観音寺から
次の河内西国巡礼 第二十八番札所の大龍寺へ向かいますプンプン
2㌔ほどの道程でまた
少し坂道を登って…向かいますプンプン

大龍寺 [だいりゅうじ]

縁起は598年(推古6年)聖徳太子が自作の観音像を安置、創建したと伝わる。古くは厳松寺(げんしょうじ)と称していました。

南北朝の時代には後醍醐天皇より、若干の寺田が寄進され、足利尊氏や足利義満よりも寄進を受けるなどしました。

応仁の乱の戦火で堂宇が焼失しその後再興されたが、大坂の陣で再び烏有に帰し、江戸時代に入り、1626年(寛永5年)観音堂が建立されたが、住持はなく村中支配でありました。

1681年(元和元年)に京都・南禅寺派光雲寺の末寺となり、その後1685年(貞享2年)黄檗の僧別伝が住持となり万福寺末寺となるました。
 
1686年(貞享3年)夏、旱魃が続いたため、黄檗の高僧、奉宗元雄禅師が雨乞いをしたところ、たちまち雨が降り大龍が宮中に現れたというところから寺号を大龍寺と改めたと伝わっています。

俗に『日下のくわんのん』と称し、十一面観音を本尊として村人の尊崇をあつめていたが、泰宗禅師が大阪の豪商天王寺屋吉兵衛を大檀那としてその浄財寄捨によって堂宇を再建、泰宗はその師 法雲寺(堺市美原町)開山の慧極道明(えごくどうめい)禅師を請じて開堂し、自ら第二世となった。棟札により現伽藍は1695~1700年(元禄8~13年)にかけての建立と判明しています。



総門  東大阪市文化財
1700年(元禄13年)の建立とかキョロキョロ




手水
蛇口…ショボーン
鉢の雰囲気は凄く良いので龍か…竹が良かったなぁえー


参道は紅葉に銀杏がラブ

銀杏の絨毯も…ラブ


仏殿
仏殿は総門と同様、1700年(元禄13年)の建立なんやってびっくり

黄檗様式の整った伽藍配置を残し、建築には万福寺大工棟梁秋篠の関与が知れる事から、仏殿、斉堂、開山堂、総門は市の文化財に指定されているんですえー


本尊
十一面観音
一説ではえー
1686年この地は干ばつに見舞われ食糧難に陥ったそうですガーン


苦しむ民の姿を見かねた僧侶が雨乞いをすると龍が現れ大雨が降ったびっくり


その龍を祀る為に建てられたと言われているそうですよ照れ



開山堂
大龍寺は元禄四年(一六九二)大阪の豪商天王寺屋吉兵衛の寄進により建立されて、泰宗元雄禅師がその師である慧極道明禅師を開祖に招き、開山したんやってニヤリ



開山堂には、泰宗、慧極と檀越の天王寺屋浄悦居士の像が祀られています照れ



優しいお顔の観音様が居てます照れ


地蔵堂
可愛らしいお地蔵様が鎮座照れ


経王塔
法華経の経文を小石に書き納めた塔プンプン


江戸時代には、この塔を拝むことで読経と同じ功徳があると信じられていました照れ



ミニ五重塔と紅葉とのコラボ…綺麗ですラブ


斎堂には、禅寺ならではの鳴り物―諸事の合図に鳴らされる「魚邦」と、雲の形をしていることから「雲版」と呼ばれるものが目を惹きますよぉえー

魚邦は主に食事の合図に鳴らされ、斎堂に掛かっているものなんやってぇニヤリ
雲版は儀式、法要に用いられ、本来本堂にあるものだそうですが…キョロキョロ

俗に「日下のかんのん」として崇拝されてきた十一面観音は、仏殿の本尊脇に安置されていますニヤリ



大きな壺キョロキョロ
中を覗くと…えー
引き込まれに…ガーン




河内西国霊場巡礼第二十八番
大阪府東大阪市日下町8ー3ー57



帰り道にえー
石切さんの参道にある梅月堂さんで糖分補給と休憩を照れ

石切さんと言えばヨモギなんですが(よもぎ団子を買うつもりできた)えー
大きな五平餅が目の前に入ってきたびっくり
一度見たらえー
五平餅以外見えなくなってニヤリ
みぞかつは結構 一途なんですてへぺろ



五平餅 200円を購入照れ
五平餅は粒感が少し残っていながらも、モチモチで、餡も甘くてとても美味しかったです照れ

額田駅から697m
大阪府東大阪市東石切町1-7-64