養老寺から少し歩いて養老神社へ爆笑


途中な鐘のオブジェびっくり
孝子の鐘って言って…鳴らすと幸せになるんだとか照れ
めちゃ鳴らしてみたぁ爆笑
めちゃ注目されたけど…
幸せになるなら…気にしない…ニヤリ

養老神社   【ようろうじんじゃ】
創祀不詳と雖も、美濃國神明帳に多岐郡十六社の一、従四位上養老明神とある古社にして、往古は天神社、天神宮、養老天神とも云ひ、字菊水に鎮座あり。境内に孝子で有名な菊水霊泉あるより、菊水天神宮とも称し奉りしが、永正元年正月菅公を合祀してより菊水天満宮とも云ひ来り、明治六年一月第四大区六小区の郷社に列せられ、その時養老明神を以て社名とすべきものなりとて、養老神社と改称せり。

明治四十年八月字松原多岐行宮神社も合併す。多岐行宮は元正天皇行宮古蹟にして、当社祭典の節の御旅所として例祭日は元正天皇当山に行幸せられたる日にして、続日本紀に見えたり。

元多岐行宮神社は元正、聖武両帝三度御駐輦ありし多藝行宮の古蹟なり。霊亀三年十一月養老元年と改元あり。

境内の菊水霊泉は孝子源丞内にて有名なり。

棟札、永正元年正月奉納南無天満大自在天神宮のものあり。

文化二年濃陽村明細記白石村の條に、菊水天満宮社三尺五寸・三尺五寸境内地御除地とあり。文久二年白石村差出明細書上帳に天神社一ヶ所但内法三尺拝殿付鳥居天神宮境内に菊水と申す清水御座とあり。

今上陛下東宮に座します時行幸当社に御参拝せらる。


社号標準と鳥居照れ
丸い鳥居が特徴的やねニヤリ


手水舎 
ひょうたん 爆笑
老いた父親のために懸命に働いていた木こりの「源丞内」が、ある日養老の山奥で見つけた滝の水をひょうたんに汲んだところ、滝の水がお酒に変わり、その酒の力で父親がたちどころに若返ってしまった、というものえー
果たして滝の水が本当にお酒になったのかは定かではありませんが、この出来事にいたく感激された当時の元正天皇が、実際に養老を訪れたのちに年号を西暦717年に「養老」と改められたということは、紛れもない史実として残っていますプンプン


拝殿 
木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、神明造り、桁行3間、張間1間半、外壁は真壁造板張り照れ

奥の本殿は一間社神明造、銅板葺き。1962年に改築されたもの。 

ご祭神 
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
菊理媛命(ひめくくりのみこと)
元正天皇(げんしょうてんのう)
聖武天皇(しょうむてんのう)
菅原道真(すがわらみちざね) 

ご利益
健康・長寿、家内安全、五穀豊穣、縁結び、学業成就


狛犬
口が妖魔化してるよねキョロキョロ


あちらこちらに瓢箪爆笑
瓢箪に書かれてるのは…左馬びっくり 


御嶽神社 
御嶽講中の人々が建てた神社で、明治期にもう少し下流にあったのが地滑りにあい、この神社に合祀されたらしいえー

1962年の境内拡張工事までは、北側に鳥居と本殿があったそうで、古い絵葉書などに残っているとのことですニヤリ


笠満誓(かさのまんせい)萬葉歌碑 
満誓は、元正天皇養老行幸と養老改元に重要な役割を成した当時の美濃国守、笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)の出家後の名前。この歌碑は、1980年に建立されたもので、萬誓が後年、造筑紫観世音寺の別当となり、大宰府に西下した折の作歌二首(万葉集に収録)が建碑されてますプンプン

満誓は筑紫の歌壇で大伴旅人や山上憶良らと共に活躍したんだとかえー


菊水泉 
これが源丞内が見つけた酒の湧き出る泉とされ、一説では元正天皇行幸の折に菊の香が漂ったことからその名がつけられたともされてます照れ

現在でも「日本の名水百選」に選ばれる名水なんやでぇ爆笑

元正天皇
680-748。
第44代天皇。母の元明天皇に代わって即位。

在位は715-724。

次代聖武天皇の中継ぎ的役目で皇位に就いたとされるが、譲位後も聖武天皇の補佐をしていたとも推測えー

なお養老公園には「元正天皇行幸遺跡」が残されているんですえー
 
元号の養老
717-724の期間。
次の元号は神亀で、聖武天皇即位と同時に白い亀が見つかったことから改元されたんだとかキョロキョロ


菊水という名だが、元正女帝の時代、不老長寿に効めがあるとして宮中の儀式などに菊花を浮かべた菊酒を飲むのが流行しており、この泉の水から菊の香りがすると評判になったことからと云われなんだとかびっくり

