長野神社から長閑な風景を見ながら…
つぎの烏帽子形八幡神社に向かいます照れ

烏帽子形八幡神社
【えぼしがたはちまんじんじゃ】

烏帽子形八幡神社の歴史は、烏帽子形山にあった楠木七城(河内七城)のひとつである烏帽子形城と密接に関わっています。


伝承によると、楠小二郎がこの城に入城した際、城の鎮護として社を創建したのがこの神社の始まりとされています。

その後、天台宗の高福寺が神宮寺として創建されましたが、時代の流れとともに荒廃しました。


文明12年(1480年)には河内源氏の末裔とされる石川八郎左衛門尉が新たに社殿を建立しました。


この事実は、1965年(昭和40年)の解体修理の際に発見された棟札や棟束の墨書により確認されています。

また、室町時代末期にも一度修理が行われた後、元和3年(1617年)には楠木一族の後裔とされる甲斐庄正房が、大阪四天王寺の普請奉行を務めた際の余材を用いて改修を行いました。


この改修は元和8年(1622年)に竣工しています。



社号標
1331年、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の為に挙兵すると、南河内の豪族「楠木正成」も呼応えー


正成は、南河内にいくつか城を築き幕府軍の襲来に備えますが、その一つが烏帽子形城なんやってニヤリ


交通の要衝である烏帽子形山築かれた烏帽子山城は、他に築城された6つの城と合わせて「楠木七城」の一つに数えられていますえー


築城時、誰が城を守っていたかはよく分かっていませんが…ショボーン


他の城には、楠木家の縁者が配置されていたことから、楠木家に近い人物が城主だったと思われますえー


烏帽子形八幡神社は、烏帽子形城の城主が城の鎮守として創建したといわれているんだとかキョロキョロ


鎌倉幕府が倒れた後も、南北朝の争いや応仁の乱が続き、烏帽子形城では攻防が繰り広げられました照れ


兵火は烏帽子形八幡神社にもおよび、社殿は激しく荒廃したといわれていますショボーン

そのため1480年(文明12年)、河内石川源氏の末裔といわれる石川八郎左衛門尉が新たに社殿を建て直して再建プンプン


しかし畠山家の跡目争いや、三好家の河内侵攻などの兵乱が続き、烏帽子形八幡神社も再び荒廃することにガーン



鳥居
江戸時代に入り大坂の陣が集結すると、烏帽子形八幡神社にもようやく平和が訪れます照れ


烏帽子形城には、甲斐庄正房という人物が入り、錦織郡(河内長野市全域と富田林市の一部)を治めましたえー

甲斐荘(かいのしょう)氏は、楠木正成の弟「楠木正季」の末裔を称する一族で、長年にわたり烏帽子形城を治めていましたニヤリ


戦国時代に畠山家に属していた甲斐荘氏は、河内に侵攻してきた三好家と戦いに敗北し、烏帽子形城を奪われますえー

本拠地を失った当主の甲斐庄正治と息子の正房は、徳川家に仕官ニヤリ

後に甲斐庄正房は、大坂の陣において案内役を果たす他、浪人の大坂城入城を阻止するなど、河内の土地勘を生かした功績をあげますプンプン

その結果、甲斐庄正房は烏帽子形城と河内国錦部郡2000石が与えられ、かつての本拠地を奪還えー

のちの1617年(元和3年)、甲斐庄正治は、普請奉行として四天王寺を再建しています照れ


一方、居城の鎮守である烏帽子形八幡神社は、依然あれたままだったため、四天王寺再建に使った余材を利用して、烏帽子形八幡神社を改修えー


1622年(元和8年)に竣工し、ようやく落ち着きを取り戻しました爆笑

鳥居をくぐると、なかなか急角度な階段が待ち受けていますねガーン



拝殿爆笑
社務所も兼ね備えた造りになってます照れ


手水には龍が降臨爆笑


本殿(重要文化財)
楠木正成が築城した楠木七城のひとつとされる烏帽子形城に、城の鎮護として創祀したものと伝えられており、その後暫く荒廃していたが、室町時代の文明12年(1480年)に、新たに入母屋造りの社殿を建立えー

主祭神   
菅素盞鳴命(スサノオノミコト)
足仲彦命(タラシナカツヒコノミコト)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
応神天皇(オウジンテンノウ)

足仲彦命は、仲哀天皇のことで、応神天皇の父にあたりますニヤリ


神功皇后は、仲哀天皇の奥さんで、応神天皇の母照れ


八幡神は、武運の神様として知られており、城の鎮守としてはふさわしい神様といえますねニコニコ

ご利益   
厄除、除災招福、武運長久、安産祈願、子育大願、航海安全、出世開運



狛犬
慶応元年(1865)生まれえー

若々しく元気な浪花狛犬さんですねニコニコ


願掛け狛犬でもあるようですよ照れ



烏帽子形稲荷神社
御祭神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

五穀豊穣を司ることから、商売繁昌や家内安全に御神徳・ご利益があり、「実が成る」ということから成就につながり諸願成就の御神徳・ご利益もあると信仰されております照れ



楠木由来の木
楠木正成が、湊川の戦いに向かう前に、武運を祈願して植えた松と伝えられていますえー


残念ながら1934年の台風で倒れてしまったとかえーん

現在は一部が保存されていますプンプン



比良神社
平安時代の延久年間(1069年~1074年)の頃、この辺りに当地の産土神である比良明神の社が鎮座し、その横には放生池という池があったそうですえー


ここで飼っていた魚を京都府八幡市八幡高坊にある石清水八幡宮の川に放ちに行ったという故事が現在の石清水八幡宮の放生会神事(勅祭 石清水祭)の元となったのではないかと推測されているとかキョロキョロ


また、この池は明治の初めまで「石清水井」と呼ばれており、かつては旅の安全を祈願した他、戦時中は出征兵士の武運を祈ってこの池に魚や亀が放流されていた、とのことえー

古来、農業の神、病気平癒の神、健康の神、福の神、縁結びの神、学問の神として信仰されています照れ



烏帽子形恵比須社
島根県の美保神社より事代主命を勧請して建てられたとのことえー


1月6日に宵恵比須祭、7日に本恵比須祭が行われています照れ



大阪府河内長野市喜多町305



河内長野駅から徒歩数分、道路沿いに有る和菓子屋の友井堂さん照れ


1940年創業の老舗の和菓子屋サンとの事でえー
上品な上生菓子からお手軽などら焼き
羊羹、季節の商品まで色々あり目移りします照れ



どら焼 220円
太鼓 160円を購入照れ



美味しそうな焼き色ですね照れ


どら焼
ココは 生地がしっかりといい焼き で 照りもある 皮自体甘味少しでいいです照れ

ただ あんこの甘味は 今風なのか 少ない感じキョロキョロ

太鼓
回転焼きのミニバージョンやぁ爆笑
ふわっとしたカステラ生地にギュッとこし餡が入っていました照れ


河内長野駅から58m
大阪府河内長野市本町29-22