
惜別の天守閣 -③ / 広島城と桜 2026
あれだけ天気が好かったものの。
翌日•••••••,そう、昨日はまた雨な日となりました。
降り頻る雨の中で、満開を誇る桜は。
その寒さと雨に散り始めてしまいました。
春は暖かい南からの空気に、北からの冷たい空気が流れ込んで来るので、どうしても飽和状態を超えてしまい。
雨となって湿気が地上へ落ちて来てしまいます。
そのタイミングが、桜の満開の時と重なってしまうと、少し物哀しく感じてしまう春となってしまいます。
今年は開花宣言から実際に咲き誇り始めるまで、日数がかかり過ぎたことが残念に感じます。
さて、1871(明治4)年7月14日、明治新政府による改革で廃藩置県が実施されました。
各藩の領主・大名による藩政体制は終りを告げることとなり、各県が発足して広島藩は広島県へと移行しました。
初代広島県知事は幕末に坂本龍馬(さかもとりょうま)公と親交の深かった、河野敏鎌(こうのとがま)大参事で、広島城 本丸には広島県庁が設置されました。
知事が伊達宗興(だてむねおき)参事へ代わると、広島県内を17大区・158小区に区画されましたが。
その渦中にて本丸へ陸軍駐屯地となる鎮西鎮台(後の熊本鎮台)、第一分営が置かれ、県庁舎は三の丸に移転しました。
1873(明治6)年1月になると、広島鎮台が正式に発足し、以降広島城には大日本帝国陸軍の施設が拡充されるようになります。
2ヶ月後の3月には、三の丸に兵営が置かれることになったことから、県庁舎は国泰寺へ移転します。
1887(明治20)年、広島の開基地ということから、旧城廓内である丸の内を正式に「基町」と名付けられています。
1888(明治21)年5月、広島鎮台は第五師団に改編されると本格的に軍としての機能を拡大させます。
広島市は軍都として近代都市へと発展し始めて、現代に繋がる広島旧市内の基盤が完成しました。
1894(明治27)年)6月10日に山陽鉄道(現 JR山陽本線)が広島まで開通すると、7月には日清戦争が開戦され、城内に広島大本営が設置されます。
8月20日には、陸軍専用線として宇品線が広島〜宇品間で開通。
9月15日から1895(明治28)年4月27日まで、明治天皇は広島に行幸し常駐されたことから、第7回帝国議会も広島で召集され、短期間ながら臨時首都として機能します。
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— 源 真琴 / Makoto Minamoto (@miyashima_0405) April 2, 2026
「惜別の天守閣 -③ / 広島城と桜」
本丸から内堀を抜けて、お堀沿いを歩きます。
もう夕暮れも深くなって、せつなさがマシマシです。#桜 #桜名所 #cherryblossom
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