今回は大阪府河内長野市にえー

河内西国巡礼 第二十番札所にお参りにきました照れ

河内西国巡礼 第二十番札所の観音寺は駅からかなり遠く…

以前は富田林駅から金剛バスて観音寺の近くまで来れたのですが…

金剛バスは廃止…ガーン

運転手不足とかで…ショボーン
行く方面としたら…
河内長野駅から南海バスで小吹台まで行き…
山道を2㌔歩いて行きますプンプン

楠妣庵観音寺
【なんぴあんかんのんじ】

楠木正行が延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する仏堂を建立したのが起源とされる。



正平3年/貞和4年(1348年)に開基とされる正行とその弟正時が四條畷の戦いで討死した後、二人の母で楠木正成正室である久子は観音殿があった当地に草庵を結び隠棲えー


久子は敗鏡尼と称し、念持仏の十一面観音を奉祀して夫と息子、一族の菩提を弔いつつ16年間の余生を過ごしたとかニヤリ

久子の入寂後、正行の弟楠木正儀は不二房行者(藤原藤房、後の授翁宗弼か)を住持させて、観音殿を改め観音寺とし、楠木一族の香華寺としたとされてますニヤリ

後には戦火によって当寺は焼失したりしてるとか…ショボーン



楠母子像
「世の憂きも 辛きも忍ぶ思いこそ 心の道の誠なりけり」尊氏より届けられた父の首級を見て、父の後を追おうとした正行を母久子が制止し諭す有名な場面とかキョロキョロ


山門前に、昭和十年大楠公六百年祭に竣工された銅像なんよえー



山門
1964年(昭和39年)再建プンプン

楠公夫人六百年祭の際、山梨県甲州市の恵林寺塔頭青松軒の山門を移築したものとかびっくり


山門の屋根には菊水の紋章が施されており、これは楠木家の家紋であると同時に火除けの意味も込められているんだとかえー

江戸時代に、甘南備の松尾家が真言宗無本寺であった観音寺の除地として久子の遺跡を守れるよう寺社奉行に届出たことから、観音寺は楠妣庵と称された草庵と共に、江戸時代を通して松尾家の所有であったようなんよえー


享保年間(1716年 - 1736年)までは尼僧を住持させて護持されていたが、明治時代となった1873年(明治6年)に廃寺とされたとかキョロキョロ

廃寺跡は甘南備の尾花和市の所有に帰することになり、久しく田畑として利用されていたが、1915年(大正4年)2月、岐阜県益田郡下原村(現・岐阜県下呂市金山町)出身の篤志家加藤鎮之助によって購入されることになり、1917年(大正6年)5月に楠妣庵と称する草庵が、東京帝国大学教授・帝国芸術院会員伊東忠太博士の設計により、鎌倉時代末期の建築様式に則り復元爆笑

1922年(大正11年)には同じく鎮之助により本堂も再建され、池上慧澄(柏蔭室湘山老大師、臨済宗大学学長)が住持として請われ晋山、約半世紀を経て再興が果たされた。また、東宮であった裕仁親王(昭和天皇)がここに行啓しているんよえー


1932年(昭和7年)2月には、石神會元(三光亭老大師、恵林寺貫主)が住持として請われ晋山したんです照れ



手水?キョロキョロ
お風呂…爆笑


本堂
峰條山観音寺は、もと正行が在世中、後醍醐天皇崩御の後に太上皇を君主として仰ごうと峰條山の一角に一殿を造り、天皇の念持仏であった千手観音を安置し峰條山観音殿としますが、夫人没後は正行の弟楠木正儀が、観音寺と改め、楠木家の菩提寺としましたプンプン


これも久しく廃滅していましたが、楠妣庵の再興に続いて大正十一年(一九二二)完成爆笑

御本尊 

十一面観世音菩薩



観音堂
夫人の念持仏、十一面観世音が祀られていたお堂プンプン


草庵とともに当時の様式で再建された簡素な小堂やねニヤリ


1917年(大正6年)5月に伊東忠太博士の設計により再建えー


久子の念持仏である十一面観音が祀られてるんやって照れ



草庵
久しくとだえていましたが伊藤忠太工学博士の設計で当時の様式にならい、大正六年(一九一七)に建立されたものえー


出家し敗鏡尼と号した大楠公夫人はここで正成・正季・正行・正時ら一族の菩提を弔いましたニヤリ

昭和天皇が大正時代に楠妣庵観音寺を御行幸された際に、ご休憩された際に場所にもなってるんやってびっくり



夫人の墓所があり、傍らに楠木氏一族の供養塔も建っていますえー


南江 久子(みなみえ ひさこ)は、鎌倉時代末期から建武の新政期にかけての武将楠木正成の妻として伝わる人物ニヤリ



七重石塔
楠木正成夫人の供養塔照れ



加藤鎮之助像
当寺を再建した人物とかキョロキョロ



後醍醐天皇の隠岐より還幸を兵庫にて奉迎せし楠公の像えー


鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将なんよニヤリ

出自は諸説ありですが…ニヤリ


自称は橘氏後裔えー

息子に正行、正時、正儀照れ

元弘の乱(1331年 - 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献プンプン


また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けたとかびっくり


延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害ショボーン


建武の元勲の1人えー

 明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈されたんよニヤリ



蹲
日本庭園に設置される背の低い手水鉢で、茶室に入る前に手や口を清めるために使われますえー


この名前は、低い手水鉢を使う際に身をかがめる(蹲う)姿勢から来てるんだとかびっくり


「蹲」という漢字は「うずくまる」「しゃがむ」という意味を持つんよねえー


手水鉢が低いため、使用する際に前かがみになる姿勢が「蹲う(つくばう)」ように見えることから名付けられました爆笑



恩光閣
昭和御大典御用材の御下賜により、昭和7年移築されました照れ



河内西国巡礼 第二十番札所

大阪府富田林市甘南備1103



ノバティながの北館にある創業1950年の老舗果物店が営むイートインコーナーえーTSURUZAWAさんに照れ



メニューにはフルーツが沢山ラブ


当店人気NO.1のおいしさと謳われた「フルーツサンドセット」 1045円照れ

極限まで薄くした食パン部分と生クリームに太目にカットされたフルーツラブ


上から見るのと下から見るのではフルーツが違うというお楽しみニヤリ


加えて丁寧に包丁が入れられたキウイ、イチゴ、メロン、パイナップルにバナナ照れ
嬉しい気配りですねウインク


「萌え断」だけではない絶品のフルーツサンド照れ


老舗果物店の面目躍如ですね爆笑

本日のジュースはバナナジュースラブ
めちゃ美味しかったです照れ

河内長野駅に直結するノバティながの北館の1F
河内長野駅から87m
大阪府河内長野市本町24-1-105 ノバティながの北館1F