久昌寺から2キロ弱歩いて

福知山城へ向かいます照れ


福知山城   [ふくちやまじょう]

福知山城ができたのは天正7年(1579)頃。


丹波を平定した光秀が、さらなる西国攻略に向けた拠点の一つとして横山城とよばれた山城を拡張して石垣の天守台と天守閣を持つ城を築き、娘婿の秀満を城代としました。


本能寺の変が起きるのはその3年後で、その後は羽柴秀長などが、関ヶ原の合戦の後は有馬豊氏らが城主となりました。


寛文9年(1669)からは朽木氏が城主となり明治維新まで約200年、13代にわたり福知山を治めました。

天正7年(1579)に丹波攻略に成功した明智光秀は、翌年になると織田信長から丹波支配を任された。

そこで、光秀は亀山城(京都府亀岡市)をさらに補強するとともに、城下町を築いたという。天正9年(1581)4月には、さらに亀山城の普請が行われた状況がうかがえる(「片山宣家氏所蔵文書」)。

こうして亀山城は、徐々に補強を重ねていった。亀山城は京都にも近く、丹後、摂津、播磨へ通じる交通の要衝地だったが、丹波は非常に広く、各所に拠点となる城を必要とした。亀山城だけでは、不足していたのだ。

そこで、光秀が丹波北部の拠点としたのは、福知山城(京都府福知山市)だった。城主は、家臣の明智秀満が務めた。


ここで福知山城や明智秀満が期待されたのは、丹後、但馬方面の押さえということだろう。

福知山城は福知山盆地の丘陵地帯に築城され、由良川が天然の堀になるなど要害の地だった。


もともとこの地には、室町時代に塩見頼勝が横山城を築いたという。


光秀は横山城を大規模に修改築し、名称を福知山城に改めたといわれている。

 天正8年(1580)2月13日、光秀は天寧寺(京都府福知山市)に判物を送り、諸式の免除、軍勢の陣取りや竹木等の伐採を禁止する旨を伝えている。

これは判物であることから、光秀自身の意向で発布したものだ。主君である織田信長の意を奉じた奉書ではない。


したがって、光秀の丹波支配は信長の方針に沿いながら、独自の判断で行ったといえよう。

翌天正9年(1581)10月、福知山城主の明智秀満が光秀の判物を根拠として、改めて諸式を免除した(以上、「天寧寺文書」)。


福知山城の周辺地域は、秀満の手により支配が行われたのである。



石垣を見ながら天守へ登っていきますプンプン


明治6年(1873)の廃城令により残念ながら石垣と銅門番所(あかがねもんばんしょ)以外はすべて解体えーん


二ノ丸があった台地は削り取られ、城門は観瀧寺、正眼寺、法鷲寺、明覚寺の山門として移築され、それらは福知山市の重要資料に指定されていますえー

天守閣入口前にあるのが豊磐の井戸がありますえー

深さが50mもあり城郭の本丸内の井戸としては日本一の深さとかキョロキョロ


城の隣を流れる由良川の川底より深いのだそうですよびっくり


井戸の名前は江戸時代の城主であった朽木稙昌(たねまさ)の父、稙綱(たねつな)の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものとかえー


ちなみに、この井戸には抜け穴があり、二ノ丸にあった横穴に通じているという言い伝えがあるんですってびっくり



現在の天守閣は「瓦一枚運動」など市民の熱意で昭和61年(1986)に再建されたもので、江戸時代初期天守閣の様式を忠実に再現した3層4階の望楼型ニヤリ


天守閣の高さは鯱までいれると約20mもありますびっくり


福知山城の見どころは、なんといっても光秀が築城した当時の面影を伝える、この石垣プンプン


よく見ると野面積の石にまじって五輪塔や墓石、宝篋印塔、石臼まで入っています!びっくり


これは転用石といって織田信長に関わる城に共通するものえー


諸説ありますが旧勢力の象徴である寺院から石を集め石垣にすることで支配を示そうとしたのではないかと言われていますが、光秀は石を集めただけでなく代用の石も配ったというエピソードも残っていますえー


また、当時は石垣用の石の流通が整備されておらず、石垣用の石が早急に手に入らなかったから周囲の石を集めたのではないかともいわれていますニヤリ



天守閣の中は展示室になっていて、光秀や福知山城について、また江戸時代から明治まで福知山を治めた朽木氏にまつわる展示が行われています照れ

天正6年(1578)に光秀が奥村源内に宛てた丹波攻めについて記した手紙(複製。本物は明智光秀を祀る御霊神社所蔵)、娘婿の秀満による天寧寺を保護する判物(はんもつ)文書(複製。本物は天寧寺所蔵)、また大河ドラマと共に閉館した「福知山光秀ミュージアム」で展示されていたパネルなどの一部を展示しています爆笑



