金剛寺から吉野川を見ながら次の御霊神社へプンプン
約2kmプンプン

吉野川
日本で最も雨の多い大台ヶ原を水源とする紀の川プンプン

同じ川なのに、なぜ下流を〝紀の川〟、上流を〝吉野川〟と呼ぶのか?えー
河川法上は水源から河口まで紀の川えー

ただし、河川は昔から地域の生活環境とかかわってきた由来があり、同じ河川でも地域によって名称や愛称が異なることがありるんやってびっくり

上流の奈良県南部では、桜で名高い吉野地方を流れることから、〝吉野川〟で親しまれています照れ

一方で、紀の国・和歌山県では〝紀の川〟で定着していますえー

河川法では、その川の下流で呼ばれている名前が使われることから、法律上は〝紀の川〟なんやってキョロキョロ

同じ川でも上流、下流で名称が異なるケースは全国で見らるとかびっくり

長野県で氾濫した千曲川は日本で最も長い川、信濃川の上流にあたりますえー

近畿の水がめ、琵琶湖から大阪湾へ流れる淀川は、京都府では宇治川、滋賀県では瀬田川と名前を変えますニヤリ

なお、川の近くにある河川名の看板、奈良県内では、〝吉野川〟と〝紀の川〟が併記されているところもあるんやってウインク

御霊神社 【ごりょうじんじゃ】
宇智郡(旧五條市と大淀町佐名伝)には御霊神社が23社あると伝えられ、その分祀元が五條市霊安寺町の御霊神社です。

このことから、この神社を御霊神社本宮と呼びます。

本宮は、井上内親王、早良親王、他戸親王を祀り、丹生川をはさんだ対岸にある火雷神社を併せて、古より四所大明神と称され、宇智郡の信仰を集めていました。

日本後紀によれば、延暦19年7月、桓武天皇は葛井王を宇智郡に遣わして皇后の復位や御墓を山陵と称することを告げさせています。

このときに葛井王により霊安寺が建立され、同時に御霊神社も創建されたと伝わっています。

「御霊大明神御縁起」には、桓武天皇は宇智郡全域を神域としたと伝えています。


御霊宮本紀には、嘉禎4年(1238)2月、「吉原与牧野争論分譲請神于十所矣」としていますえー

河南の豪族である吉原氏と、華北の豪族の牧野氏が言い争ったことで、御霊神社が十か所に分祀(宮分け)されましたプンプン

たった1行で伝えているため、争論の内容や理由などは分かっていませんショボーン

西阿田、佐名伝、山田、小島、六倉、岡、二見、中之、黒駒、近内の御霊神社が初めの十社と言われえー

次いで、南阿田、湯谷市塚、島野、釜窪、丹原、久留野、小和、牧、畑田、三在、住川、野原に分祀されていきましたプンプン

新しく創建されたり、以前からあった神社の場所に併せ祀ったりして、宇智郡一円に御霊信仰が広まりましたプンプン

本社を含め23社のうち、現在22社が確認されていますが、畑田町の御霊神社は確認されていませんショボーン

同町に鎮座する八阪神社に合祀されているものと推測されるが不明なんやってショボーン


鳥居 
国道24号線の本陣交差点を南に入ると、吉野川に架かる大川橋の手前に一の鳥居、国道168号線より本宮に上る坂道の入口に二の鳥居、本宮に三の鳥居がありましたが、昭和25年(1950)頃から始まった吉野熊野電源開発に伴う国道の拡幅工事により、一の鳥居が撤去されましたえーん

二の鳥居は、通り抜けようとしたトラックにより破損され撤去し、現在は三の鳥居のみが残っているんですガーン

この三の鳥居は一の鳥居を移設したものなんやってえー


手水舎
岩から水照れ
これぞ岩清水爆笑


本殿 
本殿は三間社流造で、宇智郡内最大の社プンプン
現在の本殿は棟札により寛永14年(1637)造営のもので、大宮銀子請取払帳によると、造営に銀八貫五百九十六匁二分を要したことが記されていますえー

当時のレートで約1600万円かかった計算になりますが、現在の価値に直せばいくらになるのか想像もつきませんねガーン

享保11年(1726)、延享3年(1745年)、天保10年(1839)、嘉永6年(1853年)、明治41年(1908)に改修されていますが、創建当初の形式はよく伝えられていて、江戸時代初期の典型的な社殿となっています照れ

