ありません。



妹は、常にその痛みで辛い思いをして

今でも癒されないこころを

どうにかして解放しようとしている

らしい。




わたしは結構、大変なことに遭遇して

いたりするのですが、

記憶のチカラが弱いので

忘れてしまっていることが

たくさんあります。



人から言われて

「〇〇みたいなことがあったじゃない」

「あ〜、そう言えば。みたいな」



イヤ、人生の途中から

今に、生きることに大変で

過去を反芻するヒマがなかったり。


幼少期の大変さを上回る衝撃な出来事が

あったりすると、

何だか、昔のことが薄まって

どうでも良くなっていった?

のかもしれません。



人は頭の中の扁桃体という部分が

恐怖や痛みにより刺激され

隣にある海馬の記憶に強く残る。

ということがあると

聞いたことがあります。



同じ出来でも解釈は

人によって違うものです。



それでも今に生きることが

過去の出来事の解釈さえも変えていく

のではないかなぁと思うのです。



親の魂が子どもより未熟というのは

よくある事です。


子どもは親に立派さとか、

完璧さを求め、

愛を求める。


未熟な親はその子どもの期待に

答えることができない。


子どもの魂が親のようで

親の魂が子どものようなことも

おこります。


それは、肩書きとか、学歴とか

そういうものとも関係ないようです。



自分の期待する親ではなかった。

といても、

それは、魂の輪廻転生のうえで

そういう宿命でしょうがなかったのだ。

と思えたらいいのですが。



出来れば、早めにそう思えると

自分の人生が楽になるのかもしれません。



繊細な妹の話を聞きながら

そんなことを思うのでした。