今回は近江鉄道に乗ってやってきたのはえー


多賀大社前駅だぁ〜爆笑
って事で駅から1㌔ほど離れた多賀大社に向かいます照れ

多賀大社  【たがたいしゃ】

古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。


日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。

生命の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。

春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉なども見事で、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、年間約170万人の参拝者を迎えています



鳥居
高宮町の旧中山道沿いに立つ大きな鳥居で、県下の石の鳥居としては古式で最大のものとかびっくり


鳥居は明神型で、柱と柱の間約8メートル、高さ約11メートル、柱の直径は1.2メートルもありますびっくり


青蓮院門跡尊純法親王の書いた扁額が掲げられていますねニヤリ


社殿造営に際して寛永12年(1635)に建立された鳥居で、ここから多賀の社まで約3キロ、昔は20メートル毎に参道に石灯ろうが並んでいましたニヤリ



社号標
標に比べたら…字が小さいようなキョロキョロ


太鼓橋
豊臣秀吉が母である大政所の病気平癒を祈願し、成就したお礼に米1万石を寄進したことで造営されたと伝わる石造の太鼓橋プンプン

“太閤橋”の名は、太閤を名乗った豊臣秀吉に由来し、秀吉の信仰の篤さを伝える名所として知られているんよニヤリ

天正16年(1588年)の寄進に由来し、現在の橋は寛永15年(1638年)の大造営で再建されたものえー

多賀町指定文化財にも登録されている貴重な石橋なんやって爆笑

急勾配の橋で、中央が高くなっているのは、神門から拝殿を直接見通せないようにするためえー


視線を遮ることで、参拝者により神聖な雰囲気を感じさせる造りになっているんよニヤリ


現在は通行不可なんやけど、古例大祭では御神輿がこの橋を渡る伝統が今も受け継がれているんやってニヤリ



御神門
屋根は本殿と同じ檜皮葺となっています照れ



手水舎
大きい神社やから鉢も大きい爆笑


本殿
本殿は江戸時代の寛永年間(1633年〜)の大造営で築かれた後、安永2年(1773年)の火災を経て、文化5年(1808年)に再建プンプン

入口の鳥居から太閤橋、神門、境内の石畳、拝殿、そして本殿へと一直線に続く導線には、導かれるような緊張感が漂ってます照れ

主祭神である伊邪那岐命・伊邪那美命は、『古事記』によれば日本の国土と八百万の神々を生み出した“生命の親神”プンプン


この男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道を開き、日本の国土と万物の神々、さらにその主宰神である天照大神を生んだとされているんよ照れ

このため古来より延命長寿・縁結びの神として信仰され、鎌倉〜江戸時代にかけて武家や庶民にも広く浸透したんやってニヤリ

現在では全国に239社の分祀社を持つほどにえー




能舞殿
能や舞などの芸能を神前に奉納するための舞台・建物やねニコニコ



熊野新宮
御祭神
速玉之男神(はやたまのおのかみ)

御神徳
子授け


速玉之男神は日本書紀に登場する神様照れ

(日本書記では、伊邪那岐命と伊邪那美命は伊弉諾尊と伊弉冉尊という名前です)
伊弉諾尊は伊弉冉尊を亡くして、あまりの悲しさに黄泉の国まで追いかけていきましたえー


しかし妻の変わり果てた姿を見て驚き、黄泉の国から逃げ帰りますガーン


姿を見られた伊弉冉尊は恥をかかされたと恨み、泉平坂(よもつひらさか)まで追ってきて争いますプンプン


伊弉諾尊は、伊弉冉尊と「離縁しよう」と言い、さらに「おまえには負けないぞ」と言ってつばを吐きましたえー


(古来より、つばには誓約や契約の性質があるとされます)
このつばから生まれた神様が、速玉之男(はやたまのお)ですニヤリ


伊弉諾尊と伊弉冉尊のいさかいが続いていましたが、そこに菊理媛神(くくりひめのかみ)がやって来て、伊弉諾尊に何かを申し上げます照れ


それを聞いた伊弉諾尊は、おほめになり帰られたということですえー


菊理媛神は、縁切りや縁結びの神様ともいわれていますニヤリ

伊弉諾尊にどんな話をしたのか不明です。伊弉諾尊と伊弉冉尊がその後、円満にお別れしたのか、和合できたのかは不明ですショボーン


天神神社
御祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)

