興聖寺から次は平等院!爆笑
宇治と言えば平等院は外せないよねニヤリ

平等院  【びょうどういん】
永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。

この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。

その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。

約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。


表門 
平等院表門は江戸時代初期に伏見城に建てられ、その後塔頭・浄土院に移され、1957年(昭和32年)に平等院の表門(正門・北門)として更に移されたとも言われていますプンプン

浄土院は浄土宗の寺院で、江戸時代中期の1681年(天和元年)の寺社奉行の裁定以降、天台宗(てんだいしゅう)系の塔頭・最勝院(さいしょういん)とともに平等院を毎年交代で共同管理していますえー

浄土院は戦国時代(室町時代後期)の明応年間(1492年~1501年)に内大臣・三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の息子とも言われる浄土宗の僧・栄久上人(えいくしょうにん)が平等院の修復の為に山内に創建したと言われていますプンプン

その後江戸時代初期の1601年(慶長6年)に養林庵書院(重要文化財)が関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が築城した伏見城から移され、江戸時代前期の1640年(寛永17年)に羅漢堂(宇治市指定文化財)が建立されましたニヤリ

伏見城は安土桃山時代の1592年(天正20年)に豊臣秀次に関白職を譲った豊臣秀吉が平安時代から観月の名所であった伏見指月に隠居所として隠居屋敷を建設したのが始まりなんだとかびっくり

1593年(文禄2年)に豊臣秀頼が誕生し、大坂城を豊臣秀頼に譲る為に隠居屋敷の大規模な改修が始まり、1594年(文禄3年)に城下町の整備も行われ、いずれも五奉行であった浅野長政・前田玄以・増田長盛などの家臣団屋敷や大名屋敷があったとかえー

しかし1596年(慶長元年)の慶長伏見地震によって建物が倒壊ガーン
その後北約500メートルにある木幡山に場所を移して築城が再開され、1597年(慶長2年)5月に天守閣が完成し、豊臣秀吉が移ってきたが、1598年(慶長3年)8月18日に豊臣秀吉が伏見城で亡くなりましたショボーン

1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦いが起こり、1601年(慶長6年)3月に江戸幕府初代将軍・徳川家康が伏見城に入城し、二条城の築城と伏見城の再建に着手プンプン

1619年(元和5年)から一国一城令によって廃城が決定し、1625年(寛永2年)に破却が完了したんやってえー


鳳凰堂 
平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって建立された阿弥陀堂プンプン

華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築照れ

最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映していますラブ

堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれてるんですニヤリ

そして長押上の小壁には52躯の雲中供養菩薩像が懸けられていますびっくり

現在では色あせてしまっていますが、堂内の天井や梁は、宝相華を主とする文様で埋めつくされていましたし、柱にも、天衣を翻して舞う天人や楽を奏する童子、飛び立つ鳳凰、宝相華、唐草文様などが描かれ、これらは鮮やかに彩色されていました照れ

そして天蓋中央部の大型の八花鏡のほかに、天井には計66個もの銅製鏡が吊られていますウインク

鏡は夜間にはゆらゆら揺れる灯明の明かりを反射して、幻想的な世界を創り出していたはずえー
『続本朝往生伝』という平安時代の本に「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述がありますニヤリ

当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていたんやね照れ


鳳凰堂は元々は違う名前であり、建てられた当時の名称は「阿弥陀堂」あるいは「御堂」と考えられていますえー

鳳凰堂という名は文献によると江戸時代初期までに生まれたと考えられていますニヤリ

正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えたことから、「鳳凰」という名が付いたと考えられてるんやってびっくり


1922年に国の史跡・名勝に指定照れ

浄土の世界をこの世にあらわした庭園の姿は浄土式庭園と呼ばれますえー

周辺の阿字池は極楽浄土にある宝池をあらわし、平安時代の歌人・橘俊綱が当代きってのものである、と今様に謡っています照れまた、阿弥陀堂は池をはさんで西に位置しているため、東岸から阿弥陀像を拝するようになっていますびっくり

朝、中央にある鳳凰堂の扉を開くと、池の水に朝日が反射し、それが天井にある円鏡に当たることで中央の阿弥陀如来が美しく照り輝いたのだそうですラブ

なお、1990年から行われた発掘調査で、平安時代の州浜が見つかりましたびっくり

そのため現在では創建当初の姿に復元されています照れ

平等院は元々は貴族や天皇の別荘であったとかびっくり

しかし平安時代の政治において中心となっていた人物、藤原道長をきっかけとして存在意義が変化しますえー

摂政である藤原道長の別荘であった頃は「宇治院」と呼ばれていましたえー

しかし道長の死後、子である藤原頼道は末法思想が広まりつつあった時代背景もあり、「別荘」から「寺院」に改めようとしましたプンプン

末法思想とは釈迦の死後2000年目以降は仏法が廃れると考えられていた思想とかキョロキョロ

天災・人災が続き、不安定になった世の中で仏教は「現世での救済」から「来世での救済」に変化していきましたプンプン

極楽往生を願う浄土信仰が社会に広まっていったのですえー

平等院の建設にはそのような時代・宗教的背景による存在意義の変化がありますニヤリ


鳳凰堂の屋上に据えられ、一つ前の1万円札のデザインにも使われる鳳凰像ラブ


紅葉を眺めながら鐘楼へ照れ


鐘楼 
梵鐘は「姿の平等院鐘」と言われ、「声の園城寺鐘」・「勢の東大寺鐘」とともに「天下の三名鐘」に数えられています照れ

梵鐘は庭園の阿字池の畔に建立された鐘楼に釣られていたが、現在はミュージアム鳳翔館に収蔵され、複製が釣られていますえー

梵鐘には全面に天人・獅子・龍・供養菩薩・唐草文様などの浮き彫りがありますびっくり

歴史:梵鐘は鳳凰堂が創建された平安時代後期(11世紀頃)に製作されたと言われていますえー
1980年(昭和55年)に60円の普通切手のデザインに採用されました照れ


