御香宮神社からJR桃山駅を超えて…

乃木神社へ爆笑

徒歩15分くらいで到着ですニヤリ

乃木神社   【のぎじんじゃ】
乃木神社は、文武にわたる御功績この上なき乃木希典命とその賢婦人であられた乃木静子命を鎮め祀る神社です。

ここ京都伏見桃山に乃木神社が建てられたのは、明治天皇の崩御に際して乃木大将が遂げた「殉死」の一事にあります。

明治の御維新以来、国運の進行を図らせたまわれた明治天皇は、明治45年7月30日、遂に崩御あそばされました。御陵は「朕が百年の後は必ず陵を伏見に営むべし」との御遺志により、伏見桃山の地と定められました。

明治から大正へと元号が改められた9月13日、国民の深い悲しみの中、東京青山葬場殿にて御大喪の儀が行われました。

天皇の霊柩が御轜車に移され、皇居から斎場に向けいよいよ車列の出発を告げる号砲が鳴り響いたまさにその刻に、軍事参議官兼学習院長陸軍大将従二位勲一等伯爵乃木希典は、妻靜子とともに赤坂の屋敷にて皇居に正対端座し自刃されました。

うつし世を神去りましし大君の御あと慕ひて我は逝くなり  希典
神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる  希典
出でましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき  靜子

これらは、乃木夫妻が遺された辞世の詠です。
 
夫妻は先逝されし天皇への忠義を貫き、自らの命を天皇の御霊に奉じられたのです。
 
国民あまねく敬仰しお慕い申し上げた明治天皇の崩御に続く、忠臣乃木大将夫妻の自刃という揺るぎなき高邁な志と清く潔き振る舞いの知らせは、名君を失い悲嘆に暮れる国民にさらに酷烈な衝撃を与えました。
 
夏目漱石は、著書『こころ』にて、明治天皇の崩御に際して
「其の時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終はつたやうな気がしました。

尤も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残つてゐるのは畢竟時勢遅れだと云ふ感じが烈しく私の胸を打ちました。」

と「先生」に語らせ、その一ヶ月後、今度は乃木大将殉死の知らせを聞いた「先生」には、その遺書の第一条に、35年前西南戦争に出征した際、熊本植木の戦いで連隊旗を奪われたことを挙げていたことを聴き

「乃木さんは此三十五年の間、死なう死なうと思つて、死ぬ機会を待つてゐたらしいのです。

私はさういふ人に取つて、生きてゐた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだらうと考へました。」

と語らせました。
また西田幾多郎はその著に

「乃木さんの死に就いて、かれこれ理屈を言ふ人があるが、此の間何等の理屈を入れるべき余地がない。近来明治天皇の御崩御と将軍の自害ほど感動を与えたものはない」

と語りました。
また黒岩涙香は、
「国民は彼れを神として祭る可きか、然り、彼れを神として祭らんば、復誰を祭らんや・・・・実に乃木将軍は神にて在はしき」
と記し、乃木大将の赤誠に感銘を受けつつ夫妻の殉死を哀惜しました。

乃木大将は、私心無き武士の誇りと天皇への赤心を、その一命をもって明示した類い稀なる傑人として、死してのちも国民の尊崇を集めました。
また、軍人としての輝かしい功績は素より、日頃から質素倹約に務められ、陰日向なく素直に人の道を歩むことを旨とし、学問を通じ人の道を究め、真理を一心に求められた比類無き有徳赤心の人として、「乃木さん」と親しみを込めて追慕されるご存在でもありました。
 
その傑出して勝れし御遺徳を偲び敬う国民の誠心はいよいよ昂まり、京都伏見桃山をはじめ北海道、栃木、東京、香川、山口など全国各地に「乃木神社」が建立されるに至りました。

