大震災が起きて4日目の朝を迎えました。
私の住んでいる神戸は震度2程度で済みましたが、連日流れているニュースで、
被害の状況を見ると、言葉にならない感情がこみあげて来て、涙が流れます。
私の地元の仙台もとても大きな被害を受けました。
そして私の亡き母の実家がある塩釜市などの海沿いの街は本当に酷い被害のようです。
報道で流れる殆どの風景が見覚えのある馴染みの場所なだけに、その街が壊滅していく
様子が映し出されるのは本当に辛いです。
他人事とはどうしても思えません。
母が亡くなってから一人で暮らしている父。
昨年末に心臓の手術をして、完治した後は毎日ウォーキングを10キロ近くしているそうで、
元気に過ごしていました。
震災の直後、そんな父に即効で電話をしました。
まだ直後だった為か一旦つながって、『もしもし!!』と声を聞いたところで切れてしまいました。
あぁ、生きてる。
そう思って本当に安心しました。
ただ、その後全く繋がらなくなってしまい、必死で電話をし続けたものの、その後2日間は繋がらず・・・。
そうしている内に被害の大きさが段々分かって来て・・・。
声は聞けたものの、どこで被災したかも不明だったので、本当に心配しました。
どこか一人で海沿いにでもドライブに行っていたら・・・?、街でブラブラしていたら・・・?
のんびり屋の私もさすがに焦りました。
でも、昨日の朝、札幌に住む従兄から電話があり、『お父さんと電話つながったよ!』ということでした。
家は被害を受けているものの、元気にしているということでした。
全身の力が抜けました。
塩釜市の浦戸諸島(松島湾に浮かぶ島です)の母方の実家や塩釜市内に住んでいる母の姉も
元気だということで、本当に安心しました。
そして、昨夜には父と電話で話すことも出来ました。
父は家で被災した模様。
仙台市の泉区はそんなに被害は酷くないようです。
築40年近い私の実家。
1978年の宮城県沖地震で一旦ガタがきているはずなので、父もさすがに
『家・・・、潰れるな・・・。(´д`lll) 』
と思ったそうです。
しかし、何とか持ちこたえたようです。
家の中は蛍光灯が落ち、ガラスまみれになり、風呂のタイルが剥がれ落ち、ピアノが壁に食い込み、
庭の灯篭も倒れたそうですが、ガラス戸は見事に外れ、そのお陰で割れないで済んだそうです。
実家以外も倒壊しているような家は見当たらないということでした。
亡き母が守ってくれたんだと思いました。
『お母さ~~~~~ん!!!!』と心の中で叫んでました。
被災初日は本当に寒く、車で暖を取ったそうです。
TVが付いている車なので、ニュースを見ることが出来たそうです。
その後はスーパーに買い物に行って3時間並んで買えたものはお菓子とペットボトルの水程度、
一昨日の夜から電気が復旧したおかげで米が炊けたこと、
ヒーターが使えるようになったことなどが分かりました。
ただ、自分の家族だけが元気だったと心から喜べない自分がいます。
実際、七ヶ浜という所に住んでいる、私の高校時代の親友と連絡が取れていません。
本当に心配しています。
無事でいてくれることを祈るばかりです。
被災して大切な人を失ってしまった方や、自分の家が無くなってしまった方・・・。
それを考えると申し訳ない気持になります。
今週中にも仙台へ向かうつもりでいましたが、実家の被害が思ったより小さかったことと、
今素人の私が行っても、迷惑になるだけだと思い、行くのは中止にしました。
なにも出来ない自分をとてももどかしく思います。
被災地で必死に救済活動をされている全ての方々へ。
自衛隊、消防隊、警察の方々、そして地方や海外から来て下さった方やボランティアの方々・・・。
本当に本当にありがとうございます。
私の大切な故郷を救ってくれてありがとうございます。
そしてそのご家族の方も本当にありがとうございます。
そして、関東の方々も同じように大きな地震を経験したにも関わらず、今停電処置などで、
本当に不便な思いをされているかと思います。
でも、そのお陰で助かる命がたくさんあります!
私の故郷の為に本当に本当にありがとうございます。
私も自分に出来ることはして行こうと思います。
最後に今回の地震、津波で亡くなったた方々に心よりお悔やみ申し上げます。
そして被災した方々は本当に絶望の中にいると思います。でも、希望を持って頑張って下さい。
一日も早い救助、復旧、復興をお祈りしています。