
現役の被爆橋梁と広電電車 / 荒神橋
| 1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025 |
| 1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025 |
8月3日の開業が正式に発表された、広島駅ビル内へ乗り入れる新線ですが、それに伴って廃線へと運命の舵を切る、的場町~広島駅前の区間。
今回は、被爆橋梁でありながらもいまだに、道路と線路を支える、荒神橋をUPします。
的場町電停は環状線の新規開業によって存続しますが、的場町~広島駅前間にある唯一の電停″猿猴橋町″は、8月2日に廃止となります。
冒頭は広島駅前へ向けて走る3951号と、これから繁華街へと向かう804号で、線路は広島駅前へ向けて通っています。


レールの接続を絶って、反対方向へ新たに敷設するだけなので、意外と時間がかからないのか、まだ何も工事の準備は手が付けられていません。
冒頭からの3枚は的場町側から撮った写真で、戦争の物資供出によって装飾が失われたままな、親柱を下流側と上流側をそれぞれ、電車と合わせて撮りました。
人類史上初の核攻撃。
その熱線と爆風そして衝撃波によって傷つけられ、原爆の傷跡を今に伝える親柱です。



この4枚、1枚目は横断歩道から橋上を撮りましたが、道幅が狭くてラッシュ時には車の渋滞に、電車も巻き込まれます。
線路が塞がれるのではなく、車のバックミラーが電車と接触するので、信号が変わるまで身動きできなくなる•••••••,それも間もなく過去の思い出に変わります。
橋を渡り終えると、中央車線から直角に急カーブを曲がるので、直進車の停止位置も大変です。
味のある被爆欄干と電車の風情はベストマッチで、時々荒神陸橋の先に新幹線が現れて、路面電車とコラボになったり。



当たり前過ぎた景色が無くなろうとする今、あぁこんな風景だったのかぁと、あらためて感じるところでもあります。
荒神橋を渡り終えるとそこは、道路より上流側は猿猴橋町 、下流側は西荒神町です。
猿候川遊歩道の猿猴橋町側から、対岸の的場町側の親柱そして欄干と合わせて、電車の写真を撮ってみたり。
ここから電車の姿が消えるので、荒神橋らしい風景を、少し多めに撮ってしまいましたが、最後の桜がまだ咲いていてくれて、可憐な彩りを添えてくれました。




昨日の記事では大手町と加古町をつなぐ万代橋をUPしたので、同じ被爆遺産である荒神橋を今日はUPしたのですが。
広島駅の前にはこの猿候川が流れているものの、実は駅周辺には昔は橋が架けられておらず、1番近い橋が猿猴橋でした。
猿猴橋町の電停がある交差点は、現在の愛宕踏切から猿猴橋へ繋がる道が、江戸時代の国道である西国街道だったので。
明治時代に山陽鉄道が広島まで開業した際に、広島駅から猿猴橋を結ぶ動線として整備された道路へ、大正時代には路面電車が敷設されました。




今の時代から見ると路面電車の軌道が、なぜこんなに遠回りをしているのか不思議に感じますが、当時のメイン道路はまだ西国街道だったので。
近代化の都市整備で埋め立てられた広島城のお堀に造られた、現在の相生通りへ都市計画に則って、路面電車が建設されたが故のルートでした。
紙屋町~八丁堀~稲荷町と軌道を敷設するにあたり、橋が無いため新たに鉄道橋が架けられることとなり、荒神橋は誕生しました。
1912(大正1)年、木製の鉄道橋として完成した荒神橋でしたが、道路網整備の都市計画から車道併用橋に改修され、鉄筋コンクリート橋として1939(昭和14)年に、現在の荒神橋が完成しました。




加速的に劣化する老朽化に、これまで何度も補修と補強の工事が施され、被爆橋梁として現役保存されていますが。
鉄道橋として架橋された荒神橋から、113年の時を経て今、電車の姿が消えて行こうとしています。
荒神橋は京橋・栄橋・比治山橋・猿猴橋・観光橋と共に現存する被爆橋梁ですが、その中で唯一の併用軌道の走る橋です。
5年前の記事ですが、広島駅周辺の広電電車 2020 -③ と 広島駅周辺の広電電車 2020 -④ で、荒神橋や猿猴橋町について、もう少し語っているので、広島 郷土史に興味のある方はご覧頂けると幸いです。
