その中でも殊に、明治天皇が鎮まります伏見桃山陵を間近に拝し、恰も南側の御側近くにお仕えするかの如く北面して建つ当神社の景観は、

うつし世を神去りましし大君の御あと慕ひて我は逝くなり

の辞世の詠を顕現しています


大鳥居 
この石鳥居は、稲荷式石鳥居で石柱は周囲2.3mの花崗岩でできており、創建当時京阪電気鉄道株式会社によって奉納されたものとかびっくり

また、鴨居に掛かる「乃木神社」の揮毫は、開院宮載仁親王の真蹟によるものを青銅で鋳たものなんやってニヤリ


神門 
四脚入母屋平入の木造銅版葺(元は檜皮葺)の大門プンプン

用材は、乃木将軍と縁りの深い台湾阿里山の台湾檜をもって建てられており、特に扉の内側は、樹齢三千年の幅六尺三寸(180cm)の紅檜一枚板でできていますびっくり

乃木大将は、第三代台湾総督として着任し、現地人には大変信頼され人気がありましたニヤリ

大将没後、神社建立を知った台湾の人々から用材誂え(確保)について快諾があったいわれていますニヤリ


手水舎
大きめの鉢に竹えー
でも…
水は出てないショボーン


狛犬
顔と体が同じ大きさ…キョロキョロ


勝水 
乃木神社には、創建当初から御神水として、かつての伏見城の名水と水源を一にする名水「勝水」が昼夜涼濠と湧き出し、勝運の縁起水として崇められていましたプンプン

ある時期には武運長久の御神水として、参拝者はこれで手を洗い、口を注いでお参りし、また水筒などに詰めて家に持ち帰って、神棚に供えて、家運の隆盛、健康長寿を祈願されてきましたニヤリ

しかし、その後の周辺開発により枯渇するようになり、往時を知る方々から懐かしむ声が上がっていましたえーん

病気回復、心身の安らぎを求めて、御神水を受けたいと訪れる人も多く、掘削を試みたところ地下80数メートルのところで取水に成功し、平成18年(2006)水無月に60数年ぶりの「勝水」復活爆笑
 
勝水は、霊験新たかな御神水として、飲用をはじめ病気平癒、元気回復、勝運縁起の水として、遠方からもこの水を求めて参拝されています照れ


勝ちま栗の祠 
湧水が復活したその日、奇しくも参拝に来られた方が、これも何かの御縁と新しい手水鉢とともに「勝栗像」を祀る祠の寄進を申し出られたとかびっくり

「勝粟」は昔、戦場に出る武士がこれを食べて出陣したという故事に倣っており、乃木大将の大好物爆笑

そこで、参拝される方の身と心、行為の全てが勝運に結びつくという信仰から「『全てに勝ちま栗』の祠」 と名付けられたんやってニヤリ

祠の中に栗…爆笑 


拝殿 
四面解放式入母屋造りで、天井、欄間等に装飾がなく、重厚で素朴な雰囲気を持っていますびっくり

正面鴨居に掛かる絵馬額が、そのことを一層強調していましたニヤリ


御本殿 
社殿の構造は、大楠公(楠木正成)を祀れる湊川神社と同一の春日造り銅板葺(元は檜皮葺)の御本殿なんやってえー
 
御祭神 
乃 木 希 典 命 (ノギマレスケノミコト) 
乃 木 靜 子 命 (ノギシズコノミコト)


詩碑(乃木三絶) 
世に名高い「乃木三絶」といわれる漢詩の石碑えー

乃木大将が古来希に見る優れた詩人である事は、広く世に知られているとかキョロキョロ

その漢詩や和歌は今収録されているだけでも250篇にもなるんやってびっくり

それらを通じて、将軍の人柄や、その時々の風懐を十分偲ぶことができますね照れ

殊にその漢詩は、中国人識者をも驚嘆させる程で、不朽の名作数多く、今日なお多くの吟詠家によって愛誦されてるんやってニヤリ

山川草木轉荒涼   
山川草木轉(うた)た荒涼 

十里風腥新戰場   
十里風腥(なまぐさ)し新戰場  

征馬不前人不語   
征馬前(すす)まず人語らず 

金州城外立斜陽   
金州城外斜陽に立つ


歌意
山も川もことごとくすべてが荒れ果ててしまっている。十里四方に血生臭い風が吹く。
ああ凄まじい戦場だったのだ。
戦いに疲れたのか馬も進もうとせず、将兵もまた話しもしない。
金州城の町外れで、今、自分は夕陽を受けて、ただただ立ち尽くしているばかりである。


