天乃神社から最後は守居神社へニヤリ

守口市駅から1駅先の土居まで歩き…
約1キロほどニヤリ

京阪電鉄土居駅より北へ、アーケード商店街を歩いて行くと右手に見えてきますキョロキョロ

守居神社   【もりいじんじゃ】
醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞嗚尊・賀茂別雷神をお祀りしてあります。 

社記に天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。

いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。

明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)を、また明治四十年十月十日に守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総氏神として守居神社と改称されました。

当社の社記によりますと、後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称へ三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺い知られます。

後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し僧不閑沙門当社に祈願して災厄を静め難を遁れたとされています。

次いで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭として今に伝えています。

天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、又寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。

この時まで王城守護として北東向きであった神殿を南向に、寶殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。

昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。

昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、逐年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・手水舎造替・大石磨鳥居建替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。


鳥居 
南北朝時代から室町時代にかけて、守口付近では戦いが頻繁に起っていたそうですプンプン

守居神社から西側にかけて、守口城がありましたえー
守護大名は大内義弘で、配下の杉九郎が守備していましたニヤリ

応永6年(1399年)に「応永の乱」が起こりますガーン
そこで、大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こし、堺に籠城しましたプンプン

守口城も戦場となりましたが、杉九郎を堺に退かせ、堺を城塞化して幕府軍を迎え撃ちましたプンプン
しかし、3万を超える幕府軍に攻められ堺は落城、大内義弘は討死しましたえーん

守居神社には、昭和56年(1981年)に大阪府して有形文化財に指定された「守居神社刀一口」という宝刀がありますびっくり

この刀は茎(なかご)に「備中守橘康廣(びっちゅうのかみたちばなやすひろ)」の銘があり、刀匠の一派である近江石堂派のわかれで、江戸時代の寛文年間(1661~1673年)頃、大坂に出て作刀し、大坂石堂派の祖となった康廣の遺品なんだとかえー

刃文は焼幅の広い丁字乱れが特色で康廣の代表作の一つに数えられています照れ


手水舎
変わった手水…キョロキョロ
鉢には可愛い兎さんの絵が彫られていますね照れ 


拝殿 
前に古い扁額の様なものがキョロキョロ
以前に鳥居か…拝殿に取り付けてたやつかな?びっくり

祭神 
素戔鳴大神(すさのおのおおかみ) 
賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ) 

素戔鳴の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説がありますプンプン

賀茂別の「ワケ」は、「分ける」の意であり、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味とかえー

何か天候に関係しているのでしょうか?キョロキョロ

もともとは淀川流域の守護神として、
天道神・太歳神・歳殺神・三輪明神・清瀧明神・日吉権現などが祀られていたようですニヤリ

しかし、醍醐天皇延喜18年(918年)に淀川で洪水がありましたガーン

社記によると、「西南石礫の渕で我天童神也、我を祀れと振鈴の声でお告げがあった」ので、土を居いて御祀りしたのが始まりと伝えられていますニヤリ

「土居」とは「土を盛り上げた土手(どて)」を意味してるんだとかびっくり

淀川の土手に由来しており、もともとは土居神社と呼ばれていましたプンプン

明治五年八月に、守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)、明治四十年十月十日に、守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神〈渦神社〉)が合祀されて、守口の総氏神として守居神社と改称されたんやってニヤリ


ご利益 
厄除・除災招福・武運長久・災難除・方除け・家内安全・商売繁盛・交通安全・安産祈願・合格祈願・良縁祈願・落雷除・電気守護


狛犬 
建立年代不明とかショボーン
愛嬌がある顔立ちやねニヤリ


此の恵比須神像 
ガラスの反射で分かりにくいですが、恵比寿像がびっくり
淡路島の民家に百数十年間祀られていたものだとかキョロキョロ


神馬 
「神馬」は勝負運や仕事運、試験運、ギャンブル運など勝ち負けや戦いにかかわる運をアップさせてくれる神の遣い照れ

日本の神事に今でも登場する神馬は、身に着けると万事「うまくゆく」と言われ、チャンスを逃さず勝負に勝つことに大きなご利益をくださいますウインク


絵馬と千羽鶴びっくり
強い念を感じますねプンプン 


稲荷神社 
稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社をはじめ、稲荷大神または稲荷神を主祭神としてお祀りしている神社照れ

諸説ありますが一般的には「稲成り」や「稲を荷なう」などの意味が由来しているといわれており、稲荷神は稲を象徴する穀霊神、農業と深く関係する農耕神、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)とされていますおねがい


寒神社 
御祭神 
塞の神 

塞の神は道祖神ともいい、 村や集落の境、峠などに祀られ、村に入ろうとする悪霊や疫病を退け、旅人など道往く人々を災いから守ってくれる神様プンプン

塞の神は古代信仰にあるとも言われ、
生殖器の形をした石などを祀って子孫繁栄、豊作を願いました照れ

塞とは「塞ぐ(ふさぐ)」という意味ですが、伊邪那岐が黄泉国から地上に帰る時に、伊邪那美は醜い姿を見られ激怒して追いかけますが、逃げる伊邪那岐は大岩で、黄泉国の出口を塞ぎ、逃げ切ることができましたえー

その大岩が塞の神であるとされていますプンプン


寒神社の手水…キョロキョロ
このまま手を突っ込んで…
無理…ショボーン


昭和29年生まれの狛犬とかびっくり
顔がシャープですねキョロキョロ
美顔ローラーをしてますかぁ~爆笑 


大阪府守口市土居町2-22


西三荘駅から5分ほどえー
守口市駅からでも10分ほでにあるニヤリ
地元の方から愛される蕎麦屋の山商蕎麦店さん爆笑
古民家?レトロな店内で、旅館にきたような感覚になります照れ


