光照院から

知多四国八十八ヶ所霊場 第20番札所へ照れ


龍台院   【りゅうたいいん】

龍台院は天正元年(1573)、当地の土豪だった吉田禎輔が堂宇を建立し、珠嵓大和尚を第一世として開創された。


当時は観音堂と呼ばれていましたが、慶応元年(1865)、甘雨為霖大和尚によって曹洞宗として法地が開かれ、 堂も整備されていきました。


昭和20年、道路拡張のため境内は大きく削られ、弘法堂も取り壊されたが、 同63年、知多四国霊場開創180年を記念し再建されています。


弘法堂の左に祀られた「萬松稲荷」は、元は横須賀町(現東海市) の玉林斎にあったもの。

その住職の夢枕に神様が立たれ「巽にあたる半田の龍台院に祀ってくれよ。

衆生の済度がしたい」と告げられたため、龍台院に譲られました。


明治30年のことといいます。



山門はなくてえー
石柱門だけキョロキョロ



手水舎
ポンプを押して水を汲むようになっていますびっくり



本堂
本尊
十一面観世音菩薩坐
お庭に鶴がいるのは本四国20番の鶴林寺(おつるさん)からきてるようですよえー



弘法堂
道路拡張により取り壊され、昭和63年に再建されたものと言われると頷けますえー



龍台院の弘法さまは「手足弘法」と呼ばれ、堂の前に置かれた手・足をかたどった木の棒で患部をさすり「南無大師遍照金剛」と唱え平癒を祈願するものなんやってニヤリ



観音堂
右手に阿弥陀如来の掛軸と梵字、左に小さな地蔵や観音像が安置されていますニヤリ


格子戸の先には本尊の十一面観音菩薩坐像、弘法大師作の地蔵菩薩が安置されていました照れ



抱き地蔵
参拝者が実際に地蔵像を抱き上げることで願掛けや祈願を行う信仰形態の地蔵を指し、多くは子どもの成長・安産・病気平癒などを祈る対象としてます照れ



賓頭盧長者
自分の体の悪い部分と同じ所を撫でると、病気やケガが治るとされています照れ



水子地蔵
この世に生まれられなかった子どもの魂を守り導き、その成仏と親の心の癒やし・罪悪感の軽減を祈ることとされますえー


あわせて、子授け・安産、家族の安全や子どもの健やかな成長を願う事も…照れ



知恵福郎と呼ぶそうですびっくり
フクロウを「知恵」と「福」の象徴として組み合わせた縁起物やキャラクター的な呼び名で、日本では学業成就・合格祈願・商売繁盛などのシンボルとして用いられます照れ



萬松稲荷
本殿の台座の上に白い子狐が置かれ、稲荷であることを物語っていますえー


以前は東海市横須賀町で祀られていたが縁あってこちらに遷されたようですよキョロキョロ



伊勢湾台風被災者を弔う石仏キョロキョロ

昭和34年(1959年)プンプン
9月21日にマリアナ諸島の東海上で発生した台風第15号は、中心気圧が1日に91hPa下がるなど猛烈に発達し、非常に広い暴風域を伴ったガーン


最盛期を過ぎた後もあまり衰えることなく北上し、26日18時頃和歌山県潮岬の西に上陸プンプン


上陸後6時間余りで本州を縦断、富山市の東から日本海に進み、北陸、東北地方の日本海沿いを北上し、東北地方北部を通って太平洋側に出たえー


勢力が強く暴風域も広かったため、広い範囲で強風が吹き、伊良湖(愛知県渥美町)で最大風速45.4m/s(最大瞬間風速55.3m/s)、名古屋で37.0m/s(同45.7m/s)を観測するなど、九州から北海道にかけてのほぼ全国で20m/sを超える最大風速と30m/sを超える最大瞬間風速を観測したんですびっくり
 

紀伊半島沿岸一帯と伊勢湾沿岸では高潮、強風、河川の氾濫により甚大な被害を受け、特に愛知県では、名古屋市や弥富町、知多半島で激しい暴風雨の下、高潮により短時間のうちに大規模な浸水が起こり、死者・行方不明者が3,300名以上に達する大きな被害となったショボーン

また、三重県では桑名市などで同様に高潮の被害を受け、死者・行方不明者が1,200名以上となったとかショボーン


この他、台風が通過した奈良県や岐阜県でも、それぞれ100名前後の死者・行方不明者があったとの事ですプンプン



知多四国八十八ヶ所霊場 第20番札所
愛知県半田市前崎東町35



かなん堂さんのえー

われミックス尾張知多のえびせんべいをお土産として買って帰ってきたぁ〜爆笑



色々な種類が入っているので味や食感の変化があり飽きないです爆笑

一度食べだしたら止まらなくなって爆笑
一袋ペロッと食べちゃいましたてへぺろ