鑑賞
乃木三絶(金州城下の作・爾霊山・凱旋)と云われる希典の代表三詩の中でも傑作中の傑作爆笑

南山の戦跡(長男、勝典が戦死した地)を弔い山上の戦死者の墓標に向けて弔辞を供えた後に読んだ詩なんだとかキョロキョロ

この詩は乃木希典の人となりの一端を示す姿そのものであり、また唐の詩人をも凌ぐ大詩人であったといえますプンプン


にこやか地蔵尊照れ
このお地蔵様…めちゃ癒されます照れ
以前は携帯の待ち受けにしてました爆笑


長府乃木邸 
乃木大将の父十郎希次は、江戸麻布毛利邸で槍術及礼法小笠原流の指南番をする禄高百五十石の武士プンプン

しかし幕末の藩政改革時に改革案を上申し、これが上級藩士の機嫌を損ねる結果となり減禄二分の一となりましたえー

その後長府(山口県)に帰り閉門蟄居の身となり、住家は、足軽の家を借りてそこに住まわれたとの事キョロキョロ

その家がこれに見る旧邸なんやってえー


ここに家族七人が住われ、米搗場では乃木少年が米を搗きながら本を読んだところなんだとかキョロキョロ

この等身大の塑像は、大将の父希次と母寿子と少年時代の大将の姿で、大将の甥にあたる長谷川榮作の作によるものとかニヤリ

乃木大将は幼名を「無人」と云い、幼時には三歳下の妹にさえ度々泣かされたというほど気弱温順な性格であり、一方では兄弟思いで妹たちの髪を結ってやるなど面倒見が良く器用に針を使って縫物をするという雄々しさと云うよりも優しさを多分に持ち備えた少年だったとかえー

両親はこのような乃木少年を腑甲斐なく思い、家庭教育の方法を考え毎朝出仕前に必ず一条の教訓を与え出かけるようにしましたプンプン
その場面がここに現されていますえー

尚、この教訓は『乃木家家庭訓いろは數え歌 學習院長時代の訓示要領 乃木大将詩歌抄選』として冊子にまとめ、授与所にて頒布してありますニヤリ


記念館 
日露戦争の際南満州(現在の中国東北部)の柳樹房という場所にあった周玉徳・周金夫妻の住居を借り上げ、乃木大将が「第三軍司令部」として旅順攻囲戦の指揮を取り、約一年間、起居されていた建物えー

当神社建立の際、村野山人翁は現地に赴き、この家屋を周玉徳から買い受け、家屋を解体し、土台石など資材一切を運搬移築し記念館としたものえー

現在、内部は展示館となっていますが、外部様式と左手奥の間の乃木大将寝室は、当時のまま今に伝えています照れ

この建物の腰石も柳樹房から移設したものですが、五億年以上前の砂漠で出来た「正珪岩」という、実にめずらしい石を使った物びっくり

特に「漣痕」という地層表面に風や波で出来る模様の化石が見られ、学術的にも貴重な標本となっています照れ


館内には達磨がいっぱいびっくり
達磨タワーの中に…何やら怪しいのが…キョロキョロ


コンクリートに囲まれた一室キョロキョロ
この何の変哲もない部屋は寝室を復元されたようで、旅順攻囲戦の指揮を執られるため一年間起居されてたようですえー


宝物館 
創建と同時に建てられた蔵造り二階建ての館内には、乃木大将御在世中の思いやり、気遣いの細やかさが伝わる直筆の書簡類を始め、将卒と苦難をともにせられた軍人乃木大将を偲ぶ刀剣・武具等や、乃木夫妻の生活ぶりを伺わせる質素な生活調度品、また大正天皇や宮家の御太刀や陸・海軍将官への御下賜刀の作刀に尽力した名工、月山貞勝作の御神刀二振を始めとする数々の奉納品、さらには、女性の明治期のドレスとしては、付属するコルセット、ペチコートなどの下着類もが完全な一揃として現存する本邦唯一の資料である、靜子夫人が明治天皇銀婚式御祝典の折御着用のドレスなど、百数十点の宝物を収納しその一部を展示しています照れ

