今回は愛知県名古屋市緑区にある
大高駅へ照れ
愛知県全制覇に向けてやってきた爆笑

氷上姉子神社
[ひかみあねごじんじゃ]

仲哀天皇の時代に創祀され、持統天皇4(690)年、現在地に遷座されました。


故地は宮簀媛命の父神の館があった地とされます。


この地は往古、火上の里とよばれていました。


永徳2(1382)年、社殿が火災にあったため火の字を避けて「氷上」と改め、火高は「大高」に改められました。



鳥居
日本武尊なきあと、この地で祀っていた草薙神剣を、熱田の地に遷してお祀りしたのが熱田神宮の始まりとされてますプンプン
現在は名古屋市緑区大高町の氏神様として親しまれています照れ



二の鳥居から境内を望みますプンプン


手水舎
龍が降臨プンプン


拝殿
現在の本殿は明治26年(1893年)熱田神宮の別宮八剣宮を移築したものとかキョロキョロ

御祭神
宮簀媛命(みやすひめのみこと)

宮簀媛命と草薙の剣
宮簀媛命は乎止与命の娘で、古代随一の英雄とたたえられた日本武尊が東国平定からの帰途、この地に留まられた際に結婚され、尊の亡き後は神剣草薙の剣を奉斎守護してやがて熱田神宮創祠への道を開きましたプンプン


熱田神宮のご神体である草薙の剣は神話によると、神代の昔、天照大神(あまてらすおおかみ)の弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国(島根県)の簸川(ひのかわ)の上流において八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して土地の人々の難儀を救われた時、その大蛇の尾から霊威みなぎる尊い剣(天叢雲剣:あめのむらくものつるぎ)を獲らえたと伝えられていますえー


この剣は天照大神に奉られて、その後伊勢神宮に奉斎されていました照れ
 

景行天皇の御代(71年~130年)、皇子日本武尊は東国平定に先立って伊勢神宮に参拝し、斎王(いつきのみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)からこの神剣を授かり、駿河国で賊の奸計により危機に立たされた際、この神剣で四方の草を薙ぎ払い、逆に迎え火を放って無事に難をのがれましたえー


この時からこの神剣は草薙神剣と名付けられるようになったんだとかニヤリ
 

東国平定の大業をおえた日本武尊は信濃から尾張へ帰還し、遠征の疲れをいやすため火上の里の館にとどまって、そこで宮簀媛命と結ばれましたラブ
 

ところが休息する間もなく、近江国伊吹山に賊ありと聞き、その賊徒平定のため神剣を媛にあずけて、急ぎ彼の地に赴きましたが、病を得て伊勢国能褒野(のぼの 三重県亀山市能褒野町)でなくなってしまいましたガーン
 

<嬢女(おとめ)の床の辺に
 わが置きし剣の太刀 その太刀 はや>
 

深く神剣のことを心に留められた尊のこの最後の絶唱には宮簀媛命への思いが溢れていますえー


ここにおいて宮簀媛命は、遺された草薙神剣の霊威を畏敬され、床を設け、これに安置して奉仕に努められましたが、その後、あゆちの熱田の地に社を建て、これに神剣をお移しして、奉仕の生涯をささげられましたニヤリ

ご利益
縁結び、安産、厄除け、商売繁盛



氷上姉子神社の入口の反対側には、「末社元宮」の社号標がキョロキョロ
鳥居をくぐり、舗装された道を登っていくと、平らに開けた頂上に着きますプンプン



この場所は、天火明命(あめのほあかりのみこと)の子孫である乎止与命(おとよのみこと)の館跡とされ、仲哀天皇4年(195年)に宮簀媛命を祭神として祀り、氷上姉子神社が創建プンプン