ただし、「効き目ある水」、または世の中を治める「くくり結ぶ水」という意味で「菊水泉」と名付けられたという説もあるんやってえー

カルシウム・マグネシウム・カリウムなどのミネラル成分を豊富に含んでいるんですニヤリ

特に、カルシウムイオンは平均の2倍もの量を含有しており、カルシウム自体は体内で吸収されにくいという性質を持っているのが、天然水に含まれるカルシウムイオンは小腸で速やかに吸収され、吸収率も高いのでメリットは大きいんやってラブ

無色無臭だが、味はまろやかで美味しいと評判で、環境庁の名水百選に選ばれています照れ


近藤篤養老泉碑 
江戸中期の1785年に、岡山藩の儒者である近藤篤が撰文し、当時来日中の中国の書家、呉超程赤城が書いたものえー

元正天皇の養老美泉行幸を記している。養老六古碑の1つニヤリ

近藤篤は河口静斎に師事し、文章に優れ韻学に精通していたんですウインク


岐阜県養老郡養老町高林1298-2


養老神社から養老の滝を目指しますプンプン
紅葉を見ながら軽い山登りしますニヤリ


所々小さい滝を見ながら進みます照れ


山を登るにつれ紅葉が濃くなっていきます照れ


目的地までもう少し…プンプン
足が少し痙攣気味にガーン

そして…


養老の滝到着だぁ爆笑

養老の滝 
落差は32m、幅は4mという大きさで、「日本の滝100選」に選ばれるとともに、環境省の「名水百選」にも選ばれ、名瀑、名水として知られています照れ


側道の坂道を登り…更なる滝の側にプンプン
マイナスイオン…ハンパない爆笑


瀧不動尊 
不動明王は修験者を守護し、修行の妨げになる魔を祓うとされており、不動明王の功徳を説くお経の中に『河水に入って念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん』という一節があることから、不動尊像は日本の多くの修験霊場の御瀧場にお祀りされています照れ


凄い量の絵馬びっくり
海外からもたくさんですねニヤリ


養老サイダー 
養老サイダーの生みの親である日比野寅吉は、神戸でオランダ人から当時噂になっていた”異国の香りがする飲み物”の製造法を学びましたプンプン

その後、商品開発を重ね、時代に先駆けて養老サイダーを誕生ニヤリ

養老サイダーは、明治から大正にかけて、全国特産品博覧会や東洋輸出品共進会など多くの博覧会に出品され、金賞など数々の賞に輝きました爆笑

また、戦時中には軍用として戦地へ次々と送られていたそうですえー

そのようなことから、「東の三ツ矢、西の養老」と言われるほど、人気を博していましたニヤリ

その後も地域の人々をはじめ、養老公園を訪れるたくさんの観光客に養老の名物として、長い間愛されてきました照れ

しかし、工場の老朽化・従業員の高齢化等の理由から、惜しまれつつ2000年に製造終了となり、幻のサイダーとなってしまいますえーん

視界いっぱい広がる養老山脈養老山脈で磨かれた水養老公園内の木々視界いっぱい広がる養老山脈養老山脈で磨かれた水照れ

時は2017年、養老改元1300年祭を迎えましたえー

中日本高速道路(株)がインターネットで運営資金を集める“クラウドファンディング”を使って養老サイダーを復刻させるアイデアを町に提案プンプン

養老町観光協会の有志により「養老サイダー復刻プロジェクト」を立ち上げましたニヤリ
その時レシピはまだ幻でしたえー

しかし、そのような中2017年3月、突如として養老サイダー工場跡地でまるでプロジェクトを後押しするかのように秘伝のメモが見つかったのですびっくり

養老サイダー復刻プロジェクトはそのレシピを譲り受け、創業者一族と岐阜県立大垣養老高等学校の協力の下、開発を行うこととなりました爆笑

2017年9月に初回限定の5000本を製造ニヤリ
その後、多くの方の製造継続の声に応え、現在では養老町内で限定販売しています爆笑

さっぱりとした甘みの秘訣は純度99.9%のグラニュー糖ニヤリ

さらに、熟練の調香師が作った秘伝のシロップを使用し、炭酸を少し多めに注入することで、ほかのサイダーにはな い、深みと懐かしさが出るのですプンプン

はじめて飲むのに懐かしい照れ

それが養老サイダーなんよウインク

サイダー作りにおいて一番大切なのは水えー

養老サイダーは養老山地の岩清水である菊水霊泉を使用ニヤリ

また、自然豊かな山で磨かれたこの水は日本百名水にも選ばれています照れ

ミネラルを豊富に含み限りなく硬水に近い軟水で、 微量な炭酸も含まれている最高の水です。 『醴泉は、美泉なり。
以て老を養うべし』 続日本紀にも記される由緒ある霊泉なのですニヤリ