世界の始まりに現れた神々です。「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼ばれていますえー


天之御中主神:天の中心の神
高皇産霊神:万物の生産の神
神皇産霊神:万物の生産の神

御神徳
殖産興業


熊野神社
ご祭神
櫛美気野命(くしみけぬのみこと)は素戔嗚命(すさのおのみこと)と同一神

御神徳
厄除け、開運



金咲稲荷神社
御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

ご祭神の宇迦之御魂神は、女神照れ
伊邪那岐命と伊邪那美命のひ孫にあたりますニヤリ

御神徳
商売繁盛・社運隆昌・金運上昇

金咲稲荷神社は、令和3年に御社殿を朱塗にしていますえー

歴史は文久二年(1862年)の古記録に、「金咲稲荷」と明記があり、「金が咲くお稲荷さん」ともいわれ、縁起がよく商売繁盛・社運隆昌を願う多くの人がお参りしますニコニコ

鳥居の朱色は、春の暖かさや明るい希望、陽気を象徴する色であり、豊穣をイメージさせる色でもあるんやってニヤリ


鳥居の朱色には、魔除けや厄除けの意味も含まれていますが、その効果は色そのものよりも「丹塗り」にもよるとされています照れ



金色…小判の絵馬びっくり


子安神社
御祭神
木之花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
木之花咲耶姫命は、大山津見神の子どもで、伊邪那岐命と伊邪那美命の孫ニコニコ

また、天照大神の孫である瓊々杵尊(ににぎのみこと)の妻として知られていますえー
子安神社では、木之花咲耶姫命を安産・子育ての神様としてお祀りしていますが、その背景には古くからの由来がありますえー

『古事記』によると、木之花咲耶姫命は、非常に美しい女神で、天から降臨した瓊々杵尊に見初められましたニヤリ


二柱の神はすぐに結婚しますが、木之花咲耶姫命が一晩で子を宿したため、瓊々杵尊は不貞を疑いますえー


彼女はその疑いを晴らすため、出産時に自ら産屋に火を放ち、「天孫の御子なら無事に生まれてくるでしょう」と言い、燃え盛る火の中で御子を出産し、潔白を証明しましたキョロキョロ

神話から、木之花咲耶姫命がどんな状況でも無事に子を産んだので、安産や子育てのご利益があるとされていますえー

多賀大社で安産祈祷を受けると、安産絵馬が授与されますニコニコ

この絵馬は、子安神社の絵馬掛け所へ奉納するそうですえー

子安神社では、子どもの健やかな成長を願うこともできます照れ

御神徳
安産・子授け・子育て


竃神社
御祭神
火産霊神

御神徳
家内安全

火産霊神は、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)ともいわれ、伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ火の神照れ


年神神社
御祭神
大年神(おおとしのかみ)

御神徳
五穀豊穣

大年神は、須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた男神プンプン

宇迦之御魂神と共に誕生しましたえー

大年神は伊邪那岐命の孫にあたりますニヤリ



多賀大社の「寿命石」は、延命長寿のご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れますえー

白石に願いを書き、寿命石の周りに置いて、長寿や健康を祈願します照れ


寿命石のまわりに置かれた「祈願の白石」は、後ほど本殿の庭に敷き、長く祈念されるそうですよキョロキョロ

寿命石の由来
寿命石には、平安時代に東大寺の再建に尽力した、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が深く関わっていますえー