これらの多くは、乃木夫妻殉死の後、親族・知人に形見分けされた遺品を、当神社創建にあたり寄贈いただいたものなんやってニヤリ
尚、通常展示ではえー

七寶焼大花瓶 一對 
梶 佐太郎 作
    
乃木大將木像 一躰    
長谷川榮作 作
    
靜子夫人木像 一躰    
長谷川榮作 作
    
鐡製胴 一具    
傳來 明珍 作
    
乃木神社社号掛軸  一幅    
閑院宮載仁親王御真筆
    
中形湯帷子 一着    
靜子夫人御着用鈍色麻単衣、遺れる点々たる血痕
    
長靴一足・短靴三足       
大将の意匠による、左右の別無し
    
英国式燕尾服 一揃    
明治四十四年、渡英の折新調せしもの
    
洋杖 一本    
大将聯隊長時代に銃身を応用せしもの
    
大将自筆祭文 一本    
山鹿素行先生贈位報告祭の祭文

など、貴重な遺品や文化財が展示されています照れ
 
近年は建物や展示品の経年劣化が激しく、年々その維持管理が困難になってきてるんだとかショボーン


秋も深まり出した頃に行ったんで紅葉もチラホラと…照れ


乃木神社では月替わりや限定など多数の御朱印が用意されてます照れ


山城ゑびす神社 
山人翁は、創建にあたり乃木夫妻お二人及び勝典・保典両ご子息の四柱を御本殿にお祀りすることを、時の内務省に願い出ましたが、当時は乃木大将一柱の奉祀しか許可されませんでしたショボーン

そこで山人翁は、大正7年、御本殿の西隣に靜子夫人の御霊をお祀りする社殿を建てることを願い出、「靜魂神社」が大正8年に建てられましたニヤリ

もとより夫の後を迫って自刃した靜子夫人は、明治の婦人・大将の妻・二人の子息の母として、まさに「良妻賢母」「婦女の鑑」と崇められ、その「生き方」を顕彰するお社を建てようという機運が世に高まっていましたプンプン

一方、靜子夫人御自身は、神社に祀られるようなことを、その生前の「生き方」からして、決して望まれていないだろうし、御霊もそのようなことは、お断りになることがあっても、お喜びにはならないのではないかと思案され、建立が遅くなったのではないかと考えられますえー

その後「恵比須神」を首座とする「七福神」が合祀され、「靜魂七福社」と称されるようになりましたニヤリ
 
七福神合祀に至った年代や経緯は残念ながら不詳ですが、以来地元伏見を中心に、南山城地域唯一の「ゑべっさん」として、商売繁盛の信仰をあつめて参りました照れ

平成18年、乃木神社創建90周年を機に、山人翁の創建当初の望み通り、靜子夫人の御霊を乃木神社御本殿へお遷しし、乃木大将と仲睦まじく相並んでお祀りすることとなり、「靜魂七福社」は、「山城ゑびす神社」に改称爆笑

また、平成27年、山城ゑびす神社御本殿の修復工事のため遷座祭を行った際に、「七福神」の奉祀をあらため、主祭神である「恵比寿神(蛭子皇子)」のみ奉祀することとなりました照れ

1月の9・10日は「ゑびす祭」が賑やかに行われるんですウインク


''幸せに成り''と書かれた鯛を撫でると幸せになれるという御利益スポットらしいですよラブ


山城ゑびす神社の御朱印照れ 
たい焼きみたい爆笑

京都府京都市伏見区桃山町板倉周防32


乃木神社から1分プンプン
京都伏見を歩くと、突如現れる森びっくり
ここは明治天皇伏見桃山陵ニヤリ

明治天皇伏見桃山陵へつづく並木道を約1㎞ほど歩きますニコニコ

明治天皇は、激動の幕末に生まれ、1867年に14歳で即位しましたえー

即位当時から討幕派と佐幕派の争いが続いており、1867年に大政奉還、王政復古の大号令を経て元号を明治としましたえー

初詣で例年日本一の参拝者数を誇る明治神宮は有名よねニヤリ

東京で生涯を終えた天皇の陵が京都にあることに違和感を持つ方もおられるかもしれませんショボーン

明治天皇陵が京都にある理由は、「生まれ故郷である京都の地で眠りたい」という天皇の生前の意志によるとされていますえー

当時の日本では、現在のように陵墓に関する決まり(法律)はありませんでしたニコニコ

そのため天皇の意思を反映し現在の場所に眠られますえー

空気感ががらっと変わって、この静寂の空間に少し緊張プンプン

ここで聞こえるのは風の音、砂利の音だけ照れ


明治天皇伏見桃山陵 
京都府京都市「桃山丘陵」にある明治天皇の陵プンプン
明治45年(1912)7月30日に東京都の宮城・明治宮殿で崩御した明治天皇の墓所として知られてます照れ