昭和29年(1954)に奈良県指定の重要文化財となったんやって爆笑

御祭神 
本殿
井上内親王(いかみないしんのう)
聖武天皇の皇女・光仁天皇の皇后・後、廃皇后・宇智群没官の宅に流罪・逝去(母子同日暗殺される)。

南脇社殿  
他戸親王(おさべしんのう)
井上内親王御子・皇太子・後、廃皇太子・宇智群没官の宅に流罪・逝去 
 
北脇社殿 
早良親王(さわらしんのう)
他戸親王の異母兄弟・桓武天皇の御弟・皇太子・後に長岡遷都にからみ配流。

別宮 
火雷神(ほのいかづちのかみ)
井上内親王配流の途中御誕生。
雷神になられる。
御山町に鎮座。
式内社。

御祭神である井上内親王は、聖武天皇の皇女として養老元年(717年)に生誕プンプン

5歳で斎王として伊勢皇大神宮に出仕し、のちに白壁王の妃とびっくり

宝亀元年(770年)、白壁王は第49代光仁天皇に即位ニヤリ

しかし政権争いに巻き込まれ、無実の罪により皇太子・他戸親王とともに大和国宇智郡没官の宅に流罪となり、宝亀6年(775年)4月25日逝去えーん

その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の怨霊の祟りと恐れ、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立し御霊を安め奉るプンプン

その頃に御霊神社も創建プンプン
嘉禎4年(1238年)吉原・牧野両豪族の論争に起因し10社に分社したが、その後も宮分けが進み、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀されたんやってニヤリ


狛犬
口…めちゃデカいびっくり
噛まれたら…痛そうえー


稲荷社への入口爆笑


稲荷社 
五穀を司るとされる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主な祭神としています照れ


水神社・祓戸社 
水神社
御祭神
罔象女神(みつはのめのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)

商売繁昌・金運円満や厄除開運・病気平癒、さらには海上安全・大漁満足にご利益があるんです照れ


祓戸社 
かつては神宮寺境内にあった疱瘡社だったようですびっくり

御祭神
瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)
速秋津姫神(はやあきつひめのかみ) 
気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
体と心を祓い清めてくださるんやって爆笑


住吉神社・琴平神社 
住吉神社 
ご祭神 
底筒男神(そこつつのをのかみ)
中筒男神(なかつつのをのかみ)
表筒男神(うわつつのをのかみ)
住吉三神を祭神としていますえー

御出現は、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときにお生まれになったと「古事記」に記されていますプンプン

商売繁盛や縁結び、子宝、家内安全、恋愛成就などさまざまなご利益があるんやって照れ

琴平神社 
ご祭神:
大物主神(おおものぬしのかみ) 
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)

五穀豊穣や商売繁盛などのご利益があるとされていますニヤリ


御井神 
ご利益
安産祈願、子宝、病気平癒、家運隆昌、母子長寿、家内安全


井戸びっくり
蛇口があるキョロキョロ
天然水が出てくるんですね爆笑


拝殿から鳥居を望みます照れ
なんか…いいでしょ爆笑


忠魂碑 
慰霊塔や慰霊碑は、沖縄戦をはじめとする各地の戦争で亡くなったすべての人々の霊を弔い、慰め、二度とあのような惨いことは繰り返すまいとの祈りと決意をこめて建てられたものえー

ところが「忠魂碑」は、国のため、天皇陛下のために戦って死んだ軍人や軍属の「忠義」の魂を顕彰するための碑なんだとかキョロキョロ

そのような死者の魂を英霊といってほめたたえる風潮は、やがて多くの国民に戦争への道が大義(天皇や国に対して果たすべき道)として叩き込まれ、多くの若者を戦場に送り、その命を散らさせ、あげくは敗戦という憂き目にもあったのですプンプン


社務所です照れ
立派ですよねニヤリ


御朱印は月替わりで書き置きのみえー





なんか…
変わった御朱印ですねキョロキョロ
奈良県五條市霊安寺町2206


JR五条駅から徒歩2分えー
五條の地で昔から営業している中華店の

ミスター博(ぽを)さん爆笑


昭和感漂う雰囲気はこれぞ町中華でランチを照れ


中華ランチ 980円 
酢豚 
酸味と甘味のバランスが良い酢豚です照れ
ご飯が進む美味さやぁ爆笑
 
唐揚げ 
衣のバリッとした食感と、ジューシーな味わいが絶品ニヤリ

オムレツ 
中が半熟でトロットロでめちゃ美味しいオムレツラブ
中華風はケチャップなんだよねえー
みぞかつはケチャップよりマヨネーズと醤油で食べたい派ですニヤリ

五条駅から234m 
奈良県五條市須恵2-2-30