重源は中国で、仏教や土木建築技術を学びましたプンプン

1180年、平家の南都(奈良)の焼き討ちにより、東大寺は大きな被害を受けましたえー

重源は東大寺の再建を任され、1185年に大仏を再び建立プンプン

その後、大仏殿の再建を目指しますが、年齢と体力に不安があったため、1186年に伊勢神宮を参詣(さんけい)しますニヤリ

神宮で祈り続けると「寿命の祈願なら多賀大社へお願いしなさい」と神託を受けますえー

多賀大社を訪れ、神前で祈っていると、突然、目の前に一枚の柏の葉が舞い落ちてきましたびっくり

その葉を手に取ってよく見ると、虫に食われた部分に「莚(むしろ)」という文字が浮かび上がっていましたびっくり

重源はその「莚」の字から「十」が二つと「延」という文字を連想し、神様から20年の寿命を与えられたと悟りますえー

その後、重源は東大寺の再建に全力を尽くし、偉業を成し遂げましたプンプン

境内にある寿命石は、重源が霊験をいただいた際の、ゆかりの石と伝えられています照れ



神馬舎
神馬舎は、神事の時に神馬が休憩する場所とされてきましたニコニコ



お多賀杓子
元正天皇の病気平癒に由来する「お多賀杓子」えー

当時の神主が「しでの木」で作った杓子で強飯(こわめし)を献上したところ、天皇が快癒したと伝わるんよえー


さらに、杓子を製作した際に出た残りの枝を地に挿したところ、後に「飯盛木(いもろぎ)」と呼ばれる大木へと成長したと伝えられているんやってニヤリ

「お多賀杓子」は現在も病気平癒・健康祈願の象徴として、多くの参拝者に授与されています照れ



杓子絵馬

顔を描きたい所ですね爆笑


むすび絵馬

可愛いですね照れ


天満神社
御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

御神徳
学業成就・試験合格




愛宕神社・秋葉神社
御祭神
愛宕神社:火産霊神(ほむすびのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
秋葉神社:火産霊賀具都知神(ほむすびかぐつちのかみ)

御神徳
火伏せ・防火

火産霊神・火産霊賀具都知神は同じ火の神様プンプン
火産霊神は、伊邪那美神の子どもなんよニヤリ



文庫
彦根藩は、桜田門の変のあと、勤皇側についたが、この転向に大きな役割をした車戸家の邸内にあった文庫とかえー


その当時、長州や土佐の志士らと密議が行われたという、維新前夜の歴史がしみこんだ建築物なんやってニヤリ



神輿庫
御神輿(おみこし)と御鳳輦(ごほうれん)がびっくり


神輿とは?えー


神様の乗り物とされますニヤリ


社殿の形をしていて屋根には、鳳凰(ほうおう)や飾り物をつけて、彫刻が施され鈴や鳥居が取り付けられますニコニコ


鳳輦とは?えー
鳳凰の飾りをつけた神輿のことをいいます照れ



御神輿は、多賀大社の最重儀である古例大祭で栗栖(くるす)にある調宮神社(ととのみやじんじゃ)へご神幸されますウインク



鐘楼
鐘楼・梵鐘 浅井猿夜叉11歳(浅井長政)の名が刻まれた梵鐘が、多賀大社参集殿のそばの鐘楼に吊るされているびっくり


梵鐘が奉納されたのは、天文24年(1555)キョロキョロ


 不動院の初代住職・祐尊の呼びかけに応じた近隣の土豪122人が連名で寄進したんだとかえー



太閤蔵
天正年間(1588年)豊臣秀吉が多賀大社に生母の病気平癒を祈願し、全快のお礼の一つえー



夷神社
御祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)

御神徳
商売繁盛・大漁満足



西参道入口の鳥居爆笑



日向神社
御祭神
瓊々杵尊(ににぎのみこと)

御神徳
結婚成就・家内安全・国家安泰

瓊々杵尊は、日本神話に登場する天照大神の孫えー

地上に降臨し、神武天皇の祖先とされる神様なんやってニヤリ

作物の豊かな実りと平和をもたらす神として崇敬されています照れ



顔…なんか…濃いえー


神明両宮
御祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)・豊受大神(とようけのおおみかみ)

