坂越浦城跡
嘉吉(かきつ)元年(1441年)の嘉吉の乱によって播磨国守護・赤松満祐を滅亡させた山名宗全が乱の後、赤松残党の逆襲に備えて茶臼山城を築城したとされていますえー
 

乱から14年後の享徳4年(1455年)に、赤松満祐の子・教康(のりやす)と甥の則尚(のりひさ)らが茶臼山城に陣取る山名氏を攻めようとしましたが、あえなく敗れ、やがて自害したと伝えられていますプンプン


坂越浦城は赤松惣領家の再興後は、赤松村秀による坂越港支配の拠点となりましたニヤリ



現在は展望広場となっています照れ
 

その北側に茶臼山登山口があり、一部未舗装で狭いところもありますが、車で上がることもできるんよえー


茶臼山の頂上は東西27メートル、南北13メートルの平たんな土地が広がっており、いずれも坂越湾を臨む絶景を楽しめます照れ



坂越浦城跡からの展望照れ
すっごく素敵ですよ照れ
椅子などもあって…のんびりできますニヤリ


山崎善吾君像
この山崎 善吾なる人物は坂越村の村長だった人物で、この村の発展に寄与した為にその功績が称えられて銅像が設置されたんやってキョロキョロ



山道を1㌔プンプン
妙見寺へ向かいますえー

妙見寺  【みょうけんじ】

天平年中(729~749年)に行基によって開山され、大同2年(807年)に空海(弘法大師)が唐からの帰途、生島に停留した際に「宝珠山妙顕寺」と名付けたとされます。


嘉吉の頃(1441~1444年)の頃には16坊5庵を抱えた大山岳寺院であったそうですが、文明17年(1485年)の僧兵一揆によってほとんど焼失してしまったそうです。

なお、当寺の観音堂は「円通閣(えんつうかく)」と呼ばれ、万治2年(1659年)に奥の院として宝珠山上に創建されましたが、台風によって大破してしまったため、享保7年(1722年)に現在地に再建されたそうです。


ちなみに観音堂の蛙股には東西南北の方角に当てた十二支彫刻があり、4枚の三角形を合わせた屋根はピラミッドと同じ方向を向くといわれています。

また、かつては大避神社の神宮寺でもあり、同社と祭神の秦河勝とは縁が深い寺だったそうですが、明治の神仏分離令によって分離されたため、寺院として独立して現在に至るとされています。