古墳の形式としては「上円下方墳」であり、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれていますえー

周囲一帯は宮内庁の管理地となっており、東には皇后である昭憲皇太后の伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が隣接していましたニヤリ


明治天皇伏見桃山陵は小高い所にあるんで京都市内を一望できます照れ


明治天皇伏見桃山陵の森には伏見城がびっくり

伏見城は3度にわたって築城され、1592年に指月山に築かれたものを指月山伏見城、後に木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に、徳川家康によって再建された徳川期とにわけられますプンプン

豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わってますよねえー

秀吉の死後豊臣秀頼が大阪城に移ると、代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いましたプンプン

関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣である鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが落城ガーン

建物の大半が焼失しましたえーん

焼失した伏見城は1602年ごろ家康によって再建され、1619年に廃城とショボーン

この時、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築されましたえー

伏見城の後には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられ、桃山と呼ばれるようになり、やがて伏見城は桃山城、あるい伏見桃山城と呼ばれるようになりました照れ


現在は天皇陵となっている伏見城本丸跡一帯の少し北側に、模擬天守が建っていますラブ

伏見城の一部や武家屋敷などが建ち並んでいた桃山丘陵の一角に、かつて「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地がありましたニヤリ

模擬天守はその遊園地の中に建てられていたものなのなんよニヤリ

1964年(昭和39年)にオープンした施設で、模擬天守の他に、ジェットコースターやプールなどがあり、大変人気がありましたが、2003年に閉園ショボーン

模擬天守も解体される予定でしたが、地元の人々からの要望もあり、残されることになり、現在この一帯は、京都市管理の「伏見桃山城運動公園」という公園として整備されています爆笑

遊園地時代には天守の上からあたりを一望できたのだそうですが、現在は、建物の耐震の関係で天守の中に入ることはできませんショボーン

歴史的・文化的価値はありませんが、見応え・迫力は十分にあります照れ


伏見桃山駅から徒歩数分。賑やかな大手筋商店街から少し外れた街並みの中に佇むcafe BLEUさんニコニコ

隠れ家的なカフェの雰囲気でクリスマスにはもってこいの場所だとニヤリ
そして
クリスマスと言えばえー
ローストビーフ!!爆笑
みぞかつの中ではねニヤリ 


入口のメニューニヤリ
パスタやチキンも気になるが…
ローストビーフ1択プンプン


ローストビーフのプレートランチ 1300円 
ローストビーフ…見た目よりもボリュームあります!!!びっくり
    
お肉自体も旨味あって美味しいですが、プラス、ソースが抜群に美味いラブ
    
玉ねぎや生姜のすりおろしで甘味、旨味、爽やかさのバランスが良いお味やぁニヤリ
  
ロースト玉ねぎ…これはこのお店の定番なんですねキョロキョロ
    
何の味付けもなく玉ねぎ本来の甘味を優しく感じます照れ
これが素朴でめちゃ美味しい照れ

オムレツはふわふわ爆笑

ポテサラ…これもアッサリした味付けでじゃがいもの美味しさが楽しめるポテサラやねニヤリ
  
サラダ…レタス、リーフ、水菜、大根をあらかじめドレッシングで和えてしばらく寝かしたサラダが添えられています照れ
レタスが少しだけしんなりしてて食べやすいサラダニコニコ

京阪・伏見桃山駅から徒歩約7分
近鉄・桃山御陵前駅から徒歩約8分 
伏見桃山駅から392m 
京都府京都市伏見区東組町698 パークテラス桃山 1F



皆さんの所にプレゼントが行きますように…照れ
みぞかつの所にも来て欲しいなぁニヤリ