乙川八幡社から

知多四国霊場第18番札所へ移動えー


光照寺   【こうしょうじ】

興国三年(1342年)源親房の建立という。元の寺は八幡社前の海岸にありましたが、文化5年(1808年)、紀州徳川家の支援によって十四世覚阿是興上人の時、現在地に移転しました。


文化八年(1811年)廓山和尚の時、本堂はじめ庫裏等上棟落慶した。別棟の観音堂は当時寺格の関係で塔の建築は許されなかったが、鳴海陣屋の成瀬隼人正に懇願し「ヒサシ(向拝)をつければ塔にあらず。」との条件で建立を許されたと伝わっています。



鐘楼門
入母屋瓦葺の四脚二層の門えー
扉の様に見える袖壁が四脚其々に付けられ、軒先の深い屋根は鳥が羽を広げたように見えるね爆笑



手水舎
こじんまりした手水舎ですニヤリ


本堂
御​本尊 
阿弥陀如来
ご利益は、念仏をとなえその本願を信じることで、死後に極楽浄土へ往生し、苦しみから解放されるとともに、この世でも心の安らぎと不安の軽減を得られるとされます照れ



六地蔵堂ですえー



六地蔵堂に安置されている地蔵達、どれだけの年月を重ねてきたものか、一部に表情は消えかけようとするものも安置されていましたキョロキョロ



こちらは地蔵堂ニヤリ



清水次郎長地蔵尊
清水次郎長所縁の地蔵尊とされ、以前は亀崎街道の県道沿い安置されていたそうで、時代の流れで居場所を失い光照寺に安置されたようですえー

勝負事に御利益があるとされ勝軍地蔵、心願成就地蔵とも呼ばれるそうですよニヤリ


そもそも「亀崎に清水の次郎長さん?」となるだろうが、その昔の亀崎は海運業が盛んで舟の往来も多かったとかえー


講談にも取り上げられる話で、八尾ケ嶽惣七の四股名の相撲取り、穂北の久六は博打が好きで十手持ちでもあったとかびっくり


次郎長からも情けをかけてもらうなど親交があり世話になるも、ついにはその道にどっぷりと浸かっていき博徒として子分を持つほどの頭角を現していったというえー


悪行の数々を働き、次郎長からも行いを改める様に再三警告を受けていた、久六は次郎長の名声や警告を嫉み、次郎長に有らぬ疑いをかけ捕縛を画策したとかびっくり

幸運にも逃げきった次郎長は、大政、森の石松、八五郎の子分を呼び、亀崎巡業に訪れていた久六を誘い出し、亀崎街道の現在の乙川駅付近で久六やその子分を襲撃、次郎長により右腕を切り落とされた久六は虫の息となったプンプン


見かねた村人が久六を取板の上に乗せ光照寺に運びそこで息絶えたと云うショボーン


1859年(安政6)のことだとか…えー


この地蔵は久六打ちを前に、次郎長が成功を祈った地蔵され、以来勝負事に御利益あるとされ参拝者が訪れるのだそうなんよ照れ



観音堂
二層方形屋根の観音堂で約束通りに大きな向拝が付けられていますえー


改修履歴は不明で、現在の姿は1811年以降大きな改修を受けていないのか、軒などに傷みが見られますキョロキョロ


寺格により二重の層塔建築が許されていなかったが、尾張藩家老の成瀬隼人正に懇願し、「庇(ひさし)を付ければ塔に非ず」の裁定を受け建立されたそうですよニヤリ



外陣には大きな奉納額や提灯が吊るされ、内陣中央の厨子に本尊の秘仏十一面観音像が安置されているびっくり


この本尊はその昔、亀崎沖で漁師の網にかかったものと云われ、それをここに安置したという話が残るそうですえー


正直理解に苦しむ話ですが、こうした言い伝えは各地で耳にしますえー


そうした数だけ戦禍や自然災害が起きていたのだろう、素直に解釈して「昔の海や川には沢山の仏像が流れていた」という事なんだと思うえー


弘法大師像は内陣左に安置されていますニヤリ



スプリングエンジェル
群馬県で育成され品種登録されたガクアジサイ系統の園芸品種群の名称で、「スプリングエンジェルピンクエレガンス」「スプリングエンジェルブルーエレガンス」などの品種を含み、春から初夏にかけて上品な花色を楽しめる鉢物・庭植え向きのアジサイなんやって照れ



知多四国霊場第18番札所
愛知県半田市乙川高良町120




半田市にある和菓子店若松軒さんに行ってきましたぁ爆笑


半田駅のすぐ近くにあるためか、観光地のお菓子屋さん要素も含まれている印象を受けますねキョロキョロ


明治10年創業で、オーガニック素材にこだわって作られるということなんよ照れ



カステラ  270円
市内の養鶏場の卵を使ったカステラ
一口かじった瞬間のしっとり、ふわふわの食感照れ

卵と砂糖のやさしい甘さが、口の中いっぱいに広がりますニヤリ


とてもおいしいカステラやった爆笑

半田駅から212m
愛知県半田市銀座本町2-11