山門はなくて…えー
寺号標だけがありましたニヤリ


手水
水…ないガーン


観音堂
万治2年(1659年)に建立、享保7年(1722年)に再建されましたが、近世寺社のなかでは、全国的にも例の少ない懸造(かけづくり)の建物えー

御本尊
如意輪観音(にょいりんかんのん)
法輪をもって一切の願望を満たし、苦しみを救うとされる菩薩照れ



観音堂からの景観がめちゃ素敵なんです照れ


観音堂からの眺めニヤリ
額縁みたいで…
絵画やね照れ


薬師堂
薬師如来像、不動明王像、妙吉祥菩薩像が祀られていますえー


薬師如来像は空海作とされ、秘仏として60周年周期で開扉法要が営まれているそうですよ照れ



妙見堂
本尊として妙見大菩薩像を祀っていますえー

この本尊は、秦河勝の一族である勤操僧都が自ら刻んで祀ったものだそうですびっくり



地蔵堂
地蔵菩薩が鎮座していますえー


この地蔵堂は小さいですが、歯痛の時に使用中の箸を供えてお願いすれば痛みがおさまると言われている霊験あらたかなお堂なんやってびっくり



なんか…
変わった…顔ニヤリ


観音堂から
更に山道を登りえー
奥の院へ向かいますプンプン


奥の院へ進む参道から望む生島の眺望ラブ

めちゃ最高やぁ〜爆笑


島は小豆島かなキョロキョロ


奥の院
宝珠山にある奥の院プンプン

妙見寺よりも山上にあり、堂内に不動明王・阿弥陀如来・弘法大師を祀っています照れ

縁起によれば、昭和初期に弘法大師の四国八十八ヶ所霊場を坂越浦に勧招する事業が起こり、昭和6年に宝珠山八十八ヶ所が開山されたそうですえー


これにより、茶臼山と宝珠山の稜線上に四国八十八ヶ所の寺院名を刻んだ88体の石仏を祀り、高野山「奥の院」を勧招して仏堂を建立したことに始まるとされますニヤリ

その後、昭和20年の終戦の年に霊場「明星水の池」のほとりに移築され、昭和27年に新築したとされますえー

なお、現在地は妙顕寺の坊庵群が集中していた霊場域で「妙見様屋敷」と呼ばれ、盛時には護法堂があったそうですよびっくり

なお、当院の建つ「明星水の池」には、仏教伝来の頃に聖徳太子が秦河勝とともに諸国巡検で訪れたともいわれていますニヤリ


また、天平年中(729~749年)には行基が訪れ、法螺貝を吹いて開山し、自ら虚空蔵菩薩を刻んで池のほとりに祀ったとされ、後年、勤操僧都が当地で秘宝「虚空蔵求聞持法」を会得し、大満虚空蔵石塔の奉納と、自ら刻んだ妙見大菩薩像を祀ったことから、人々に「明星水の池」と呼ばれるようになったとされています照れ



素敵な字…照れ


観音堂の御朱印ですねニヤリ

兵庫県赤穂市坂越1307



旧坂越浦会所

旧坂越浦会所 はえー
坂越港と千種川とを結ぶ低い峠越えの中心通り(近世には「大道」といった)を港側に下りきった所に位置し、正面を港に向けまさに町並みの中心に立地しているんよえー

現存する史料からその建築年代が天保2年(1831)であることが明かなほか、会所日記などから当時の建物の構造や部屋の利用状況、村落運営までも窺うことができるえー


さらに、本来「会所」は行政や商業などの事務をとるための施設であるが、この会所は村会所であるとともに、赤穂藩の茶屋的機能を合わせ持っており、藩主の専用の部屋(「観海楼」)が併設されているのが特徴なんよニヤリ

現在坂越湾の周辺は景観形成地区に指定され、町の中心部には伝統的建造物群等による情緒ある町並みが形成されているんやってニヤリ


旧坂越浦会所の港に面した入母屋屋根は、平入りの町並みのなかでは隣接する奥藤家とともに景観上に得意な位置を占めており、歴史的港町のシンボルとしてその役割は極めて大きいんやってびっくり
 

以上の理由から平成4年(1992)4月30日、赤穂市指定文化財となりました照れ



天井の低さと、梁の存在が良い雰囲気
赤穂藩の藩主専用の茶屋 みたいな場所でもあったそうなんよ照れ



お庭…
めちゃいい雰囲気がありました照れ


海側へ開けた窓があるこの部屋は「観海楼」と呼ばれる「御成の間」えー


赤穂藩のお殿様(藩主)が祭礼とか釣りで遊びに来た時に、お殿様専用の部屋として使われてたんやってびっくり


当時は、この真ん前まで海だったらしく、景色も良かっただろうなぁ〜キョロキョロ

部屋で 寝っ転がって昼寝をしても、写真を撮ってもえー
何をしてもかまわない と 言っていただき、ゆっくりしました爆笑



石畳の道「坂越大道(さこしだいどう)」沿いで、奥藤酒造のすぐ前にある伝馬船さんは、坂越牡蠣やその加工品、厳選の赤穂土産を販売しています照れ


坂越牡蠣の生産業者・大河水産の直営店として、朝に水揚げしたばかりの新鮮なカキを使った牡蠣料理のメニューも提供してるんよニヤリ



MENUの一部えー
牡蠣…照れ


名物「伝馬焼き」(600円)
プレス機で焼いた「イカ焼き」ならぬ「牡蠣焼き」といった感じキョロキョロ


大粒の牡蠣をふんだんに使っていて、牡蠣の存在感が半端なしやぁ爆笑


もっちりした生地と牡蠣のバランスが絶妙で、タレは、ソース、塩ぽん酢、かき醤油から選べますえー


生地はしっかりめで牡蠣が4個乗ってます
牡蠣醬油をチョイス‼︎爆笑


大きな牡蠣に更にこのお醤油が香ばしく香りからもう美味しかった…照れ


更に、お店の方から塩ポン酢をかけるとより美味しいですよとのことで持ってきて頂いたので、かけてみるとこれまた爽やかでより香り高いお味に照れ

坂越駅から1,247m
兵庫県赤穂市坂越2175