その後、氷上姉子神社は持統天皇4年(690年)に現在の火上山ふもとの地へ遷座されましたニヤリ


この旧社地には元宮が鎮祭され、宮簀媛命の館跡として大切にされていますえー


宮簀媛命は、日本武尊が亡くなった後、その遺された草薙神剣の霊威を畏れ敬い、床を設けて安置し、奉仕に努められましたプンプン



元宮
ヤマトタケが置いていった
草薙剣は熱田神宮に祀られる前は
ここに祀られたといいますえー

御祭神
宮簀媛命

ご利益
縁結び、安産、厄除け、商売繁盛



宮簀媛命宅址の石碑
ミヤズヒメはここに住んでいたのですねびっくり
肩書きはえー
「尾張国造之祖」「倭武天皇妃」となっていますキョロキョロ


『先代旧事本紀』(第10巻の「国造本紀」)には、乎止与命(ミヤズヒメの父)を尾張国造に定めたことが記されていますえー


元宮の地は尾張国造の館跡ともいわれているため、ミヤズヒメの実家ということになりますねえー


東征を終えて帰還したヤマトタケルを優しく迎え入れる一家の様子が目に浮かびますニヤリ

とても温かい気持ちになりますね爆笑


「倭武天皇」はヤマトタケルのことを指していると思われますえー


即位していないヤマトタケルを“天皇”と表記することには少し違和感を覚えますねキョロキョロ


この「倭武天皇」の名は、尾張から遠く離れた地で編纂された『常陸国風土記』の中にも見られますニヤリ


しかし、人物像は記紀のヤマトタケルとは異なり、ヤマトタケル=倭武天皇とは言い難い気もしますキョロキョロ


さらに、興味深いことに『尾張国熱田太神宮縁起』や『尾張国風土記(逸文)』などの尾張で編纂された文献では、ヤマトタケルの表記は「日本武尊」や「日本武命」となっており「倭武天皇」の名は登場しないようですえー



何気ない木…ですが…
よく見ると…キョロキョロ
字が刻まれてますえー


神明社
御祭神
天照大神

ご利益
諸願成就、開運、家庭円満、五穀豊穣、産業発展



大高斎田
火上山のふもとには神に供える米を栽培する斎田が造られておりますニヤリ


昭和7年(1932年)に設定され以来、翌年から6月には田植祭がおこなわれ地元の関係者たちが揃いの衣装で田植え歌に合わせて田舞を奉納し田植えを行いますプンプン


9月28日には豊かな実りを神に感謝しお米を取り入れる抜穂祭が行われていますえー


収穫米は熱田神宮の年間の祭典用神饌として本宮以下各社に供えられます照れ



玉根社
玉根社は、一説では古墳の跡ともいわれていますえー

御祭神
少彦名命

ご利益
病気平癒、医薬・医療・婦人病・温泉・酒造

氷上姉子神社の周辺には、現在3軒(萬乗醸造・神の井酒造・山盛酒造)の酒蔵があり、江戸時代から酒造りが行われ、玉根社は地域で厚く信仰されています照れ



寝覚の里
昔は名古屋市の南部はあゆち潟といわれる海が広がっており、その北側の台地に熱田神宮が位置し、氷上姉子神社は海を挟んだ南の対岸に位置してたとかキョロキョロ


日本武尊が東征の帰路、甲斐国坂折宮で宮簀媛命を恋い偲んで詠まれたと伝わる歌


<あゆち潟 火上姉子は 我来むと 床去るらむや あはれ姉子を>


が「尾張国熱田大神宮縁起」に記されており、姉子神社の名の由来とされてるんやってびっくり

火上山のふもと、大高町砂畑には「寝覚の里」の石碑がありますえー

また、隣接する東海市名和町に「寝覚」という地名が残ってるとかキョロキョロ


これは明治43年(1910年)10月、熱田神宮神官宮司、角田忠行氏が建立したもので日本武尊と宮簀媛命の故事にまつわる文面が刻まれてるんやってニコニコ


「大高里なるこの寝覚めの地名は千八百年の昔、倭武天皇の火上の行在所に坐せる時、朝な朝なに海潮の波音に寝覚し給ひし方なる故にかくいい効はせるものならむ故この地名を万代に伝え・・・・(以下判読が困難ですので省略)」


(参考)倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)とは「常陸国風土記」に表記された日本武尊の別称えー

日本武尊と宮簀媛命が火上の地で出会い、夫婦の契りを結び、短い新婚時代を過ごした丘の上の館照れ


あゆち潟の岸辺に寄せては返す波音で毎朝目覚めるえー

落ち着いた静かな生活を過ごしたことが偲ばれます照れ



朝苧社
「朝」は「麻」のあて字で、麻は木綿の無い時代に重要な繊維だったそうですえー

「苧(お)」は繊維のことニヤリ


『氷上山神記』によると朝苧社の祭神を宮簀媛命の母とするともいわれていますえー

御祭神
火上老婆靈(ひかみうばのみたま)
この火上老婆霊が誰のことを指すのかは はっきりとはしませんが、ミヤズヒメの母や祖母、乳母であるという説がありますえー

また、老いてこの世を去ったミヤズヒメ自身の御霊だとする説もありますキョロキョロ

ご利益
乳の神



愛知県名古屋市緑区大高町火上山1-3



大高駅から1キロほどにある珈琲三ツ屋さんへ朝食を頂きにニヤリ

珍しいクレープモーニングがあるって聞いてやってきたぁ爆笑



アイスコーヒー480円
Cクレープモーニング付き
シンプルで可愛らしいクレープニヤリ
メープルシロップも良い感じやぁ爆笑



メープルシロップをたっぷりかけて照れ
“パクッ” あっ、モッチモチラブ
生クリームも良い演出…照れ

名和駅から1,035m
愛知県東海市名和町後酉91-1