御神徳
国運隆昌

天照大神は、日本神話で太陽を司る神様として登場しますえー

伊勢神宮の内宮に祀られ、日本の文化と歴史に深く根付いてるんよニヤリ

天照大神は、国土を照らし、豊穣と平和をもたらす神として崇められていますえー

豊受大神は、日本神話の食物や穀物を司る神で、伊勢神宮の外宮に祀られています照れ

天照大神に食事を供える役割を担い、農業、衣食住を守護する神として崇められていますニコニコ



参集殿 表門
重要文化財なんやって爆笑



大釜
徳川幕府は多賀大社を深く崇敬し、大規模な造営や修復工事を行いましたえー

この二つの大釜は、正遷宮を記念して設けられた、御湯神事の調度品として伝えられています照れ



滋賀県犬上郡多賀町多賀604



多賀大社 大鳥居近くのお店の糸切餅 元祖莚寿堂本舗さんへ名物の糸切り餅を買いに爆笑
明治12年創業とかでめちゃ老舗店なんよニヤリ

糸切餅のお話
近江昔ばなし
むかしむかし、モンゴル(蒙古)と云う国が有ってのう。
その国は戦争がえろう強くて隣国をどんどん侵略して行き、海を渡って日本にまでその手を伸ばして来たのじゃ。


博多の国に上陸して来た蒙古軍は、それはもう強くてのう、日本の武士達はさんざんたるものじゃったそうな。

ところが夜に成ると蒙古軍は全員自分達の船にもどってしまったんじゃよ。


その日の夕刻より降りだした雨は風をともない、やがてものすごい嵐と成って蒙古の軍船をおそって来たのじゃ。


そして、一夜の内に蒙古軍はほとんど沈んでしまったのじゃよ。


台風によって国難をまぬがれた日本は、
全国の神社仏閣に感謝と平和の祈りを国を上げて祈願したのじゃよ。

ところがじゃ、蒙古の王フビライはまだ日本征服があきらめられず、又しても海を渡ってせめて来たのじゃよ。


此の時の蒙古軍の船は数干隻と言われ
博多近くの海は敵の船で埋まるほどで、
それはもう見るだけでも恐ろしい程じゃったそうな。

いよいよ明朝は日本に上陸しようと結集して居る蒙古船団に向って又してもその夜、ものすごい嵐がおそいかかり数干隻の蒙古船団はつぎつぎと沈んでしまった。


日本の国はこうして二度までも台風に救われたのじゃ。


それで誰が云うともなく此の台風の事を神風と呼んで神仏に感謝したのじゃ。

こうして平和が蘇えったのを喜ぶ里人は、
おだんごを作り蒙古軍の旗印の赤青三筋の線を書き、此れを弓のつるで切って御神前におそなえしたのじゃよ。


それが今に伝わりお多賀さんの名物糸切餅と成ったのじゃ。

三味線の糸で餅を切るのは刃物を使わず悪霊を断ち切る、すなわち平和を意味して居るのじゃよ。


又、蒙古軍の戦利品が埋められて居ると云われる船塚が今もお多賀さんの森にあるのじゃ。


それから蒙古来襲の絵と云うのが莚寿堂に陳列されて居るから向学のため一度見ておくのも良いことじゃて…



店先でアウトレットの文字びっくり

現金のみで3パック限定に釣られて購入えー
少しキズがある程度でめっちゃお得!爆笑

8個  400円
通常は5個500円なんでえー
めちゃ安っラブ

米粉で作った白い餅でこし餡を包み、
その表面に青・赤・青の3本の縞模様を描き、細長く伸ばして糸で一口大に切ったものえー


米粉を使っているため、柔らかな食感が特徴照れ


ほんのり塩味を感じるやさしい甘さ照れ

多賀大社前駅から617m
滋賀県犬上郡多賀町多賀599