中でも見ものは、本能寺の変の一年前に制定された『明智光秀家中軍法』(複製。本物は御霊神社所蔵)えー

 

18条からなる軍法で、織田家中に軍法は存在しておらず画期的なことえー

前半の7ヵ条は戦場におけるルールで、後半の11カ条は石高に対する軍役負担(軍事上の負担)が書かれていますキョロキョロ


面白いのが戦場におけるルールで、戦場では大声を出したり雑談してはいけない、勝手な行動をしていけない、連絡をきちんとするということが記されていて、ちょっと校則みたいですね爆笑



「明智光秀家中軍法」など、信長の配下で光秀が活躍した様がわかる書状も見ることができるほか、明智光秀の生涯や本能寺の変後の足跡を追う映像が放映されており、真剣に見入っていまいましたぁ爆笑

上の階にいくと、江戸時代の城主・朽木氏についての展示があり、甲冑や書状などから江戸時代の様子を知ることができます照れ



くノ一キョロキョロ


一般的には悪役のイメージがある明智光秀ですが、福知山では城下町を開拓し、免税や楽市楽座、たびたび氾濫する由良川の治水事業を行うなど、町の発展に尽力した領主として慕われていますえー

それがわかるのが、城下町にある御霊神社ニヤリ

この神社は18世紀に光秀の善政を讃えて創建された神社で、主祭神である宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ)と共に明智光秀が祀られていますえー

また、福知山城再建の際には「瓦一枚運動」といって、瓦一枚分=3000円を一口として約8500人が寄付をしましたプンプン


福知山城の瓦の裏には、寄付者ひとりひとりの名前が墨でしたためたられているそうですよびっくり



藤井竜王と広瀬八段が福知山城で対局! 将棋の「竜王戦」開催されたんやって照れ


再建された天守ではありますが、天守からの眺望は素晴らしいもの照れ


福知山市街を一望できるだけでなく、周囲の山々や由良川の流れを眺めることができます照れ


特に、夕暮れ時には美しい景色が広がり、訪れる人を魅了するんやってラブ



額縁みたいに撮影すると…
絵画ですね照れ


廃城令で取り壊しを逃れた建物の一つ、銅門番所えー


かつては二ノ丸の登城口、現在の市役所の東側にありましたが大正年間に本丸に移されたんやってニヤリ


城の歴史を物語る貴重な建物やねプンプン



朝暉神社
初代藩主の朽木稙昌の父・稙綱を祀ります照れ


朝暉神社は、福知山初代藩主の朽木稙昌の父・稙綱を藩祖として城中に祀ったことにはじまり、11代藩主の綱條のときに一社を建立して朝暉神社と号しましたえー


廃藩により城外に移されましたが、明治14年(1881年)に町民らの要望によって天守台跡に再建され、天守再建に伴い現在の位置に移築されました照れ



手水舎
龍の上にカラスびっくり
カラスよけの置物えー
パッと見たら…
ビックリして…
腰が抜けそうになったえーん


佐藤太清記念美術館
福知山城公園の一角にあり、お城の外観をした美術館で、平成2年に開館照れ


福知山市出身で文化勲章を受章された日本画家・故佐藤太清画伯の作品を中心に展示していますえー


美しい画面のなかに自然のやさしさや厳しさが描かれた作品は、見るものに深い感動と安らぎを与えてくれるんやって爆笑



福知山鉄道館フクレル
福知山が「鉄道のまち」として発展してきた歴史を、プレミアム資料の展示と複数の体験型コンテンツで紹介していますニヤリ


子どもから大人まで楽しめる施設として、2023年8月26日に福知山城公園内にオープン爆笑


かつて存在した「福知山鉄道館ポッポランド」の後継施設なんなってニヤリ



トワイライトエクスプレスの乗り物が…びっくり

自由にお乗り下さいって書いてあったから乗って楽しんだ爆笑
運転手気分…サイコ〜爆笑


法川(旧堀)
橋は福知山城公園から本丸へと至る昇龍橋照れ



京都府福知山市内記5番地



石垣チョコ  福知山城  600円



硬そうな石…じゃなくて…
甘ぁ〜いミルクチョコ照れ