鐘楼の前何かしらオブジェびっくり
なんでしょうねキョロキョロ


浄土院 
平等院は1052年の開創当初、天台宗寺門派に属し三井寺の下に置かれ、室町時代以降は天台宗寺門派(総本山・園城寺)の円満院(現大津市)門主が平等院住職を兼務していましたえー
しかし、平等院は次第に荒廃し、 鎌倉時代の1231年平等院を訪れた藤原定家は『明月記』でその荒廃を嘆いたといいますショボーン

その後浄土宗が勢力を得て、1500年には栄久上人が平等院伽藍の修復を行うために、浄土院を建立したんやってニヤリ

本堂には本尊の阿弥陀如来を祀っています照れ


羅漢堂(市指定文化財) 
江戸時代の1640年に、宇治茶師たちの生業であるお茶にまつわる先祖に感謝して追善のため、星野道斎とその息子が中心となって建立したんやってプンプン


最勝院 
江戸時代の1654年東洞院六角の勝仙院の天台僧・澄栄師が平等院内に移住し、最勝院と号したのがこの塔頭の始まりとされますえー

1662年には天台宗の円満院が最勝院の住職を兼務することになりましたプンプン

中世末以来、平等院と疎遠になっていた天台宗が院内に復帰したんやって爆笑

この時代になると、平等院の管理を巡って浄土宗と天台宗で争いが生じましたえー


最勝院の手水爆笑
そう言えば…平等院の手水って…見なかったような…キョロキョロ


源頼政の墓 
頼政は平安時代末期の武将で歌人でもありました照れ

1156年に起こった「保元の乱」では源義朝に従い、後白河天皇を警固して、源為家・為朝と戦いましたプンプン

1159年に藤原通憲(信西)・平清盛と藤原信頼・源義朝が争った「平治の乱」では、平清盛につき、その後平家の政権で唯一の源氏となり、平清盛から信頼されたんですえー
そして清盛の推挙で武士としては破格の従三位に昇り、公卿の身分にもなりましたプンプン

そのため「源三位」と称せられました爆笑
ところが、あまりの平氏の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の第3皇子である以仁王(もちひとおう)と組んで平氏打倒の挙兵を計画プンプン

そして、諸国の源氏に平氏打倒の以仁王の令旨を伝えましたが、計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされました(治承の乱)えー

以仁王と頼政らは決起することになっていた興福寺に向かう途中、平等院の付近で平氏の大軍に追いつかれて戦いにプンプン

頼政は以仁王を逃がすため平等院に立てこもりましたが、平氏の大軍になすすべがなく昨日の扇の芝のあたりで自刃しましたショボーン


小菊の盆栽がびっくり
四季折々で展示してるんですかねキョロキョロ


不動堂 
1681年に寺社奉行の裁定が下り、天台宗、浄土宗の両派によって院を護持し、一山の総称を「平等院」とすること、修理は両派の交代で行われることになりましたえー

不動堂には本尊の不動明王を祀っています照れ
左脇は役小角(えんのおづぬ、役行者)を爆笑


本坊 
平等院はどこの宗派にも属さない単立寺院ですが、こちら最勝院は天台宗えー
ちなみに、お隣の浄土院は浄土宗キョロキョロ

何故こうなったかと言いますと、16世紀末頃あたりから宗派間で寺院管理権限を争うイザコザがあり、寺社奉行の裁定の結果、天台宗と浄土宗の共同管理ということで落着しましたニヤリ
以来、平等院は現在でも年交代での共同管理となっていますウインク


南門 
伏見桃山城からの移構とされ、江戸時代初期伝来の各種古図と比較しても場所・規模ともに変動がないんだとかびっくり

垂木等も江戸時代以前の特徴である先端が細く大胆な反りで、天井板を備えた古式武門家の姿を良く残してます照れ

平成22年夏の古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが稀少な赤樫の巨木であることが判明したんだとかびっくり

固く火に強いことから戦国期の城門などに使用されたことが記録に残るが、ねじれが起きやすい樫材による建築物はこれまで日本で確認されたことがなく、城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目されてます照れ


京都府宇治市宇治蓮華116


『2023 百名店』に選ばれていたお店なんだとかびっくり

場所は、京阪・宇治駅から『宇治橋東詰』の信号を渡り、朝霧通りの入口、通園宇治本店さんの前にあります照れ

京阪宇治駅前 駿河屋さんは、昭和初期より宇治川のほとりで『茶だんご』の製造・販売をしてきたお店なんだとかえー

宇治橋を渡った平等院・表参道の入口にも『駿河屋』さんがあるが、こちらは『宇治駿河屋』さんと言う名称で、完全に別会社とのことキョロキョロ


茶だんご(3本) 330円 
小さな茶だんご!照れ
1本 110円えー
米粉に抹茶を混ぜて作った抹茶色した茶だんご照れ

もっちもっちで、ほどよい弾力と粘りがあり、味は、ほんのり甘いラブ

抹茶色をしているが、抹茶の味は あまり感じられない あまうまの茶だんごですニヤリ

めっちゃっうまで どんどん食べたくなってしまいます照れ

宇治橋の袂、北東側角。 
京阪宇治駅からは道路の向かい、徒歩約1分。 
JR奈良線宇治駅より東へ徒歩約10分 
京都府宇治市宇治東内16