尾張多賀神社から次は

知多四国八十八箇所62番の洞雲寺へ爆笑

巡礼…順番に行きたかったんやけど…
遠いから断念したショボーン

洞雲寺  [とううんじ]

御嶽山洞雲寺は弘治元年(1555)に善海法師により開山されました。


白鳳年間、愛知県常滑市樽水の奥には聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が天竺の香木をもって聖観世音菩薩像を刻み、御嶽山に安置し、七堂伽藍、三百の坊を有した知多半島第一の巨刹「御嶽三百坊」を建立されました。


しかし、天文六年(1537)の兵火により数百年間にわたって信仰、文化の中心地であった御嶽山の伽藍坊舎はことごとく焼き払われたのです。


諸堂の焼失より難を逃れるため、仏像は池に沈められ、田畑に埋められたものと伝わります。


時代は流れ御嶽池の改浚の折、御本尊であります阿弥陀如来(平安末期作)が池中より出現されました。この尊い法縁を賜り念仏信仰の場として寺院を建立いたしました。


これが御嶽山洞雲寺の始まりです。その後、念仏の道場としてその法灯を継承しています。


また、弘法大師の巡礼(知多四国第62番札所)、観世音菩薩の巡拝(知多西国第13番札所)をはじめ毘沙門天大祭は多くの方が参詣されます。



玄関となる石柱門照れ

山門…ないんですショボーン


手水舎
小さい龍が威嚇してますね爆笑


本堂
御本尊
阿弥陀如来 坐像

彫眼で体部、膝部の二材からなりますプンプン

素木で現状は生漆塗りえー

極楽浄土から来迎する姿ではなく、悩みを紐解く瞑想の姿ですね照れ

 