メニューをキョロキョロ
組み合わせがメインみたいですねキョロキョロ


別にオススメがびっくり
なになに…キョロキョロ
定食は 
〇11:00~14:00 おそばと同じお値段
〇14:00~19:00 おそばの値段プラス 
@100円 
〇19:00~21:00 おそばの値段プラス 
@200円

そして、蕎麦の大盛も無料でご対応していただけます。びっくり

 定食=「ごはん」「小漬物」「一品」 
今回の一品は「なます」とかえー

店主さんがメニューに書いてる言葉 キョロキョロ

★創業以来、毎日ごりごり石臼ひいて
そば粉を作り、そばを作り
気がつけばもう40年すぎちゃった
今日も飽きずにまたごりごりと
そば粉を作り、そばを作り
そばの自然な風味を
ご賞味いただければ

素敵すぎますね爆笑

オススメの
鴨なんば蕎麦に照れ
注文時…店員さんに定食は無料で付けれますがいかがいたしましょうか?と…聞かれ…
ハイと…ニヤリ

蕎麦は無料で大盛りも出来ますがいかがいたしましょうか?…と…聞かれ…
ハイとニヤリ

無料の言葉…魔法の言葉やプンプン 


鴨なんばそば 1280円 
えび天ぷら通し揚げ 300円 

蕎麦はどでかい器びっくり
蕎麦は2玉入ってるんやって笑い泣き
海老もそこそこの太めで大きいのですが・・・キョロキョロ
器のでかさで海老が小エビに見える・・・ガーン
鴨も多いんですが…少なく見えますねえーん


麺をチュルンとニヤリ
う~ん
たまらん爆笑
程よい弾力
そばのいい味が口に広がるニヤリ

お出汁の旨さと、めっちゃ入ってる白ネギと鴨がめちゃマッチニヤリ
よくぞネギを背負ってやってきてくれましたぁ爆笑

えび天もプリプリで大好き照れ

西三荘駅から486m 
大阪府守口市橋波西之町2丁目9-13

年越しそばの意味とはそもそも年越しそばを食べることにはどんな意味があるのか…キョロキョロ
その意味には諸説あるのですが、有力とされているものは5つえー

1.厄払い 
そばはほかの麺類に比べて切れやすいことから、「1年の厄災や苦労を切り捨てて翌年に持ち越さない」という願いを込めて年越しそばを食べる、というもっとも有名な説なんだとかえー

そこから悪いものと縁を切り、新年を気持ちよく迎えたいという意味が込められた「縁切りそば」という別名が付いたとも言われていますプンプン

2.長寿祈願 
そばは細く長い麺であることから、延命や長寿を祈願して食べることが年越しそばを食べる意味と言われていますニヤリ

引っ越しの際に贈る引っ越しそばもこの意味が込められています照れ

3.健康祈願 
そばの原料であるそばの実が、激しい雨風を受けてもその後の晴天で日光が当たるとすぐ元気になることから、健康への縁起を担ぐものとして食べられるようになったという謂れとかびっくり

4.金運上昇 
 昔、金細工職人はそば粉を団子状にしてその団子に金粉や銀粉をくっつけ、団子を水に入れてそば粉を溶かすことで、が金粉銀粉を集めていました照れ

また金箔を延ばすときもそば粉を用いたこともあり、そばは金を集める縁起物であるという考えが生まれたそうですよえー

 5.運気上昇 
 古く鎌倉時代には博多の承天寺で貧しい人々へ、年越しのための「世直しそば」というそば餅を振舞っていました。プンプン

その「世直しそば」を食べた人は翌年から運が向いてきたそうで、そこからそばを縁起物と考えるようになり、年越しそばにつながったという説とかえー

このように年越しそばにはひとつではなく、いくつかの意味があるようですね爆笑

1年の締めくくりである大晦日に食べる年越しそばえー
古くから伝わる、いわば年越しの風物詩のようなイメージですが、この文化はいつから始まったのか…キョロキョロ

古くは1756年刊行の書物「眉斧日録(びふにちろく)」に、『闇をこねるか大年の蕎麦』という記述があり、また1814年に刊行された「大坂繁花風土記」に年越しそばが登場とかびっくり

このことからいつから年越しそばがあるのか、といったことについては、江戸時代には年越しそばがすでにひとつの行事ごととして定着していたことがわかります。ニヤリ

それでは年越しそばは江戸時代のいつごろから始まったのか…キョロキョロ
また、いつから広く一般に食べられるようになったのか…キョロキョロ

そのいつから食べられるようになったのかということについて、実はその起源は江戸時代中期と言われてるんだとかニヤリ

そのころ、大阪の商家主人が忙しい晦日(月末)に働いてくれた奉公人をねぎらう意味で「三十日(みそか)そば」が食べられており、この三十日そばが年越しそばがいつから食べられているのかということの答え、つまり起源だと言われていますウインク

そしてこの三十日そばの習慣が一般的に広まったのは、そばの原料であるそばの実が非常に栄養価が高く、江戸時代に流行した脚気(かっけ)という病気に効果があったことや、ハレの日に食べる縁起物ものでもあったことが、お正月の準備が終わった大晦日に年越しそばを食べる現在の風習につながったという通説があるんやって爆笑

つまり年越しそばがいつから始まったのか、いつから食べられているものなのか、ということについては、江戸時代が始まりであったということが言えますねニヤリ

年末の家族団らん、年越しそばを一緒に食べながらいつから始まった行事なのかをご家族にお話しされてみてはいかがでしょうか照れ





今年も一年、たくさんのいいね、コメント
DMを頂きありがとうございました照れ

来年もどうか宜しくお願い致します。
皆様、よいお年をお迎え下さいませ照れ