広電 別れの茶屋踏切 / 雨降り頻る桜と雫 | 安芸もみじ ─ Photographs, Historys, Railways,-JAPAN┃広島

広電 別れの茶屋踏切 / 雨降り頻る桜と雫

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雨粒を帯びたソメイヨシノの桜


昨日の記事「広電 5000形 GREENMOVER / 春と桜花とX’mas?」で、別れの茶屋踏切での写真を。


2枚UPしましたが、今日の写真は昨日の雨の中で撮った、別れの茶屋踏切のソメイヨシノです。


ここは史跡にこそ指定されていませんが、広島城の開城と共に整備された西国街道の。


今で言うドライブインとも言える場所でした。

今でも郷土史ファンには有名なスポットです。

が、この桜は元 街道樹(街路樹)ではなく、個人所有の木です。

付近の某家にお子さんが誕生され、それを記念して植えられた桜だそうです。

別れの茶屋踏切のソメイヨシノと広島電鉄


別れの茶屋 0.K 363 標識

別れの茶屋踏切と雨に濡れたソメイヨシノ

別れの茶屋の書

歴史画:茶屋と蒸気機関車


草津町は、記紀の時代では神武天皇の仮皇居、熊襲征伐での神功皇后の力剪山、それ以降は草津八幡宮や草津城など。

日本史好きにはそういうイメージが強いようですが、江戸時代から草津は広島でも優良な漁港でした。

今でも草津漁港は稼働しており、広島市中央市場も隣接していますが、江戸時代には草津城下の港から魚の行商さんが活躍していました。

今は広島電鉄の宮島線が走り、住宅街が広かった陸内地となっていますが、当時は海岸線の行商道でした。

尚、草津城下とは言いますが、江戸時代には一国一城令によって草津城は廃城となっていましたが、城下町はそのまま残って現在に至っています。

その草津港から行商さんは西へ東へ北へと、鮮魚を担いで売りに歩くのですが、東へのルートがこの行商道でした。

西広島と呼ばれる己斐にも、かつては己斐城がありましたが、これは江戸時代に廃城となったのではなく、織豊時代に広島城へと移転した故に役目を終えた城でした。

広電5000形と別れの茶屋踏切の桜

広電5000形と雨のソメイヨシノ


雨粒がついた別れの茶屋のソメイヨシノ

雨粒が光る別れの茶屋のソメイヨシノ

雨粒を帯びた別れの茶屋のソメイヨシノ


仕事を終えた行商さんたちが、帰路へつく際に西国街道と行商道の合流点、帰りは別れの交差点となるここで、一息入れた場所でした。

その呼び名が示す通り、この分岐路にはかつて茶屋(喫茶店のような店)があり、ここでお茶を飲んだり、お餅を食べたりして家路へと向かっていました。

もちろん江戸時代では街道筋ですから、普通に往来する人々や、この先の宮島往還へ向かう旅人でも、賑わっていた場所でした。

江戸幕府260年の時が終わり、明治時代となって、鉄道が敷設されて1897(明治30)年9月25日に己斐駅(西広島駅)が開業した後も、その賑わいは衰えず。

1922(大正11)年8月22日に宮島線が己斐~草津間に開業した折には、茶屋隣にできた踏切に″別れの茶屋″と名前が付きました。


何故、一個人のお店の名称が、鉄道踏切の名称となったのか。

それは己斐にかつて存在した、柴竹庄という茶店を併設した屋敷の伝承地から始まります。

別れの茶屋踏切のソメイヨシノと広島電鉄


雨粒を帯びたソメイヨシノの花

雨の別れの茶屋踏切、ソメイヨシノ

雨の別れの茶屋踏切のソメイヨシノ

雨の別れの茶屋踏切、満開のソメイヨシノと広電電車

この屋敷へ住んでいたのは、柴竹源左衛門(しばちくげんざえもん)と言う人で、第3代 広島藩主の浅野長晟(あさのながあきら)公の、幼友達であったと伝わります。

「江戸時代の初期、長晟公が通りかかると八幡川が出水して川を渡れず困っていた。近所の柴竹源左衛門が板を持って来て渡してやった」との逸話が伝わります。

広電西広島駅から約100メートルの場所へ、今はコンクリート橋となった、源左衛門橋が架かっています。


そこから更に約200メートル進んだ場所へ茶店があり、長晟公が源左衛門と談笑しながら茶を飲み、しばしの時を共にした後に別れたと記録が残ります。

ちょうどその辺りに柴竹庄と呼ばれる茶店を併設した屋敷がありました。

尚、浅野長晟公が藩主だったのは1619年から1632年の13年間で、別れの茶屋が創業したのはそれから約100年後の、宝暦年間(1751~1763年頃)と伝わります。

そして更に、山陽本線が敷設されて以降は踏切を渡って平坦な旧道が続きますが、それ以前はここから険しい山道へと繋がった古 西国街道でした。

別れの茶屋踏切のソメイヨシノと広島電鉄

雨に濡れたソメイヨシノの桜と枝

別れの茶屋踏切の雨に濡れるソメイヨシノ

別れの茶屋踏切のソメイヨシノと広電電車

広電電車と別れの茶屋の桜

宮島やその先の岩国の方面へ向かう人は、ここから命がけの峠越えを始めることとなり、急激な坂道を登ることとなります。

道は己斐峠へと繋がり、沼田を通って再び海岸線へ向かうのですが、このルートには山賊も棲んでいて、旅人の安全は脅かされていました。

それ故に、旅人を見送る人は市街地からここまで一緒に歩き、旅の安全を祈願しながら見送った場所。

最後に一緒にお茶を飲み、お餅を食べて出立する場所。

街道は時代と共に整備され、 平坦な海岸線ルートがやがてメインルートに遷っていきますが、別れの茶屋の名称は広島の町の歴史そのものでもあった訳です。

茶屋は昭和初~中期に廃業となったようですが、お店としては継続されていて、現在はご子孫(柴竹さん)がパン屋「別れの茶屋」を営んでおられます。


広島の″峠の力餅″である、名物の″よもぎ餅″は現在でも販売されていて、その歴史を味わうことができます。

今日は写真を21枚UPしていますが、せっかくの宮島線沿いなのですから、電車を入れての写真は7枚あったりします。


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