和顔には優しさが漂い、衣は十世紀風の古様を示してますニヤリ

十一世紀前半頃(平安末期)と推測されてるんやってびっくり

昭和四十四年四月一日、第十二号で常滑市指定文化財となったんやって照れ

寺伝には行基菩薩の作と伝わってますえー



おもてなし観音
三十三の姿にかえられる観音様、生きとし生けるものを導く姿を「おもてなし」というようですニヤリ



見上げて如来
上半身だけの観音像はあまり見たことがないかもびっくり

座って見上げると阿弥陀如来と目が合って慈悲の心を感じることができます照れ



賓頭盧頗羅堕尊者
びんずる様はお釈迦様の弟子の1人であり、さらに【十六羅漢(じゅうろくらかん)】の1人にも位置付けられていますえー

羅漢というのは《阿羅漢(あらかん)》の略称で、阿羅漢とは【ほぼ悟りを得た状態で、尊敬され供養される人】を意味する言葉なんよニヤリ

また、びんずる様は『神通力』という偉大な超能力をお持ちで、特に《病を治す能力》に長けている方でした照れ

そのため、お寺にある賓頭盧尊者像は、本堂の外へお座りになり、いつも私たちの健康を祈ってくださいますニヤリ

多くのお寺では、びんずる様を【なで仏】としてお祀りしていますよねウインク

【なで仏】というのは、その名のとおり人に撫でられる仏像のことえー

参拝者は、自分の体の悪い部分と【なで仏】の同じ部分を撫でると、撫でた部分の病気やケガが治ると言われています照れ

びんずる様は《病を治す能力》に長けていたことから【なで仏】として有名になり、いろんなお寺で多くの信者さんに親しまれているんやねニヤリ

びんずる様の像には特徴が2つありますえー

それは、
本堂の外にいらっしゃる
全身が真っ赤
という2点プンプン

では、なぜびんずる様にはこのような特徴があるのでしょうか?キョロキョロ

びんずる様は、お釈迦様の弟子の中でも特に優秀な方でしたニヤリ

ところが、びんずる様はある時、大勢の人の前で自らの神通力を見せびらかしてしまいました爆笑

それを見たお釈迦様は大変お怒りになり「お前は修行者らしからぬことをした!お前は涅槃に入ることはせず人々の病を治して救い続けよ!」とおっしゃいましたガーン

そのため、びんずる様は本堂の中ではなく、いつでも人々の様子が見られるようにずっと外にいらっしゃるようになりましたショボーン

また、びんずる様は全身が真っ赤キョロキョロ

びんずる様は『お酒』が大好きな方でしたニヤリ

しかしながら、仏の道を歩む者は【修行の妨げ】となる《お酒》を飲むことを厳しく禁じられていますプンプン

ただ、そうはいっても無類の酒好きのびんずる様、どうしても我慢ができず、ある時みんなに内緒でお酒をちょっと一口ニヤリ

最初は『ほんの少し飲むだけ』のつもりが、気が付けば全身が真っ赤になるまでお酒を飲んでしまいましたてへぺろ

このこともすぐにお釈迦様に知られてしまい、当然ながら強いお叱りを受け、以後は本堂へ入ることさえ許されませんでしたえーん

このような理由から、びんずる様は《全身が真っ赤》な姿で《本堂の外》にいることになりましたえー

しかし、びんずる様はとても反省をされ、それ以後は一切お酒を飲まず、ただひたすら修行に励まれ人々の救済を続けましたプンプン

その結果、びんずる様は全身が生気に満ちあふれて赤くなり、誰よりも先に人々の苦しみを取り除くため、あえてお堂の外に出ておられるようになったのですえー

これが、現在のびんずる様が《全身が真っ赤》で《お堂の外》におられる理由なんよ照れ



寧護(ねこ)大師 

~弘法さまの姿をしたお像~
弘法大師のお姿を身近に感じていただきたい一心で『寧護(ねこ)大師』を瀬戸市の作家、小澤康麿先生に作成していただいたんやってえー


知多四国のお参りの方にはネコ好きが多く、愛 らしい姿に疲れも吹き飛びますよ!爆笑


『寧』には安らぎとか穏やかという意味があり、それをお護りいただくご縁で「ねこ」を『寧護』と小澤先生に名づけてもらったんやって照れ



本堂内にはいろいろな猫がお出迎えしてくれますニヤリ
癒やされますよ照れ


弘法堂
弘法大師像、中央に聖観世音菩薩、右側に薬師如来像が安置されていますえー


聖観世音菩薩は33年毎に御開帳されるそうで、前回は2019年に御開帳されたようキョロキョロ

次は…2052年かな?びっくり

弘法大師の御利益はえー
第六十二番の洞雲寺の御詠歌は、お大師さまの不思議なご縁がもとで詠まれたものえー


鳴海に住んでおられた木村徳蔵さん、この方が昭和の初期に重い胸の病気にかかりましたショボーン


病床中、夢現の時、
「吾は六十二番の大師なり。」
とおっしゃられるお方に納経帳で胸を撫でられた為、不思議に思い目が覚められましたキョロキョロ
そこで、夢で見たお方の様子を周りの方に話しますと、もしや、知多四国のお大師さまではなかろうかとお聞きしましたので、縁ある方に納経帳を借りまして六十二番を開きますと、そこに洞雲寺とあり、夢で見たままのお大師さまの姿があったのでございますえー


早速、家族の者にお参りをお願いしますとたちまちに病は薄れました照れ


病気全快の後、七日間、当山に泊まり掛けで、お大師さまの寳前に報恩感謝(お礼参り)の祈願されましたプンプン


その後、ご縁を歓び篤信者となり、二十数年間にわたり「鳴海木村団体」と称せられ参詣されましたニヤリ

また、御詠歌にも通じておられましたので、この利益を喜ばれ、

 東浦 日間賀しの島 西浦に 

 大師の垂水 あ利がたくうく

と納められました照れ


お大師さまに助けていただいた心を、地名の「樽水(たるみ)」と病を薄れさす
ご縁のお水をいただいた「垂水(たるみ)」をかけられ、歓喜の「有難い」とご利益が堅いの「あ利がたい」をかけられて二重の喜びをあらわしたご詠歌でもあるのですえー

木村徳蔵さんは昭和三十年四月十五日に七十七歳の天寿を全うし往生されましたニヤリ



願掛け抱き地蔵
願掛けをして地蔵さんを持ち上げた時、その重みが軽く感じれば願いが叶うんです照れ

重軽石の地蔵版やねニヤリ



洞雲寺には双頭蓮と呼ばれる一本の茎から二つの花を咲かせる珍しい蓮があるとかびっくり


100年に一度とか50年に一度あらわれるとか言われるようで極めて稀な事象とされ、吉祥、瑞兆の花とされ良い事が起こる前兆とされる有難い蓮なんなんやってニヤリ



稲荷大明神
ご利益は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のほか、安産や万病平癒、火の用心、武運長久、天下泰平など、あらゆる願いに対応できるという特徴があります照れ



役行者像
役行者、名は役小角、後に、光格天皇から「神変大菩薩」の号を贈られる。 白鳳時代の山岳修行者で、修験道の開祖として山伏たちに崇められている人物なんよえー


彼は実在の人物であるが、史書に残るところは極めて少なく、その生涯の殆どは伝説の中で伝えられているんだとかキョロキョロ



知多四国八十八箇所62番
愛知県常滑市井戸田町2-37



面白い最中があると聞いたんでやってきた~爆笑
常滑駅と多屋駅の間くらいある和菓子屋の大蔵餅さん照れ


行列ができるほどの人気店と聞いており
着いたら・・・キョロキョロ

イートインでは待ちが発生してたガーン


みぞかつの目的はトイレの和菓子なんでテイクアウトえー
すんなり購入出来ました爆笑



どうしても
買いたかったのが
トイレの最中  400円ってやつえー

なんともセンスのいいお菓子ニヤリ





見た目もまさかのトイレ型で衝撃ガーン


中には上品なあんこがぎっしり詰まってて…キョロキョロ
ちと
食べるのに抵抗が・・・ガーン

味は本格派でめっちゃ美味しい!あとから皮で挟むので皮の香ばしさとパリパリ感もしっかりとしていて見た目とのギャップにやられました照れ

でも…

もりもり過ぎやね…ニヤリ

多屋駅から253m
愛知県常滑市鯉江本町2-2-1